俳句の庭/第75回 歌垣の山 佐怒賀直美

佐怒賀直美
昭和33年茨城県古河市生まれ。昭和57年埼玉大学学生句会に参加、松本旭に師事し「橘」に入会。大学卒業と同時に「橘」の編集に参加、編集長を経て平成27年「橘」主宰を継承。元高校教諭(平成21年50歳を機に自主退職)。俳人協会理事・俳人協会埼玉県支部事務局長。句集『髪』『眉』『鬚』『心』など。「秋」主宰・佐怒賀正美は実兄。

 我が故郷茨城県の山と言えば筑波山である。標高877メートルのなだらかな山ではあるが、「歌垣」の山として古来より知られ「万葉集」にも登場している。
 私が育ったのは茨城県の最西端の古河市であるが、その頃の盆踊に流れていた「古河甚句」には、「西に富士山東を見れば夫婦姿の筑波の嶺よ」と歌われており、毎日遠く東に眺めていた筑波山は私の原風景の一つであり、現住の埼玉県久喜市からも眺めることが出来るのだが、何とも心落ち着く大好きな山である。
 「歌垣」とは「上代、男女が山や市(いち)などに集まって互いに歌を詠みかわし舞踏して遊んだ行事。一種の求婚方式で性的解放が行なわれた。かがい。」(『広辞苑』)のことである。
 また、筑波山は「四六のガマ」でも有名で、「一枚が二枚、二枚が四枚…」という「ガマの油売り」の口上を聞いたことのある方も多いのではなかろうか。
 今でも地元の土産物売り場では「ガマの油」なるものは売られているようだが、実際に「蝦」の油は入ってはおらず、それに似せたものであるとのこと。ただ、大道芸としてのその口上は、つくば市の無形文化財となり今に伝えられている。

  遥拝の嬥歌(かがい)の山や稲つるび  直美

 昨年の「塔の会」吟行で筑波山を訪ねた折の拙句である。(下の写真もその時のもの)


     (霞ヶ浦から眺める筑波山)