今日の一句:2019年04月
- 四月一日
三鬼忌や眼こげざる焼魚 土生重次 西東三鬼の叱咤。
「 土生重次集」
自註現代俳句シリーズ六( 三五)
- 四月二日
太陽の虜となりて諸子釣る 山崎寥村 承前「諏訪行六句」の中より。諏訪湖のほとりでは、まぶしいほどの日射の中で多勢の釣人を見かけた。諸子だという、柳の葉のような魚だつた。
「 山崎寥村集」
自註現代俳句シリーズ六( 三五)
- 四月三日
子を呼べば鏡中に声して春や 今瀬剛一 十七音であるがリズムは五、九、三の破調。別に意識したわけではないが口の中で調えているうちにこうなってしまった。「 春」を表現したかった。
「 今瀬剛一集」
自註現代俳句シリーズ六( 三三)
- 四月四日
八丈富士瑠璃春潮に裾ひたす 新倉矢風 涯しない太平洋の瑠璃潮の重量感には圧倒される。八丈島など一塊の浮島の感じ。
「 新倉矢風集」
自註現代俳句シリーズ六( 四〇)
- 四月五日清明
清明や菜屑へ土をかけてをり 嶋田麻紀 御所人形が作りたくて野口光彦先生の塾で人形作りに励んだこともあった。子供の頃に親しんだ雛には御殿があり、官女は動く形だった。
「 嶋田麻紀集」
自註現代俳句シリーズ八( 六)
- 四月六日
返事して新入生となりにけり 縣 恒則 俳人協会第四十八回全国俳句大会大会賞受賞。
「 縣 恒則集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一四)
- 四月七日
相聞歌心にありてこぶしの花 中山純子 当てのない相聞歌に、白いこぶしの花が咲く。
「 中山純子集」
自註現代俳句シリーズ二( 二七)
- 四月八日
師の下に馳す心尚虚子忌来る 深見けん二 虚子先生に出会ったということが、私の一生を決定したとこの頃思うことが多い。まる二十年経っての虚子忌。
「 深見けん二集」
自註現代俳句シリーズ三( 二九)
- 四月九日
はなびらのつけねのいろもはるのはて 落合水尾 暮春。春たけてゆく陽光を浴びて、花びらの付け根の色が鮮明。そこにも春の終りのたぎるような叙情を見た。
「 落合水尾集」
自註現代俳句シリーズ六( 三四)
- 四月十日
ひらく書の第一課さくら濃かりけり 能村登四郎 教師生活に飽きた時でも新学年はさすがに緊張する。救科書の第一頁をひらくとあたらしい匂いがした。咲きはじめた桜はまだ紅の色が濃い。
「 能村登四郎集」
自註現代俳句シリーズ二( 三〇)
- 四月十一日
麗かや笑ひ仏の農夫顔 羽部洞然 農夫顔の石仏は庶民の製作を思わせて面白かった。
「 羽部洞然集」
自註現代俳句シリーズ六( 四一)
- 四月十二日
指組めば指が湿りぬ桜草 鈴木鷹夫 この句は二、三の歳時記に載っている。私の句はこのような二句一章の形が多い。「 俳諧は取合せなり」と芭蕉も言っているが......。
「 鈴木鷹夫集」
自註現代俳句シリーズ六( 三八)
- 四月十三日
啄木忌いくたび職を替へてもや 安住 敦 敦は少年の頃から啄木が好きだったという。共なる貧しさに啄木をいっそう身近に感じたという。この句の原句は「 いくたび職を替へても貧」の由。実の処と敦はいう。万太郎は「 貧」を削り「 や」を入れたと。この「 や」が、後、俳壇で好評になった。( 雁梓幸)
「 安住 敦集」
脚注名句シリーズ一( 二三)
- 四月十四日
子を宙に吊る風船や水翳る 井桁白陶 谷内六郎の童画が好評。赤い風船が水の上を頭を振りながら上昇する。白い糸を持った儘子供も空へ昇ってゆく。
「 井桁白陶集」
自註現代俳句シリーズ六( 三六)
- 四月十五日
天山へ巣立ちし鷹に乗られしか 岩永佐保 四月十五日。湘子先生御逝去。先生の句に< 天山の夕空も見ず鷹老いぬ>があれば。
「 岩永佐保集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二八)
- 四月十六日
駘蕩と湾へ伸びゐし防波堤 木内怜子 同前作、長い防波堤は、うらうらした日和に、身を伸ばしくつろいでいるようだ。
