俳句の庭/第69回 修行の山、英彦山 坂本宮尾

坂本宮尾
昭和20年旧満州、大連生まれ。東京女子大学の白塔会で山口青邨の指導を受ける。「夏草」終刊後、「天為」、「藍生」の創刊に参加。評伝『杉田久女』で第18回俳人協会評論賞受賞。第6回桂信子賞、第5回与謝蕪村賞受賞。句集『天動説』、『木馬の螺子』、『別の朝』、『自註現代俳句シリーズ坂本宮尾集』、句文集『この世は舞台』。著書『真実の久女』、『竹下しづの女』。現在は、「パピルス」主宰、俳人協会理事。

 忘れ難い山といえば、九州の英彦山が浮かぶ。杉田久女が名句〈谺して山ほととぎすほしいまゝ〉を詠んだ山である。ある夏、この修験道場の霊山で句を詠んでみようと思い立った。四半世紀ほど前のことで、まだスロープカーがなかった。和服姿の久女が登ったのだからたいしたことはないだろう、と高をくくっていたが、銅の鳥居から奉幣殿まで続く長い参道を登っただけで音を上げた。
 そこで一旦帰宅して、登山用の装備で再挑戦した。九月の土曜日で奉幣殿にはかなり人がいたが、そこから上は人影がなかった。山伏が築いた石段は一段が大きく、登るのに苦労した。途中には鎖場もあり、急峻であった。
山頂の手前の行者堂で、読書をしている人の姿が目に入った。その人も私に気がついたらしく、ウインドブレーカーのフードを被ると、くるりと背を向けた。山で出会う怖ろしいものは、蛇でも熊でもなく、人間だと思った。一人通れるだけの狭い山道で、片側は崖である。私は疲れも忘れて、一目散に山頂に向かった。山頂の上宮の前には数人が休んでいてほっとした。行者堂の人も私が現れて驚いていたのかもしれない。
 上宮の社殿は山頂とは思えないほど立派であった。久女は何度も英彦山の宿坊に泊り、一人で山を歩いては多くの句を詠んだ。竹下しづの女も上宮の景を詠んでいる。明治生まれの女性は、肝が据わって気合いが入っていたのだと敬服した。私は先達の名吟に感嘆するばかりで、一句も得ることができなかった。上宮は傷みが激しく、現在は修復作業を行っているようだ。