俳句の庭/第54回 月の光 片山由美子
片山由美子 1952年、千葉県生まれ。鷹羽狩行に師事。「狩」副主宰を経て、2019年「香雨」創刊、主宰。「毎日俳壇」選者。公益社団法人俳人協会副会長。公益社団法人日本文藝家協会理事。俳句研究賞、俳人協会評論賞、俳人協会賞などを受賞。句集『飛英』ほか6冊。評論集、対談集、エッセイ集、入門書など著書多数。 |
ドビュッシーの「月の光」を初めて聴いたのはいつのことだろう。こんなに美しい曲があるのかと驚いた。ピアノの響きでありながら、降りそそぐ月光が目に見えるような気がしてくる。基本的には音楽は何かを模するためにあるわけではないが、月光という音とは無縁のものを音によって描写できることに驚いたともいえる。クラシック音楽に特別なじみがなくても、この曲を知っている人は多いはずだ。冨田勲氏がシンセサイザー・ミュージックでデビューしたのもこの曲で、アルバムのタイトルが「月の光」。これを聴いてドビュッシーを知った人もいたかもしれない。既に50年前の話ではある。
ドビュッシーの「月の光」はいかにもフランス音楽らしいエスプリに溢れているが、フランス音楽にはもうひとつ「月の光」という作品がある。フォーレの歌曲「月の光」である。こちらもドビュッシーに劣らず美しい。ヴェルレーヌの詩にフォーレがメロディーを付けた曲で、フランス語の響きが何とも魅力的である。昔、私の家の近くにフランス歌曲が専門のソプラノ歌手の方が住んでいた。フランス留学のあと某音楽大学の講師をされていて、結婚されたのが新日鉄の社員の方で、社宅がわが家の近くにあったということなのだが。縁あってその方に練習用の伴奏をして欲しいと言われてしばらくお宅に通った。その時にフォーレの歌曲など何曲か知ることができたが、やはり「月の光」が一番美しいと思った。ピアノの伴奏部分がほとんど独奏曲のような曲なので、その後もひとりで時々弾いていた。月の美しい夜には、頭の中でドビュッシーやフォーレの曲が流れだす。
夏の月昇りきつたる青さかな 阿部みどり女