俳句の庭/第6回 ベツレヘムの星 西村和子
桜の花便りが聞かれるころ、地に星を撒くように毎年咲く花がある。うす紫の星形からベツレヘムの星とも呼ばれる花韮だ。この花をきれいと思ったのは、この町に移り住んでからのこと。道端で見かけるものより紫の濃い可憐な花を、門扉の外にふり撒くように咲かせる家が近所にある。
駅までの坂を上る途中のその家の門扉はいつも閉ざされていて、人の姿を見たことはない。この花が咲くと歩をゆるめるのだが、門に嵌めこまれた二つの木の表札は色褪せ、字を読もうとしたこともなかった。数年経ったころ、その門に愛らしい赤いマントの少女の絵のポスターが貼ってあるのを見かけた。「ねむの木学園」の子どもたちの展覧会の知らせだった。
ここはもしかしてあの小説家と女優が棲んでいた家、と気づいた後も、門から奥まった家はいつもひっそりしていた。小説家の亡きあとも、その書斎は生前のままと聞いた。
文字が消えていた表札が、墨痕淋漓と書き直されたのは、最後の文士と呼ばれた小説家が他界して二十数年経ったころだった。その年の星形の花は、いっそう鮮やかに揺れていた。
この春、女優の訃報をニュースで知った。わが町の桜が咲きはじめた日だった。昨日あの家の前を通りかかった。女あるじを失った門扉は開け放たれ、地上の星たちは色を失って震えていた。