今日の一句:2019年07月

七月一日
山頂に住む人避暑に登る人町 春草

水も電気もない峠に住んでいる人。夏になると登山してくる人。人生のさまざまな生き方を見るようでもある。

「 町 春草集」
自註現代俳句シリーズ六( 二七)

七月二日
赦免状享けたるごとし昼寝覚小川かん紅

現実にかえっての実感。解放感とまではいかない。

「 小川かん紅集」
自註現代俳句シリーズ八( 四八)

七月三日
水中りとは古風なる一日かな黒田櫻の園

昔はどうかして水中りではなかろうか、と言われたものだが。

「 黒田櫻の園集」
自註現代俳句シリーズ五( 一五)

七月四日
美しき吐息ぐもりの青葡萄伊藤白潮

句集には「 木曾行」一連の中に入れてあるが、或は宿でデザートに出された葡萄か。しかしそれでは佳人の面影が出ない。旅とは離したい。

「 伊藤白潮集」
自註現代俳句シリーズ五( 六一)

七月五日
只今は裸の時間保育園堀 磯路

園児たちは丸裸になって戯れている。天真爛漫のアダムとイブたちである。保育園にある「 裸の時間」に思わず喝采した。

「 堀 磯路集」
自註現代俳句シリーズ五( 五二)

七月六日
毛虫焼くこと始めよりかかはらず長棟光山子

どちらかと聞かれたら、「 毛虫は、蛇より嫌いだ」と答える。本当は、どちらも心から好きではない。

「 長棟光山子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五二)

七月七日小暑
手加減のなき夫のあと泳ぎゆく成田清子

何をやっても夫には敵わない。私の勝てるのは料理ぐらいかな。もう黙ってついて行くしかないと観念する。

「 成田清子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四)

七月八日
生きのびし思ひの一日水を打つ板津 堯

「 打ち水」は死語であるという。都会のマンション暮らしではそうかも知れないが、地方ではまだまだ生きている。

「 板津 堯集」
自註現代俳句シリーズ八( 四〇)

七月九日
焼酎を角に吹かるる相撲牛山崎羅春

出陣前の牛の手入れは入念の上にも入念、角を磨き角に焼酎を吹きかけ闘争心を煽る。

「 山崎羅春集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一)

七月十日
香水を詰めかへ生きかた変へんとす須磨佳雪

今までは、目立たぬようというのが女の生き方の一番無難な方針だった。今日からは、思いきり、自己主張もして、と思った日香水もかえて見た。

「 須磨佳雪集」
自註現代俳句シリーズ六( 四三)

七月十一日
水守りに金星あがる大旱り宮田正和

伊賀は谷が浅く水が乏しい。旱りになると、夜も水の番に出る。旱りの赤い星。

「 宮田正和集」
自註現代俳句シリーズ六( 一三)

七月十二日
取り出でて去年のくもりの金魚玉福原十王

隣町内の夏祭、まだ日も暮れきらないのに、太鼓の音が響いてくる。浴衣を着た小さな女の子が誘いにきて、夕餉が急き立てられる。

「 福原十王集」
自註現代俳句シリーズ四( 四二)

七月十三日
うすものの息づくところ透くところ大竹きみ江

ひもで腰をしめ、帯で形をととのえると急に息づかいが目に立つ女の夏姿。絽、紗、上布、明石、透きや、など今の若い人がご存知かどうか。

「 大竹きみ江集」
自註現代俳句シリーズ三( 八)

七月十四日
二た昔前のレコード巴里祭田口三代子

フランス革命記念日の七月十四日を日本では巴里祭と呼んでいる。父が興ずるとフランス語で歌っていたことを今も思い出している。

「 田口三千代子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三七)

七月十五日
海よりの風に包まれ三尺寝八木沢高原

観音岬の旅館で夏行をした。縁側に横になって休んでいると、海から来る風が煽風機のように絶えまなくからだを包んだ。うとうとと眠った。

「 八木沢高原集」
自註現代俳句シリーズ四( 五二)

七月十六日
月下美人咲くを恋待つごとく待つ吉野義子

月下美人が咲くとてタベ早くから友の家で待った。蕾がほぐれそめてからひらくまで身じろぎもしないで待った。ひらき切るまでの長かったこと。

「 吉野義子集」
自註現代俳句シリーズ四( 五四)

