今日の一句:2019年10月
- 十月一日
秋の雲立志伝みな家を捨つ 上田五千石 秋の雲は高空に発生する上層雲とか。古今東西「志」を高く掲げて成功成就に立ち向った人々は、多く一家を顧みることなく突っ走っていた。俳句に目覚めた自分と、母親に安定した生活をと願う葛藤の中の自分への鼓舞の一句だったのであろう。( 萩原陽美)
「 上田五千石集」脚註名句シリーズ二( 一五)
- 十月二日
長き夜を踊りて白き足の甲 坂本宮尾 みごとなドレスの女性が、タンゴを踊った。高いヒールの靴を履いた彼女の足が、くっきりと目に焼き付いた。
「 坂本宮尾集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四六)
- 十月三日
乱山とならむとすなる秋の風 斎藤 玄 晩秋の風に削がれ、次第に鋭くなってゆく山々のただずまいである。「 乱山」というイメージの追跡に終始した。
「 斎藤 玄集」
自註現代俳句シリーズ二( 一六)
- 十月四日
かの日父子今秋嶺にひとり我 福田蓼汀 薬師平から父子と、ガイドの佐伯兼盛と白山を遠望し、いつの日か同行したいと話した。白山に来て逆に薬師岳を望んだ時は父だけであった。
「 福田蓼汀集」
自註現代俳句シリーズ一( 一三)
- 十月九日
蓮の実のとぶは目鼻のとぶごとし 岡崎桂子 蓮の実が落ちたあとの蜂の巣のような穴を見て、ぱっとひらめいた言葉である。
「 岡崎桂子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三)
- 十月五日
栗飯炊く終始松葉の炎なる 雨宮昌吉 栗飯は一つずつ剝かねばならないので手数のかかること夥しい。しかも付きっきりで松葉をくベて炊きあげてくれた。心温まる故郷の味。
「 雨宮昌吉集」
自註現代俳句シリーズ四( 三)
- 十月六日
風出て晴萩寺さまの萩焚く日 岸田稚魚 萩供養の日、よく晴れ渡りたり。晴るれば風出づるが常。
「 岸田稚魚集」
自註現代俳句シリーズ続編( 三)
- 十月七日
空も酔ふ笛の一節くんち来る 中尾杏子 長崎っ子なので、くんちのしゃぎりを聞くと、血がたぎる。空も海も山もくっきり澄んで、十月の長崎は一番よい季節。
「 中尾杏子集」
脚註名句シリーズ一〇( 一五)
- 十月八日寒露
去來忌や月の濡らせし竹の肌 成瀬桜桃子 陰暦九月十日。「 凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり 虚子」のとおり小さな墓が嵯峨にある。墓は小さくても「 去来抄」は偉大だ。
「 成瀬桜桃子集」
自註現代俳句シリーズ一( 一四)
- 十月九日
蓮の実のとぶは目鼻のとぶごとし 岡崎桂子 蓮の実が落ちたあとの蜂の巣のような穴を見て、ぱっとひらめいた言葉である。
「岡崎桂子集」
自註現代俳句シリーズ一一(三)
- 十月十日
白鳥待つ川幅なれどいまだ来ず 秋澤 猛 十月末。最上川河口には、もう白鳥の先陣が来ている筈なのに来ていない。河口は川幅を平らにして待っているのに。
「 秋澤 猛集」
自註現代俳句シリーズ五( 一)
- 十月十一日
麻薬うてば十三夜月遁走す 石田波郷 前句と同時の句。疼痛をやわらげるための麻薬の効果が「 遁走す」という大胆直截な表現となったもの。十三夜月は十五夜月と異なりいささかのさびしさを含んでいる。
「 石田波郷集」
脚註名句シリーズ一( 四)
- 十月十二日
大阪の俳諧を守り桃靑忌 大橋櫻坡子 大正五年「 ホトトギス」初入選、翌六年、堺瑞祥閣の句会で初めて虚子の謦咳に接して以来、「 ホトトギス」系を糾合して淀川俳句会、更に無名会を興すなど、大阪俳壇の確立に努め常に尽力を惜しまなかった。先師の桃青忌に当っての自負と感懷が窺える。( 妙子)
「 大橋櫻坡子集」 脚註名句シリーズ一( 五)
- 十月十三日
湯の縁につかまり秋の山を見る 清崎敏郎 越後の栃尾股といぅ湯治楊。混浴の湯に浸っていると、湯の縁の框につかまって秋の山に眺めいって見ている嫗があった。
「 清崎敏郎集」
自註現代俳句シリーズ一( 三〇)
- 十月十四日
ひかり飛ぶものあまたゐて末枯るゝ 水原秋櫻子 十月末、野は枯れそめ、寂しさが強く印象づけられる。しかし、小虫や蟋蟀などは、翅を秋の日差に光らせて沢山飛んでいる。霜が下りるまでの短い命を惜しむかのように、きらきら輝いて飛んでいるのだ。
「 水原秋櫻子集」
脚註名句シリーズ一( 一五)
- 十月十五日
母の名と同じいたこや霧しぐれ 峰尾北兎 次男顕と恐山へ。死者の雲と口寄せする盲目のいたこ。偶然母と同じ名のいたこがいたのには驚いた。混んでいて亡母の声を聞けず残念であった。
「 峰尾北兎集」
自註現代俳句シリーズ七( 一)
- 十月十六日
