俳句の庭/第7回 『嵐が丘』のヒース 角谷昌子
角谷昌子 東京生まれ。昭和63年、鍵和田秞子に師事。句集『奔流』『源流』『地下水脈』、評論『山口誓子の100句を読む』『俳句の水脈を求めて 平成に逝った俳人たち』(俳人協会評論賞受賞)、共著『英語四行連詩』『花の歳時記』ほか。現在、「未来図」同人。英語俳句講座講師。俳人協会理事、国際俳句交流協会理事、日本現代詩歌文学館評議員、日本文藝家協会会員。朝日新聞「俳句時評」連載中。 |
高校時代、エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』に心を揺さぶられた。「嵐が丘」の館の主は、孤児だった男の子を引き取って養子として育てた。だが主が亡くなったあと、その子は愛する女性にも裏切られ、家を追われた。それが主人公ヒースクリフ。皆に復讐心を燃やす憎悪の塊のような存在だ。名前もヒース(荒地の花)・クリフ(崖)と象徴的。のちに見た映画の主人公ローレンス・オリヴィエの風貌と寒風吹きすさぶ高地のヒースの画像が重なり、この植物の名はしっかりと胸に刻まれた。
ヒースは日本ではエリカとも呼ばれ、春の季語だ。種類によっては薬用にもなると言う。ヒースは砂地で逞しく育つイメージなので、園芸店の蛇の目エリカの鉢植えでは野趣に欠け、とても小説の悲劇性は伝わってこない。
やがて夏に海外派遣で英国北部を訪れ、野生のヒースを見ることができた。現地では6月に小さい房状の花が咲き始め、やがて一面を淡いピンクに染める。『嵐が丘』の荒涼とした不毛の大地を一気に変える可憐な花だ。低灌木の荒々しさと小さな花の優しさの違いに驚かされる。
エミリーの姉シャーロットは『ジェーン・エア』を出版し、ベストセラー作家となった。これに対して当時、『嵐が丘』の評判は低かった。エミリーは出版翌年の1848年、30歳で無名のまま病没した。作品の評価が高まったのは20世紀に入ってからだ。ヒースの花は若くして亡くなった作家の果たせぬ夢のように小説の舞台の荒地を明るく彩ってゆく。