今日の一句

二月二十三日
をあげて如月きさらぎにおかたほとり黒田櫻の園

河北潟の村で筒型の笯をあげているのに出あった。その生臭い香も、二月のせいかあまり感じられず、澄みきった如月の空気をも感じた。

「黒田櫻の園集」
自註現代俳句シリーズ五(一五)

二月二十二日
椿つばきともる一枚いちまいガラスにたんじょう神蔵 器

私の誕生日は昭和二年二月二十二日。同じ数字が続くのは運勢がいいとも悪いともいわれるが、果してどちらなのか。

「神蔵 器集」
自註現代俳句シリーズ四(一九)

二月二十一日
はらみ猫雪ねこせつしゅうでらたり梶山千鶴子

山口県雪舟寺へ昭和俳句楽部の人と行く。友人中尾晴男さんの世話になった。波多野先生との旅はこれが最後となった。

「梶山千鶴子集」
自註現代俳句シリーズ七(七)

二月二十日
こいうごくあんにゅうたけなはに峰尾北兎

子供たちの入学試験が重なって不安の日々。妻に不眠の毎日がつづく。池の鯉が沈むにつけ跳ねるにつけ、生きた心地がしなかった。

「峰尾北兎集」
自註現代俳句シリーズ七(一)

二月十九日
白魚しらうおのまなこすうおそろしや喜多みき子

写生が中途半端とも言われた。四ツ手綱から移されるときの白魚の動きが恐いと思った。

「喜多みき子集」
自註現代俳句シリーズ一一(七)

二月十八日雨水
きゅうしょうのどこかうまらしきいろ向山隆峰

日曜日で二の午、思い立って豊川稲荷へ。賑わいの赤鳥居を潜り九郎九坂を外堀通りへ、心ゆくまでの冬晴。どこか二の午らしい泰らぎの蒼空。

「向山隆峰集」
自註現代俳句シリーズ六(一四)

二月十七日
金縷梅まんさくはなへまつすぐぐるま辻恵美子

まんさくの名は、春に「まず咲く」が転じたとも、黄色い四弁花が稲の豊年満作を思わせるからともいわれている。東大キャンパスの景。

「辻恵美子集」
自註現代俳句シリーズ一一(五六)

二月十六日
くれなゐのたくおけ紅梅こうばい伊藤柏翠

福井玉藻会を発会。福井開花亭で開く。故森田愛子の友、美佐尾を幹事にする。

「伊藤柏翠集」
自註現代俳句シリーズ四(八)

二月十五日
はんきとしけるものに地震ない西本一都

地震の例句というものは稀れであるがこの句は歳時記に採用されている。地震のおそろしさというものが出ておれば重畳とおもっているのである。

「西本一都集」
自註現代俳句シリーズ二(二九)

二月十四日
うめけばちち忌散きちればはは安住 敦

柿の木坂の家に越してきたとき、母が白梅の苗木を植えた。その母が死んで数年たって花が咲いた。父の忌は一月、母は二月。「梅の季節になるとわたくしの胸に遠い父母がよみがえって来る」と自解にある。敦出棺のさい、青梅の枝がひつぎに触れた。(鶴来)

 
「安住 敦集」 脚註名句シリーズ一(二三)

二月十三日
紅梅こうばいひともとゆかし東慶とうけい石井桐陰

北鎌倉の東慶寺は梅の名所、とくに紅梅が早く咲く。奥に西田幾多郎先生をはじめ、多くの方がたのお墓があり、ときどき参拝する。

「石井桐陰集」
自註現代俳句シリーズ四(六)

二月十二日
ねことてもいたるこいのわづらはし山本歩禪

わが家に居ついて十年以上になる雌猫がいた。春になると相も変らず雄猫がやって来たが、此頃はそれを煩わしがる素振りを見せ出した。

「山本歩禪集」
自註現代俳句シリーズ五(五六)

二月十一日
ひとこいうわさ春浅はるあさ村上杏史

六十歳過るまで独身を通した人が亡くなった。親しかった人々が集った時彼女に秘めた愛人があったという噂が出た。「よかった」と皆が言った。

「村上杏史集」
自註現代俳句シリーズ五(二七)

二月十日
たちただ吾子あこ受験じゅけんのことをのみ向野楠葉

長男は勿論、次男のときも大学受験になると、家族全部が固唾を吞むような思いで起居に気を配るのであった。

「向野楠葉集」
自註現代俳句シリーズ五(四〇)

二月九日
冴返さえかえるすまじきもののなかこい鈴木真砂女

「すまじきものは宮仕え」というが、その中に恋もあるという。人を悲します恋は、わが身を削って苦しみ悲しまねばならない。真砂女は胸を張って言う。「いい恋ではないが、恋をしたことに誇りを持っている」と。「冴返る」のうまさ。(程子)