「 木内怜子集」
自註現代俳句シリーズ七( 四一)
- 四月十七日
朧なりグラス回せば花となる 千代田葛彦 或る夜。歓楽境の片隅で。七分酔。
「 千代田葛彦集」
自註現代俳句シリーズ二( 二五)
- 四月十八日
花菜漬夫の知らざる石重し 殿村菟絲子 男性の日常は案外重い物を持たない。主婦は身に不調和なものを戦時中に背負い馴れた。漬物石はそれ程ではないがふと思ったことである。
「 殿村菟絲子集」
自註現代俳句シリーズ三( 二二)
- 四月十九日
蝶とぶや心に昔明滅し 徳永山冬子 蝶のとび行くさまを見る。その羽の開閉に感興を覚え、その羽の閃々するのに合わせて遠い日の頃を追想する。蝶こそ古き日の友なれや。
「 徳永山冬子集」
自註現代俳句シリーズ二( 二六)
- 四月二十日穀雨
本読むは微酔のごとく穀雨かな 鳥居おさむ 晴耕雨読の好季。久し振りに名著にめぐり逢えて興奮した。
「 鳥居おさむ集」
自註現代俳句シリーズ七( 三五)
- 四月二十一日
綻ぶや雪百日の傷桜 西村公鳳 この句は、豪雪の厳しい冬を凌ぎ、春を迎えた金沢人の歓びを込めて詠んだ。この句碑を金沢市の卯辰山公園に建てて貰った。
「 西村公鳳集」
自註現代俳句シリーズ二( 二八)
- 四月二十二日
風車売れてさみしき荷をたたむ 白岩三郎 遊園地で見た景をベースに作った。まだ荷をたたんではいなかったが、みんな売れたとしたら一寸淋しい荷台になるだろうと思った。
「 白岩三郎集」
自註現代俳句シリーズ六( 三九)
- 四月二十三日
鎌倉に主峰はあらず花曇り 田中貞雄 「 鎌倉は三方を山に囲まれ......」とよく紹介されるが、最高峰は天園ハイキングコースの大平山。標高は二百メートル余り、主峰とは言いにくい。
「 田中貞雄集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五四)
- 四月二十四日
予備校に螺旋階あり春の雲 米谷静二 予備校生の生活は世間が考えるほど暗くはない。非常用の螺旋階段と、その向うの春の雲は実景だが、象徴的と考えて頂いてもよい。
「 米谷静二集」
自註現代俳句シリーズ五( 二九)
- 四月二十五日
無造作に苗代おどし立てて去る 原田青児 山形市郊外にて。畦道を男がすたすたと来たかと思うと、担いで来た案山子を立て、その方を見向きもせずに、すたすたと引き返して行った。
「 原田青児集」
自註現代俳句シリーズ五( 三三)
- 四月二十六日
昼と夜がゆつくり変る葱坊主 角田独峰 晩春の頃だんだん日永になり仲々日が暮れない気持の中で葱坊主がいつまでも立ったままでいるのに目をとめている。ゆっくりと地球は自転する。
「 角田独峰集」
自註現代俳句シリーズ五( 二三)
- 四月二十七日
晩年のまろき筆跡うららなり 水原春郎 父の若い頃の字は細くて優しい字だったが、晩年になって変って来た。
「 水原春郎集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六七)
- 四月二十八日
友情やかたちなかりし蓬餅 瀧 春一 晩紅里居を訪ねたら彼は非常に喜んで、大きな木鉢に盛った草餅と黄粉を出してくれた。搗き立てその儘でまだ草餅に作られてなかった。
「 瀧 春一集」
自註現代俳句シリーズ三( 一九)
- 四月二十九日
履き替へし足袋の白さで遍路発つ 佐野まもる 早朝宿を出発するとき、遍路はちゃんと白い足袋に履き替えていた。大師の精神の求めを遍路旅に託しているものの心得のよろしさである。
「 佐野まもる集」
自註現代俳句シリーズ三( 一六)
- 四月三十日
黒といふ春光にあり孔子廟 大木さつき 神田聖堂での吟行。たまたま孔子廟が開けられていて拝することができた。艶のない黒塗りがものさびて春光と感じた。
「 大木さつき集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四八)