俳句の庭/第74回 石童山 福永法弘
福永法弘 昭和三十年、山口県生まれ。 松本澄江、有馬朗人に師事。句集『福』、エッセイ集『俳句らぶ』、『北海道俳句の旅』、共著『角川俳句大歳時記』、『女性俳句の世界』や小説など著書多数。小説『白頭山から来た手紙』で第3回四谷ラウンド文学賞受賞。「天為」選者・同人会長、「石童庵」庵主、俳人協会理事。 |
かれこれ30年ぐらい前だろうか、俳号が欲しいと思い、あれこれ考えてみた。
幾つか案を用意して天為の有馬朗人主宰に相談したところ、たいがいのことには「いいですね、おやんなさい」と言ってもらえていたのに、この件だけは、「俳号など考える暇があったら、もっと俳句を作んなさい」と一蹴されてしまった。確かに朗人先生の弟子には、俳号を持っている人は稀で、ほとんどが本名を使っていることの意味を、その時初めて知った次第。
先生に反対された以上、俳号を勝手に使うわけにはいかない。しかし、いくつか考えた中で、どうしても捨てきれない一案があった。それが「石童庵」である。「いしどうあん」と読む。
私の故郷、山口県玖珂郡美川町(今は岩国市の一部)にある石童山(標高496メートル)から取った名前で、そもそもの由来は高野山信仰の石童丸の説話による。
錦川清流鉄道の南桑駅からおよそ2.5キロの登り道があり、かれこれ60年くらい昔の子どもの頃、学校の遠足や子供会の行事で何度か登った。1時間半くらいでたどり着ける頂上からは、その頃は瀬戸内海を望むことが出来たが、最近登った人のSNSを見ると、途中にあった高佐手集落は石垣を残す他は跡形もなく、雑木が生い茂る頂上には三角点の印があるのみで、眺望は全くなくなっているようだ。
冬の山日当たる肩を並べけり 福田南江
南江さんは、私が小・中学生の頃の学校医で、私の叔母と同じく『同人』に拠った人。その人の句碑が、石童山を見上げる南桑集落の福田医院の庭に今も立っている。