七月十七日
炎天の七月十七日昏し渡邊千枝子

水原秋櫻子先生ご逝去の日、天心が暗くみえるほどよく晴れた日だった。

「 渡邊千枝子集」
註現代俳句シリーズ八( 三)

七月十八日
鉾の稚児雨の袂を重ねけり髙田正子

両手の会祇園祭吟行二年目。巡行の日までに梅雨が明けず、しかも朝から大雨。〈 雨祓ひ長刀鉾の動き出す〉。濡れるのも厭わず歩き回った。

「 髙田正子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三三)

七月十九日
泉にて手を浄めつつひとりごと小西敬次郎

泉の冷たさは昂りを押さえてくれる。心も清々しい独語は、何気なく吐き出したもの、作句するひとり言か。

「 小西敬次郎集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三九)

七月二十日
どぜう屋に居て廂間の風涼し瀧 春一

深川高橋のどじょう屋である。座敷の仕切りは簀戸で広々している。どじょう屋は暑いのが本当というが、廂間の風が涼しく入る場所を知った。

「 瀧 春一集」
自註現代俳句シリーズ三( 一九)

七月二十一日
伊勢藤の込んで来たりし夏爐かな岸田稚魚

毎月二十一日になると波郷ゆかりの、神楽坂は伊勢藤に集まる者あり。「 酒中会」と名付く。

「 岸田稚魚集」
自註現代俳句シリーズ一( 二三)

七月二十二日
ふと吐息洩るるごとくに滴れる村山秀雄

滴りにはリズムがある。テンポの速いもの、間をおくもの、とぎれるもの。この雫は溜息をつくように滴った。

「 村山秀雄集」
自註現代俳句シリーズ九( 二)

七月二十三日大暑
書きちらしとりちらしたる大暑かな古舘曹人

物書きの唯一の楽しみは書籍や資料を部屋いっぱいに拡げて、その中心に胡坐をかいているときだ。浴衣をはだけ、裾を乱した大暑。六十二歳。

「 古舘曹人集」
自註現代俳句シリーズ・続篇一八

七月二十四日
透かし見て残り楽しむラムネかな宮津昭彦

句集を編むとき、どうしようかと思った句だったが、〈 たのしむ〉の語を得て生き返ったので句集に収めた。

「 宮津昭彦集」
自註現代俳句シリーズ・続篇八

七月二十五日
不死男忌の万年筆に金の箍山口 速

不死男先生が愛用されていた、やや太目の万年筆を思い出す。その箍と、俳句の十七字という箍。

「 山口 速集」
自註現代俳句シリーズ六( 一六)

七月二十六日
校庭の納涼映画裏から見る石原 透

私の小学生の頃、こういう風景が日本にもあつた。インドでは今もこういう風景を見る。ちなみにインドは世界最大の映画製作国である。

「 石原 透集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四九)

七月二十七日
かき氷くづし栓なきことばかり立半青紹

齢と共に、ある種の諦念に身を委ねることは、至極当然のことだけど。

「 立半青紹集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四七)

七月二十八日
くびれたるところがかたし竹婦人小原啄葉

竹婦人は抱いても足をもたせても涼しい。ただ、くびれた編目のところが少しかたかった。

「 小原啄葉集」
自註現代俳句シリーズ・続篇一九

七月二十九日
夜の秋や手熨斗にたたむ肌のもの伊藤康江

膝の上で肌着をたたんでいて、はたと昔の母の姿を思い出した。

「 伊藤康江集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一八)

七月三十日
背の高い子が蝉取りの先頭に宮崎すみ

二枚目の条件は背の高いこと。更に虫取りがうまければ言う事はない。

「 宮崎すみ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四)

七月三十一日
ききとめし夏越祭のなかのこゑ伊藤通明

七月三十一日、筥崎八幡宮夏越祭にて。参道の雜踏のなかで、確かに覚えの声を聞いた。「聞きとめ」たことに満足しながら、近づいていった。

「 伊藤通明集」
自註現代俳句シリーズ四( 九)