俳句の庭/第52回 月が遠い 小澤 實

小澤 實
昭和31年、長野県生れ。平成12年「澤」創刊、主宰。平成10年、句集『立像』で第21回俳人協会新人賞。平成18年、句集『瞬間』で第57回讀賣文学賞詩歌俳句賞、平成19年、評論「俳句のはじまる場所」で第22回俳人協会評論賞、令和4年、『芭蕉の風景上・下』で第73回読売文学賞随筆・紀行賞。現在、俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞俳壇選者。

 季語の中の季語、雪月花のなかで、ぼくには、月がもっとも遠い。
 雪も花もたっぷり味わったことがある。雪は、幼い頃、伊那谷木曽谷で育ったので、雪掻きもしたし、雪達磨も作った。雪道を歩いて、学校に行ったこともある。長靴に雪が入った時の冷たさも知っている。
 冬が長い信濃育ちとしては、花が咲きだすのは、ほんとうに待たれる。桜の花が咲き出すと、強い喜びを感じてきた。通俗的だが、花の下で友と酒を飲む喜びも知っている。
 それに対して、月はそれほど味わったことがない。『芭蕉の風景上・下』の連載で、芭蕉の月の発句を訪ねて、さまざまな土地を旅をした。しかし、昼間、芭蕉が月を詠んだ場所を歩きまわっても、夜に芭蕉が仰いだ月を実際に仰いでみることまではして来なかった。これはぼくの俳句の弱点になっている。俳句は昼つくるもので、夜に詠むものではない、夜は酒を楽しむ時間と思い込んでしまっているところもあるようだ。
 芭蕉は、『おくのほそ道』の旅の終わり近い福井で、福井の名所にちなんだ月の句を、一晩になんと十五句も作っている。その内『おくのほそ道』に収録されている句には「月清し遊行のもてる砂の上」がある。
 よく晴れて月の出た夜に、芭蕉に倣って、月をよく見て、月の句を作ってみたい。一箇所にとどまって見ているだけでなく、歩き回って作ってみるのもおもしろいかもしれない。