今日の一句:2019年08月
- 八月一日
憑きもののごとくに跳ねてねぶたなり 藤木俱子 主人の同級生であるNTTの吉田実氏が来青した。NTTのお揃いのねぶた衣裳を着せて頂き、少しの間跳ねた。北国のエネルギー爆発の夜である。
「 藤木俱子集」
自註現代俳句シリーズ八( 二一)
- 八月二日
泡盛を酌みて寝るのみ島酷暑 向野楠葉 承前。毎日の酷暑に悩まされながらの診察は、昼餉をとるひまもなかった。夜は泡盛を酌んで、疲れを癒すのが唯一の慰めであった。
「 向野楠葉集」
自註現代俳句シリーズ五( 四〇)
- 八月三日
晩涼や葛西囃子を遠く聞き 二宮貢作 岩崎健一先生の深川句会は富岡区民館が会場だった。祭の近い頃、ここで句を案じていると、葛西囃子が風に乗って聞こえてきた。
「 二宮貢作集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二二)
- 八月四日
鳴く蟬の遠潮騒に似て晩夏 行沢雨晴 夏も深くなると蟬声も日ましに細くなっていく。
「 行沢雨晴集」
自註現代俳句シリーズ九( 一六)
- 八月五日
炎天こそすなはち永遠の草田男忌 鍵和田秞子 先生が逝かれ、炎天の何日かが過ぎ、少し心が落ち着いた時、炎天こそ先生にふさわしい、炎天は永遠に失われないと思った時、一気呵成に出来た。
「 鍵和田秞子集」
自註現代俳句シリーズ五( 一一)
- 八月六日
雀らの地の夏影をひろふのみ 日美清史 昭和二十年八月六日。その時も真夏の朝だった。そうつぶやきながら、この風景を見つめていた。
「 日美清史集」
自註現代俳句シリーズ七( 三一)
- 八月七日
七夕竹惜命の文字隠れなし 石田波郷 当時の療養作品を集成した句集『 惜命』は評判を得て有名になったが、この句はその書名となった作品。患者たちが七夕竹を飾る。吊した短冊の中に「 惜命」の文字が見えたのである。「 惜命」は患者らの祈りでもあり作者の心でもあった。
「 石田波郷集」
脚註名句シリーズ一( 四)
- 八月八日立秋
雑念の合掌なれど立秋忌 中坪達哉 高岡市の二上山にある普羅塚に詣でて句会。雑念を払えぬままの合掌を詫びつつ。人生のための芸術としての俳句の道を、地道に歩むしかない。
「 中坪達哉集」
自註現代俳句シリーズ一二( 八)
- 八月九日
供華となる花剪り尽す原爆忌 朝倉和江 原爆忌の日は長崎中の花屋さんの花が売れ尽す。夏の炎天続きで花の出荷が少ない上に、みんなはらからに供える花を求めるからである。
「 朝倉和江集」
自註現代俳句シリーズ五( 二)
- 八月十日
ドル札を輪ゴムで巻いて西鶴忌 戸恒東人 紙幣を輪ゴムで巻くという発想は日本銀行券よりもドル札の方が似合う。
「 戸恒東人集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 九)
- 八月十一日
大花火かぶり帰省の列車着く 澤田早苗 夏休みの学生たち。他郷で働いている人たちが、花火の広がる下を走りこむ列車につめられて帰ってくる。
「 澤田早苗集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 一八)
- 八月十二日
腹当の子の生きてゐる生きてゆく 岸本尚毅 赤ん坊である。今現在を元気に生きている。こののちの長い長い人生を生きてゆかねばならない。がんばれ。
「 岸本尚毅集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二七)
- 八月十三日
これ以上腰を落せぬ阿波踊 延平いくと < 爪先を内へ内へと阿波踊>女踊は優艶であるが、男踊は剽軽で、地面すれすれに踊り進んで行く。男踊と女踊の絶妙コンビ。
「 延平いくと集」
自註現代俳句シリーズ八( 二六)
- 八月十四日
草市の跡りんだうの花こぼる 池内けい吾 松山の繁華街の路傍。露天の盆供売りが店じまいしたあとに、竜胆の花がこぼれていた。
「 池内けい吾集」
自註現代俳句シリーズ八( 四七)
- 八月十五日
首に鍼打たれてをりぬ敗戦日 大牧 広 < 首に鍼>が言いすぎているようだが飽くまで体験である。宇都宮靖氏がよい鑑賞をしてくれた。
「 大牧 広集」
自註現代俳句シリーズ六( 五一)
- 八月十六日
大文字惜む如くに燠明り 廣瀬ひろし この年は大文字を、加茂川を隔て真向いの大蔵省の保養所の二階から見ることが出来た。消える前の火の燠明りは名残を惜んでいるようであった。