しばらくは手をうづみおく今年米 小島 健 郷里から毎年、新米が送られてきます。長い間のお付き合いです。故郷の人は、皆さんとても温かいのです。
「 小島 健集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一)
- 十月十七日
石に水落ちて微塵や実むらさき 金丸鐵薫 流れが小さな滝となって落ち、大きな石がその滝を受け、しぶきが玉となって飛び散る。そばに、むらさきしきぶの実がびっしり。
「 金丸鐵薫集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二〇)
- 十月十八日
わたりゆく鷹全身で見てゐたり 吉田紫乃 五箇山以外の平地では、殆ど鷹を見る事ができない。山麓は枯野だった。一羽を消え入るまで見る。感動は瞬間がよいのかもしれない。
「 吉田紫乃集」
自註現代俳句シリーズ七( 三〇)
- 十月十九日
老妻に糊の夕冷え障子貼る 皆吉爽雨 老妻が障子貼りにはげんでいる。夕ずいてそろそろ冷えてきた。皿の糊もしろじろと冷えた色をたたえている。それに刷毛を浸しては貼っている。
「 皆吉爽雨集」
自註現代俳句シリーズ一( 三)
- 十月二十日
折端となりしよ酒をあたためむ 草間時彦 東明雅先生と歌仙を卷いた折の句。明雅先生は私の連句の師。
「 草間時彦集」
自註現代俳句シリーズ続編( 一)
- 十月二十一日
鏡ヶ池水の波紋にある秋意 今村潤子 「 鏡ケ池」とは漱石の『 草枕』に出てくる池で、ヒロィンの那美さんが画家にこの池に浮かんでいる所を絵に描いてほしいと言った所である。
「 今村潤子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二)
- 十月二十二日
吊し柿猿に盗られては足して 小林波瑠 山梨韮崎市の山中、宗泉院。住職は町に出ていて梵妻の婆さん一人が寺を守っている。猿が来て何かと盗られる。
「 小林波瑠集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四六)
- 十月二十三日
秋風や水をつつめる水の音 児玉南草 ふっと、こぼれるようにして生れた句である。このようにして生れた句は、当初は頼りない感じがする。塚本邦雄氏がどこかで採り上げていた。
「 児玉南草集」
自註現代俳句シリーズ四( 二三)
- 十月二十四日霜降
青北風や榾積み上げて山の坊 光木正之 大山寺の冬は寒い。宿坊では囲炉裏で焚く榾を準備して、高々と積み上げてあった。
「 光木正之集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二三)
- 十月二十五日
裏切るか裏切らるるか鵙高音 鈴木真砂女 一時期険悪な時があった。裏切られる前に裏切ってやろうかとも思ったが結果は裏切りも裏切られもしなかった。
「 鈴木真砂女集」
自註現代俳句シリーズ二( 二一)
- 十月二十六日
豊年だ豊年だまた父老ゆる 今瀬剛一 農夫は豊年のたびに老いるのではないかと考える。豊年という明るい言葉のかげには農民の悲しみが宿るようにも思う。
「 今瀬剛一集」
自註現代俳句シリーズ六( 三三)
- 十月二十七日
秋冷のまなじりにあるみだれ髪 飯田蛇笏 平安な風貌ではない。「 まなじり」といい、「 みだれ髮」といい、かなりきびしい女性の表情である。それも横顔の描写という気配が濃い。女性の中でも、気の強い個性の顕著なタィプに、より強い関心をそそぐ傾きがみられる。秋冷の季感がこの明眸女性を塑像化する。
「 飯田蛇笏集」 脚註名句シリーズ一( 二)
- 十月二十八日
菊咲けり陶淵明の菊咲けり 山口青邨 この句が陶淵明の「 帰去来辞」を踏まえたものであることは言うまでもない。淵明は、俗吏の間に在ることをいさぎよしとせず、故山に帰臥し、田園自然の美さにひたり、たのしんだ。青邨は自己の中に、靖節先生の心を見だしたにちがいない。 (啄葉)
「 山口青邨集」 脚註名句シリーズ一( 二〇)
- 十月二十九日
吹く笛のわれには秋思蛇つかひ 井沢正江 笛の音につれて路上に置く籠からキングコプラが扇びらきの貌を見せて立ち上る。こんな大道芸人がたくさんいた。もの悲しい笛の音の旅愁。
「 井沢正江集」
自註現代俳句シリーズ二( 二)
- 十月三十日
啄木鳥や釘いつぽんの帽子掛け 鷹羽狩行 部屋には何もない山国の粗末な民宿。帽子掛けといっても、五寸釘を一本打ちこんだだけ。見るベき景色もなく、ただ啄木鳥の声ばかり。
「 鷹羽狩行集」
自註現代俳句シリーズ続編( 七)
- 十月三十一日
黄落と云へり放下と云はずして 相生垣瓜人 見事な脱却ぶりである。黄落の語も好いが尚物足らぬ感じもあるのである。併し放下の語は人間には貴くても木には通じないかも知れない。
「 相生垣瓜人集」
自註現代俳句シリーズ一( 一九)