俳句の庭/第72回 山 仲村青彦

仲村青彦
昭和19年千葉県木更津に生まれる。昭和56年「朝」主宰・岡本眸に師事。平成29年「朝」の終刊により 「予感」を創刊する。「予感」主宰。俳人協会理事。句集に『予感』(俳人協会新人賞)『樹と吾とあひだ』『春驟雨』 『夏の眸』、評論に『輝ける挑戦者たちー俳句表現考序説ー』(俳人協会評論賞)。

 木更津の秋は富士山がみえる。東京湾の対岸に均整の取れた容姿ですっきり現れる。やがて冠雪の富士、雪嶺の富士、雪解けの富士。五月の半ばまで富士山は見える。富士山が見えると、家は平安で妻と母が愉しそうに話す。
 富士山が見えない夏、妻は落ち着かない。秋に見えだすと不思議なくらい生き生きする。思えば、新潟・新井の妻の実家は、玄関を一歩通りに出ればその先に妙高が聳えている。通りに出なくとも二階の窓から顔を出せば、妙高と対面できる。ただ一度だけ、「妙高が見えなかったの、工場の火事で家が焼けて逃げたの」――こども言葉でそう言ったことはあった。
 妙高山でなかったが、木曾の御嶽山に一緒に登った。一人で登った時は雨に視界を奪われ遭難しかけたが、一緒に行くという妻と登ると、御来光に恵まれた。それからは御嶽山に呼ばれたように幾度も一緒に登った。登るたび完璧な御来光が待っていた。五度目の登山時、本宮奥社で礼拝していると、「きれいきれい、真っ赤」と妻が叫んだ。その年の秋10月28日、御嶽山が噴火した。
 一時は夫を父親としか理解できなかった妻に絶えずしゃべった。山の話をし続けた。欧州旅行は想い出せない妻が、妙高のこと御嶽山のことは話すことができた。拙句「時の日の葉書いちまい書く暇なし」に大袈裟との評を受けたが、本当にその通りの在宅介護生活で、いま妻の認知症は治りかけている。