 
「鈴木真砂女集」 脚註名句シリーズ二(四)

二月八日
とも二忌じきささめゆきふる吉館きちかん行方寅次郎

蔵王温泉の帰りに、妻と茂吉記念館によった。友二忌も忘れられない。

「行方寅次郎集」
自註現代俳句シリーズ七(三二)

二月七日
清水きよみずたいしたこいねこ浅井陽子

京都市の清水寺の舞台から見る景色は壮大だ。その下では生き物が懸命に生きている。猫も蟻も。

「浅井陽子集」
自註現代俳句シリーズ一二(一一)

二月六日
梅固うめかたたけ護符貼ごふは納屋なやのき有馬籌子

青梅の梅林。まだ咲きかけの梅に色々の美しい名前が記されていて楽しい。奥の方に昔の納屋が残っていて、御嶽護符が白々と浮いていた。

「有馬籌子集」
自註現代俳句シリーズ五(三)

二月五日
ほお栃並とちなら園春来そのはるきた森田純一郎

コロナ感染が言われ始めた頃、家に籠っていても気が滅入るだけなので、夫婦で六甲高山植物園に行った。やはり俳人は吟行すると元気になる。

森田純一郎 令和二年作。句集「街道」所収

二月四日
春浅はるあさし「大往だいおうじょう」とひとへど水原春郎

他人は母の死を大往生という。納得が出来ない。しかし病院通いもせず、肉もケーキも大好き、最期に苦しんだ様子もなく優しい顔だった。

「水原春郎集」
自註現代俳句シリーズ一一(六七)

二月三日立春
ぶくろはしりこみはるてり小林鹿郎

「立春」というはずんだ言葉から生まれる一つの「力」を表現してみたかった。

「小林鹿郎集」
自註現代俳句シリーズ六(二二)

二月二日
とし豆数まめかぞへくれしをにあます岸風三樓

孫たちが喜々として座敷にちらばった節分の豆を、めいめいの齢の数だけ拾っている「はい、おじいちゃんの分」と渡された豆は掌からこぼれるほどの量で、孫たちが大きくなってくれた喜びとは別に、自分の老いたことを知る淋しさがあった。

 
「岸風三樓集」 脚註名句シリーズ一(一九)

二月一日
こごりやくにはじめのあわしま福永法弘

淡路島には弥生時代の大規模製鉄遺跡がある。天之瓊矛に始まる我が国の黎明はきっと、煮凝りのように混沌としていたことだろう。

福永法弘 句集『永』より、作句年2021年

一月三十一日
かんすずめさんこえかりけり古賀雪江

寒中の雀は、寒気のために全身の羽毛を膨らませてころころしている。その四散に声も無かった。

「古賀雪江集」
自註現代俳句シリーズ一二(一三)

一月三十日
吹雪ふぶきやさきのさきまで姥捨うばすて小原啄葉

地吹雪の姥捨野。昔六十歳に達した老人は、この山に捨てられた。遠野地方では、働きに行くのを墓立ち、家に帰るのを墓上りという。

「小原啄葉集」
自註現代俳句シリーズ四(一六)

一月二十九日
探梅たんばい車駅しゃえきつむじかぜなか浦野芳南

梅を探るべく駅に下りた。改札口を出ると、小駅を包むつむじ風が砂を巻きあげていた。探梅行の寒さを象徴するように。

「浦野芳南集」
自註現代俳句シリーズ三(五)

一月二十八日
がけ氷柱つららそりすずのくるごとしきくちつねこ

どこか山の温泉へ行く途中で出来たように思う。不揃いの崖氷柱に陽が差していて、そのきらめきが七、五の比喩を生んだ。

「きくちつねこ」
自註現代俳句シリーズ三(一一)

一月二十七日
雪橇ゆきぞりをのせ子乗このあおのす中山純子

育児に追われ、句会にさえも出られなかった頃。雪橇は林檎箱で父親がつくった。

「中山純子」
自註現代俳句シリーズ二(二七)

一月二十六日
冬帽ふゆぼう子顱しろちょううすきにのせて川畑火川

火川そのものだ、といって波郷氏が大笑いされた。神田如水会館の句会だった。

「川畑火川集」
自註現代俳句シリーズ五(三九)

一月二十五日
新生しんせい児二じにじゅう三人さんにんゐてしゅく都筑智子

厚い硝子戸越しに廊下から眺める。生れた順に並んでいて双生児も三組いる。時間が来ると非情なブラインドが内側から下りて対面は終りとなる。

「都筑智子集」
自註現代俳句シリーズ七(四五)