今日の一句:2019年05月
- 五月一日
東京の夜景に薔薇を加へけり 櫂未知子 根っから「 東京」が好き。そこにこの花が色を添えてくれたら、言うことはない。
「 櫂未知子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四一)
- 五月二日
八十八夜丈高き男喩しからむ 橋本草郎 茶摘みどきの吟行。男の平均身長を下回る私は、小さいときから背の高い人をうらやましく思っていた。
「 橋本草郎集」
自註現代俳句シリーズ九( 九)
- 五月三日
尻の向き正されどほし祭馬 阿部子峡 米沢、上杉祭の武者行列、あまりの人出に馬も落ち着かない。
「 阿部子峡集」
自註現代俳句シリーズ九( 一二)
- 五月四日
母の知る讃美歌ひとつ聖五月 西嶋あさ子 季語「 聖五月」は、使うことがないと思っていた。異教徒であっても、これなら許されようか。
「 西嶋あさ子集」
自註現代俳句シリーズ八( 七)
- 五月五日
二つまで見えて弱星子供の日 奈良文夫 ぼうっとした夜空の淡い星。泣き虫の子供の目のよう。
「 奈良文夫集」
自註現代俳句シリーズ八( 二七)
- 五月六日立夏
銭湯へ子と手をつなぐ傘雨の忌 橋本榮治 私の住む生麦にはかつて七軒の銭湯があった。自分が手をつないだような表現になっているが、通りがかりに見た景であり、季語には相当悩んだ。
「 橋本榮治集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四〇)
- 五月七日
石切の鉢巻白き立夏かな 小谷舜花 石ブームのはしりの頃の句。石切の石とは質が違うが、石切の白い鉢卷がまことに印象的。
「 小谷舜花集」
自註現代俳句シリーズ七( 二一)
- 五月八日
美しき五月の汗を拭はずに 鷹羽狩行 すこし汗ばむころの汗を、貴重品のように喜ぶ。「 美しき五月」とは、ハイネその他の西ヨーロッパの詩人の作品に、よく出ている。
「 鷹羽狩行集」
自註現代俳句シリーズ一( 二)
- 五月九日
地下鉄を上がれば神田祭かな 前野雅生 地下鉄の階段を上がると、もうそこは神田祭の坩堝。神興渡御が近づいていた。地下から這い出した虫よろしく、あたりを驚いてうかがった。
「 前野雅生集」
自註現代俳句シリーズ八( 四九)
- 五月十日
藍々と五月の穂高雲をいづ 飯田蛇笏 蛇笏は何度か上高地へ出かけたようだ。それは一方で白骨温泉への入湯の目的もあった。五月と云えばまだ残雪も多い。鋼のような肌を見せて、雲を抽く穂高の最も美しい季節である。本来「 藍々」という成語はない。蛇笏の造語とみるべきだろう。(丸山哲郎)
「 飯田蛇笏集」脚註名句シリーズ一( 二)
- 五月十一日
たかし忌や生れてみどりの蜘蛛走り 岩崎健一 松本たかしの句を敬っていたので、毎年忌日に句を作っていた。「 たかし忌の松蟬をきく途上かな」「 新茶淹れけふたかし忌と妻に告ぐ」等。
「 岩崎健一集」
自註現代俳句シリーズ七( 二五)
- 五月十二日
母の日の母の手作りパンケーキ 菊地凡人 母の日、嫁の実家のお母さんが作ってくれたパンケーキ、カーネーションより心がこもっている。
「 菊地凡人集」
自註現代俳句シリーズ九( 一三)
- 五月十三日
梨棚の簀囲ひあらき五月かな 川畑火川 房州にあそんだ。大原の手前、岬梨の産地である。あながちそこでなくとも、私の墓苑の周り、市川近郊は梨畑ばかりである。
「 川畑火川集」
自註現代俳句シリーズ五( 三九)
- 五月十四日
表情を決めかねてゐる祭姫 名村早智子 葵祭の斎王代は祭の主役。十二単を纏い、およよに揺られながら、見せてくれる控え目な笑顔が、この祭りをゆかしくしている。
「 名村早智子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三九)
- 五月十五日
御車はうしろさがりや賀茂祭 後藤夜半 この年は五月十五日に賀茂祭を見ている。余程感興が湧いたと見えて二十八句が作られ多くの佳句がのこっている。「 よそ見して馬の口とる賀茂祭」「 みちをしへ翔ちし糺の祭かな」がこの句の後にある。うしろさがりの御車は質茂祭の悠長さを伝える。(後藤比奈夫)
「 後藤夜半集」脚註名句シリーズ一( 八)
- 五月十六日
