今日の一句:2019年11月
- 十一月一日
摘み頃の雨に明るしもつて菊 土屋巴浪 山形特産の食用菊〝もってのほか〟は、俳句ではもって菊と省略される。山寺の句会で上田五千石氏は、掲句の上五のさり気ない導入がうまいと。
「 土屋巴浪集」
脚註名句シリーズ八( 二九)
- 十一月二日
塔礎石いくたび草は紅葉せし 竹腰八柏 元興寺は奈良の町中にある。格子戸の家の間の少し奥まった所に山門があり、山門を入ると塔礎石があり、往時を偲ばせる。
「竹腰八柏集」
自註現代俳句シリーズ五(二〇)
- 十一月三日
深錆に吸はるるペンキ文化の日 奈良文夫 いつもこの頃になると門の錆が気になって自分で塗った。文化の日という戦後の祝日にはいつまでも馴染めない。
「 奈良文夫集」
自註現代俳句シリーズ八( 二七)
- 十一月四日
鷹ヶ峯借景として障子干す 後藤比奈夫 京都光悦寺での作。綿虫のとぶ好天気で、鷹ヶ峯も鷲ヶ峯もよく見えた。茶室の一つで、よく使いこまれた何枚かの障子が洗い、干されていた。
「後藤比奈夫集」
自註現代俳句シリーズ一(一八)
- 十一月五日
執すもの身にありて繰る零余子(むかご)蔓 吉野義子 この頃から俳句は私の生き甲斐となった。零余子の蔓を繰っても繰っても果しなく、いつまでも繰っていてこんな句が出来た。
「吉野義子集」
自註現代俳句シリーズ四(五四)
- 十一月六日
イエス売るべし晩秋のひげそられゐて 有馬朗人 旧約も新約も聖書は矛盾に満ちている。イスカリオテのユダの話もそうである。しかしひげをそられていた時不意にユダの気持が判った気がした。
「有馬朗人集」
自註現代俳句シリーズ四(四)
- 十一月七日
ひょろ〳〵と木の葉流れにほちやれ鮭 阿部慧月 産卵を終えた鮭が川下に辿りつきやがて死ぬ。それをほちゃれという。生気の失せた鮭が、木の葉のようにさまようのはあわれである。
「阿部慧月集」
脚註名句シリーズ四(二)
- 十一月八日立冬
立冬の玄関灯すみかん色 町田しげき 外出から帰ると、家の玄関が黄色に灯っていた。そういえば今日から冬に入ったのだ。
「町田しげき集」
自註現代俳句シリーズ六( 四二)
- 十一月九日
茶が咲くや声佳くなりし雀どち 本多静江 「軒雀みな顔丸し仏生会」「烏てふ粗忽ものらのかけし巢か」雀よ烏よ、何といい奴らか。茶が咲くと声が澄むなど季感にも敏、凡手じゃない。
「本多静江集」
自註現代俳句シリーズ四( 四五)
- 十一月十日
聖鐘の綱冬耕の土に垂れ 大岳水一路 長崎県出津の天主堂を再び訪ねた。堂をめぐる丘は狭い畑を積みかさね、耕人の姿がのぞまれ、その土のつづきに聖鐘の綱が垂れていた。
「大岳水一路集」
自註現代俳句シリーズ六( 四四)
- 十一月十一日
縄を惜しまず雪吊を高くせり 阿部子峡 素人の雪吊り。見た目が悪くとも縄だけはふんだんに使って完了。
「阿部子峡集」
自註現代俳句シリーズ九( 一二)
- 十一月十二日
神々の留守の縞目の魚焦がす 神尾久美子 「神の留守」「神無月」をしきりに意識するのは神宮の森にほとり住んでいるからであろうか。
「神尾久美子集」
自註現代俳句シリーズ四( 一八)
- 十一月十三日
納戸田小春嫁の憩ひ場はたらく場 雨宮昌吉 納戸田は狭間田の一番奥の田のこと。姑、小姑などの束縛から解放された嫁一人で働く納戸田は心労を癒やす唯一の場所のようである。
「雨宮昌吉集」
自註現代俳句シリーズ四( 三)
- 十一月十四日
師の佳しとするを佳しとす木守柿 辻田克巳 信楽。社の前に高い高い柿の木があって幾つか天に実が残っていた。いいね、と不死男先生が仰がれると、一同、なるほど、と一せいに打仰いだ。
「辻田克巳集」
自註現代俳句シリーズ五( 二二)
- 十一月十五日
七五三池の茶屋から舞妓出て 梶山千鶴子 円山公園の池の茶屋から舞妓はんが二、三人。丁度七五三の日で八坂神社も賑わっていた。
「梶山千鶴子集」
自註現代俳句シリーズ七( 七)
- 十一月十六日
墳山の亀裂深まる神無月 田中水桜 吉備路へ定晴、十四三両氏と遊んだ。吉備路には日本有数の古墳が多く古代には強力な吉備王国が存在したから神々との結びつきは深いのだ。
