俳句の庭/第17回 鵜は神の使い  能村研三

能村研三
1949年、千葉県市川市生まれ。1976年より福永耕二に師事。 「沖」入会ののち、同人を経て2013年から主宰を継承。国際俳句交流協会副会長、千葉県俳句作家協会会長。「朝日新聞千葉版俳壇」選者。「読売新聞」地方版選者。「北國新聞」俳句選者。1997年、俳人協会新人賞を受賞。句集に『鷹の木』ほか7冊。他にエッセイ集。公益社団法人俳人協会理事長。

 鵜はペリカン目ウ科に属する水鳥で、日本には海鵜と川鵜がいるが、鵜飼に使われるのは海鵜で、体が大きく力も強いうえ我慢強く比較的おとなしい性格であると言われている。その海鵜が神の使いとして伝わる神事がある。能登地方に伝わる鵜祭で、4年前の平成28年に「鵜様の宿」総本家の方のご案内で見にいくことが出来た。
 12月16日の早朝、午前2時外は雪が降りしきる中を氣多大社に向けて車で出発。気多大社は何度も訪ねているので、馴染みのある所だが、雪が降りしきる暁闇中の神社のたたずまいは厳かな趣があった。
 鵜祭は気多大社の神事で神前に放った鵜の動きから翌年の吉凶を占うもので、鵜は40キロ離れた七尾市鵜浦で捕獲され、3日かけて徒歩で運ばれるが、籠に入れられた鵜は「鵜様」と呼ばれ、道中「ウトリべ、ウトリべ」と連呼して通過を町の人に知らせる。祭儀は午前3時から拝殿で行われ、神前に設けた木製の台に一対の蝋燭が灯る中、神職と鵜捕部が問答を交わした後、鵜が放たれる。鵜がよどみなく上れば吉、なかなか進まないときは凶とされる。社殿の一番前に席をいただいたが、祭儀を待っている間は寒さがしんしんと忍びよる中、鵜様が来られるのを待った。この年は元気な鵜で、神前に放たれた鵜は瞬く間に蝋燭を掻き消し突然漆黒の闇に包まれた。大役を終えた鵜は宮司の手で別の籠に移されて、雪が舞う中、大社の一の鳥居近くの一之宮海岸で暁闇の空に放たれた。
 今年は2年続けて主役となる「鵜様」の捕獲が出来なかったことで中止となったが、コロナ禍で日本中が疲弊している時こそこの神事は是非やってほしかった。