受話器とる妻の濡手や初鰹 岡田貞峰 夕餐仕度に忙しい妻に電話が鳴る。素早く受話器をとる濡れ手。
「 岡田貞峰集」
自註現代俳句シリーズ四( 一四)
- 五月十七日
カメラ塞ぐ三社祭の大団扇 長谷川かな女 かな女が自分でカメラを持つ訳はないので、撮影している人の姿を詠んだのであろうが、このカメラはプロのカメラマンの物だと思う。三社祭の神輿をかつぐ若衆もしんけんならば、それを撮るカメラマンもしんけんである。瞬間に大団扇がレンズを塞ぐのもロマン。(星野紗一)
「 長谷川かな女集」 脚註名句シリーズ一( 一二)
- 五月十八日
折れさうな橋渡りけり菖蒲の芽 稲富義明 鍋島旧亭の池に折れそうな丸木橋が掛っている。菖蒲の芽が池の水面を抽けたばかり。
「 稲富義明集」
自註現代俳句シリーズ九( 一一)
- 五月十九日
木の花の五月は白き愁ひかな 関 成美 五月という季節が好き。その頃に咲く木の花も。野茨の花、空木の花、アカシアの花、どれも白。五月の花は、青野の風の中で愁い心に見る花だ。
「 関 成美集」
自註現代俳句シリーズ七( 二〇)
- 五月二十日穀雨
爪先まで青葉の毒のまはりきる 伊藤白潮 青葉どきというのは本当はオゾンなどが充満していて、人間にもいいのだろうが、反対にいつも私は深酒をするのが常だ。青葉のせいなのだ。
「 伊藤白潮集」
自註現代俳句シリーズ五( 六一)
- 五月二十一日小満
小満の日や真つ白きハンチング 上田和子 市川句会へ行く途中、白いハンチングをかぶった人を見た。苦労しないでこの句ができた。
「 上田和子集」
自註現代俳句シリーズ八( 一〇)
- 五月二十二日
わが味と言へるを持たず蕗を煮る 佐藤公子 祖母のは、しょっばい伽羅蕗。母のは、皮をむいて薄味に煮たもの。私の味はその都度違う。
「 佐藤公子集」
自註現代俳句シリーズ七( 二二)
- 五月二十三日
ひめぢよをん美しければ雨降りぬ 星野麥丘人 雨の中の姫女苑。雨はしばしば対象に効果を添える。だが、それはいいことであるか。あなたには雨の句が多いと言われたことがある。
「 星野麥丘人集」
続編現代俳句シリーズ一二
- 五月二十四日
天上に父のちからの朴一花 能村研三 平成九年に<天上の母灯るごと朴ひらく>という句を作ったが、父の一周忌に合わせて朴が一つ花をつけた。父の忌日を「 朴花忌」とも言う。
「 能村研三集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六三)
- 五月二十五日
雲往ける高さに谷戸の朴咲けり 伊東宏晃 鎌倉の報国寺(竹寺)の石庭近くから眺めた景。山の中腹にひときわ高く朴が咲いていた。<竹林の水際立ちし梅雨入りかな>
「 伊東宏晃集」
自註現代俳句シリーズ九( 一〇)
- 五月二十六日
町中に大川あをき祭かな 石原舟月 越後三条市。町中は祭の賑いにどよめきがある。この町には大川が青々と流れてしずかである。そこにかえって祭を感ぜずにはいられない。
「 石原舟月集」
自註現代俳句シリーズ二( 三)
- 五月二十七日
新しき道のさびしき麦の秋 上田五千石 新設の道は、土地になじまない。そのさびしさ。
「 上田五千石集」
自註現代俳句シリーズ一( 一五)
- 五月二十八日
辰雄忌の朴を仰ぎて蕾なし 大島民郎 五月二十八日は辰雄忌。水原先生の最後となられた軽井沢行にお伴し、私達は「 高原荘」で句会に励んだ。朴を仰ぐと辰雄の小説が思い出される。
「 大島民郎集」
自註現代俳句シリーズ三( 七)
- 五月二十九日
地より湧き地に還る水花菖蒲 鍵和田秞子 この句は確か京王百花苑の花菖蒲だったと思う。もっともどこの菖蒲苑でも大体こんこんと水が湧き、苑をうるおしているが。
「 鍵和田秞子集」
自註現代俳句シリーズ五( 一一)
- 五月三十日
鶏小屋に水にじませし植田かな 藤本安騎生 鶏小屋と植田との距離。実際はその間に細い野菜畑があった。
「 藤本安騎生集」
自註現代俳句シリーズ八( 一六)
- 五月三十一日
いつせいに走りし新樹思ひをり 阿部誠文 樹陰に座って休んでいた。すると、どの樹も、いっせいに、同じ方向へ走っていった。天変地異の前ぶれかもしれない。私の背に日が当たっていた。
「 阿部誠文集」
自註現代俳句シリーズ八( 一五)