「田中水桜集」
自註現代俳句シリーズ五( 二一)
- 十一月十七日
飛驒格子小暗きに買ふ時雨傘 松本澄江 馬籠から飛驒の町に着いた時は折から時雨れて、出格子の店で傘を買った。仕舞屋風のうす暗い店が飛驒の町によく似合った。
「松本澄江集」
自註現代俳句シリーズ六( 二九)
- 十一月十八日
木枯やいつもの窓のいつもの灯 米田双葉子 木枯の吹き荒ぶ中、かの家のかの窓は常の如くに煌々と灯っている。学びの灯であろうか。
「米田双葉子集」
自註現代俳句シリーズ六( 四七)
- 十一月十九日
一茶忌の薪割る音のしてゐたり 池田秀水 一茶の生涯と比べると、まだまだ贅沢だと思う。
「池田秀水集」
自註現代俳句シリーズ六( 四八)
- 十一月二十日
酉の市母となじみの店に寄り 渡辺雅子 物心つく頃から、母と日本橋から地下鉄で酉の市に行った。バス、市電と違って電動扉がこわかった。櫛や財布の根付など見て母は楽しそうだった。
「渡辺雅子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二六)
- 十一月二十一日
忍冬忌ひとは日向を歩きけり 今井杏太郎 波郷忌句会での作。清澄公園の日向。
「今井杏太郎集」
自註現代俳句シリーズ六( 四六)
- 十一月二十二日小雪
境内に深紅の外車お取越 松倉ゆずる 廃仏棄釈を極端な形で実行した地からの集団移住という歴史を持つ私の村も、おいおい人が入れ替って寺も建ち、報恩講にはこんな参詣者も。
「松倉ゆずる集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二一)
- 十一月二十三日
波郷忌の泉に生きて水馬 向笠和子 波郷忌の深大寺の泉に未だ生きていた水馬を見て「いのち」を感じた。波郷師が泉下より与えて下さった句だと感謝している。第一句集『童女』完。
「向笠和子集」
自註現代俳句シリーズ五( 六〇)
- 十一月二十四日
好き嫌ひいつも曖昧枇杷の花 市野沢弘子 好きになってはいけないと言う大前提がある。しかし嫌いかと言うとそうではない。秤などでは量れない女心。
「市野沢弘子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四一)
- 十一月二十五日
海鳴りや枯色異に千枚田 佐藤公子 山の上から海岸まで、千枚ならぬ二千枚以上あるという段々のたんぼ。「千枚田の枯のとどめに波殺し」も。
「佐藤公子集」
自註現代俳句シリーズ七( 二二)
- 十一月二十六日
煙草吸ひをりしが蓮根掘りはじむ 藤井吉道 畦で一服していた農夫がおもむろに腰をあげ、蓮田へ入って行く。細長く湾曲した鍬で泥をかき分けながら蓮根を掘り進んで行く重労働。
「藤井吉道集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二五)
- 十一月二十七日
関跡へ近道二粁時雨けり 須磨佳雪 いわき市勿来駅から南方に二粁ほど山道をのぼりつめると勿来関跡がある。丁度時雨が降って来て関跡で息子の結婚のための桜の塩漬を買った。
「須磨佳雪集」
自註現代俳句シリーズ六( 四三)
- 十一月二十八日
枯菊を焚く天平のひ色にて 門脇白風 多賀城跡へ吟行のとき、途中住宅の庭先きで枯菊を焚いていた。その火の色が昏い金色でどうしても天平の頃の火色であった。
「門脇白風集」
自註現代俳句シリーズ五( 三八)
- 十一月二十九日
行末の手がかりはなし石蕗の花 小島千架子 どんな老後が待っているのだろう、それがわかってしまったら誰も一生懸命生きようとはしないだろう。
「小島千架子集」
自註現代俳句シリーズ六( 四五)
- 十一月三十日
犀の背に風のざらつく落葉期 大竹多可志 もちろん、アフリカの草原で見たわけではない。犀は自分が何故ここにいるのか。理解しているのだろうか。
「大竹多可志集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四四)