「 廣瀬ひろし集」
自註現代俳句シリーズ六( 四九)
- 八月十七日
草の名に鳥やけものや川施餓鬼 青木重行 草の名には本当に色々の鳥獣の名がつけられている。川施餓鬼に対する子供への手向け花も種々の草花に限る。
「 青木重行集」
自註現代俳句シリーズ九( 三)
- 八月十八日
新涼の貴船の朝茶川床に点つ 藪内柴火 旅吟のときいつも茶道具を持ってきてくれる友がいた。涼しい風のそよぐ川床で山水で点てた茶をのむのは俳句ならではの醍醐味である。
「 藪内柴火集」
自註現代俳句シリーズ六( 二)
- 八月十九日
盆過ぎて鶏の一家の高歩み 吉田鴻司 盆のうちは、家中忙しく鶏など顧みてくれない。盆も過ぎて普段の生活に戻った一日、鷄一家にもまた普段の暮しが戻ったのだった。
「 吉田鴻司集」
自註現代俳句シリーズ三( 三九)
- 八月二十日
水 ナロに水のつぶやき二十日盆 照井せせらぎ 二十日盆の去ってゆくさびしさを、水のつぶやきに象徴させたつもり。前九年町裏の苗代田の水口。
「 照井せせらぎ集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三)
- 八月二十一日
枯萩に師の亡き嘆き深めけり 大串 章 八月二十一日、林火先生は終に亡くなられた。手術の前後二回程お見舞したのが最後になってしまった。萩を見る度に悲しさがつのった。
「 大串 章集」
自註現代俳句シリーズ五( 七)
- 八月二十二日
ひぐらしや漣何れにも寄せず 貞弘 衛 この頃、善福寺池周辺は、夏から秋にかけて、蟬声で埋まった。ひぐらしでも、暁け方と夕暮の二回、必ず鳴いたものであった。
「 貞弘 衛集」
自註現代俳句シリーズ三( 一五)
- 八月二十三日処暑
湖北いま夕風となる地蔵盆 伊藤京子 地蔵盆は八月二十四日、前夜の二十三日に、地蔵尊を紅白に彩るのは子供達である。新しい頭巾やよだれ掛けを着せ菓子や香華を供えて祀られていた。
「 伊藤京子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四)
- 八月二十四日
妻よりも小食となりぬ白芙蓉 長倉閑山 年齢がすすめば食は細る。入力が少なくなるから出力が減るのは当りまえだ。時々この摂埋を忘れる。このごろは用心している。
「 長倉閑山集」
自註現代俳句シリーズ六( 三)
- 八月二十五日
畳屋の汗は大粒鳳仙花 大岳水一路 畳を下から貫いた鋭い大針が、顔近く出てくる。一針一針の畳糸を肱を使って締めてゆく、顔一面大粒の汗。鳳仙花は汗の季節の花だ。
「 大岳水一路集」
自註現代俳句シリーズ六( 四四)
- 八月二十六日
足湯かく熱きに迎へ宿の秋 塩崎 緑 いかなる歓迎よりも熱い足湯がうれしかった。勿論、それで旅の疲れも飛んでしまった。仲秋の穂高山麓安曇野の宿での一作である。
「 塩崎 緑集」
自註現代俳句シリーズ六( 一〇)
- 八月二十七日
咋日寸前今日また寸前熟れ柘榴 林 翔 熟しきった柘榴は、池に落ちる寸前のように昨日は見えた。ところが今日も、落ちる寸前のままである。豊満の蔭の不安はいつまで......。
「 林 翔集」
自註現代俳句シリーズ三( 二六)
- 八月二十八日
お花畑広くてどこへでも行けて 下村非文 御嶽の中腹のお花畑は広々として果も知れないほど。美しいお花畑に径が縦横につくられて、自分の好きなところへどこでも行ける。
「 下村非文集」
自註現代俳句シリーズ三( 一八)
- 八月二十九日
銀山の一筋町を霧流る 藤井艸眉子 石見銀山は銀鉱採掘で六百年の歴史を持ち、坑道も二八〇口あった。大正十二年廃坑となったが、最近大規模な試掘開始。古い町並に谷川が沿う。
「 藤井艸眉子集」
自註現代俳句シリーズ六( 一一)
- 八月三十日
かなかなや炉に熱残し今日も終る 石原 透 今日、炉を使って実験をした。実験は終ったが、炉はまだ十分に熱い。かなかなが鳴いている。今日も又充実した日だった。
「 石原 透集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四九)
- 八月三十一日
銀漢の天垂らしたり滑走路 江口井子 河西回廊の蘭州空港では全天遮るもののない滑走路に着陸する。浴びるような星空の下の黄土台地はかつて匈奴と漢が覇を争った地と思うと......。
「 江口井子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二八)