今日の一句:2019年12月
- 十二月一日
武甲より寒き闇来る祭かな 鈴木鷹夫 秩父の武藤貞一さんの招待で秩父夜祭を観せてもらった。秩父囃子の勇壮な韻きは何時聞いてもよい。
「鈴木鷹夫集」
自註現代俳句シリーズ六( 三八)
- 十二月二日
埋み火のごとくに恋ふる人あらな 落合水尾 願望は、はてしなく切実である。失ったものの影の大きさを、身の底に埋めるように努めた。「恋」の字は、たしかに「悲」の字に似ている。
「落合水尾集」
自註現代俳句シリーズ六( 三四)
- 十二月三日
わが立ちて冬木のいのちわがいのち 深見けん二 京都真如堂。境内の冬木の前に立っているとだんだんにその冬木の生命が自分に迫ってくるように思われた。
「深見けん二集」
自註現代俳句シリーズ三( 二九)
- 十二月四日
底なしの冬青空へ風の泡 鈴木良戈 昭和五十五年十二月四日、四十二歳で福永耕二逝く。没後に第二句集『踏歌』で俳人協会新人賞受賞。九月の尾瀬・檜枝岐踏破は元気だった。
「鈴木良戈集」
自註現代俳句シリーズ八( 四三)
- 十二月五日
美林透き丹生川の冬かがやける 加藤三七子 鷲家口から、丹生川上中社まで歩いた。私たちの歩く道から、杉の美林を透かして冬日にきらめく丹生川がまばゆかった。
「加藤三七子集」
自註現代俳句シリーズ三( 一〇)
- 十二月六日
煤 すす 掃は きて改あらた め招まね く隙すき 間ま 風かぜ 百合山羽公 家も思えば身の一皮。煤掃きという垢落しをしたところで新しく吹き込む隙問風に一寸の間好感をもつのも新春が間近いからだ。
「百合山羽公集」
自註現代俳句シリーズ一( 二五)
- 十二月七日大雪
河豚喰 ふぐく ふや壁かべ に懸か けある抽象ちゅうしょう 画が 北野民夫 河豚刺やふぐ鍋を賞味している座敷の壁に意味不明の抽象画が掛けてあったら、皮肉な面白さがあるであろうと、あらぬことを想像してみた。
「北野民夫集」
自註現代俳句シリーズ二( 一四)
- 十二月八日
十 じゅう 二に 月八がつよう 日か 山々やまやま ねむりけり仁尾正文 太平洋戦争の始まった十二月八日が分らない世代が増えてきている。彼らにこの句のモチーフが分らなくてもよい。戦のない方がよいのだから。
「仁尾正文集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二六)
- 十二月九日
一 いっ 鳥ちょう のこゑに緊し まりし冬ふゆ 泉いずみ つじ加代子 夏や秋には騒がしかった泉の辺りも、冬ともなれば人影もない。折しも泉の宙を切って鳴きすぎる冬鳥の影――。
「つじ加代子集」
自註現代俳句シリーズ九( 四四)
- 十二月十日
紙 かみ を漉す く芸雨中げいあまなか の朽くち 屋や にて平畑静塔 同じ日同じ鳥山の和紙漉きを覗く。一軒で子飼いの男女が数人、楮剝ぎから仕上りの和紙裁断までやっている。雨も漏れそうな古い屋根の下。
「平畑静塔集」
自註現代俳句シリーズ一( 五)
- 十二月十一日
夕焚 ゆうたき 火び してをり思おも ひ出で 話ばなし せり中山純子 四、五人が、手をかざして夕焚火をしている。土着の者ばかりで、それでおもい出話もつきない。
「中山純子集」
自註現代俳句シリーズ二( 二七)
- 十二月十二日
立 た つ人ひと の耐た へざる風かぜ に浮うき 寝ね 鳥どり 森田 峠 寒風の強さに人は耐えられずにその場を去る。鴨は平気な様子で波に揺られながら浮寝している。場合によっては人間よりも鳥の方が強い。
「森田 峠集」
自註現代俳句シリーズ一( 六)
- 十二月十三日
黒 くろ マントで来き て白はく 鳥ちょう を脅おびや かす鈴木栄子 「白鳥の湖」を何回か観た。日本のものソビエトのもの、各々の演出、舞台装置の違いも面白かった。これはボリショイバレーを観ての即興。
「鈴木栄子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二八)
- 十二月十四日
わが胸 むね に旗はた 鳴な るごとし冬青空ふゆあおぞら 野澤節子 四季のなかでは、夏と冬が好きだった。冬はことに精神がひきしまって凜とした人間性の好みとするところであったろう。冬の青空の爽快さを、「旗鳴るごとし」と讃えている。健康を感謝する思いと、心の底からの生命賛歌が率直に表現されている。
「野澤節子集」
脚註名句シリーズ二( 六)
- 十二月十五日
年 とし 木樵ぎこ る音おと かつゞきてゐしが止や む清崎敏郎 「四万・日向見に遊ぶ」六句の内の一句。年末の閑散とした温泉宿にどこからともなく、木を伐る音が続いていた。聞くともなく聞いていたその音が、ふいに止んだ。あれは、年木でも伐っていたのであろうと思ったのである。 (酒井 京)
「清崎敏郎集」
脚註名句シリーズ二( 二)
- 十二月十六日
鰤起 ぶりおこ し大おお 佐渡小佐渡さどこさど つらぬけり皆川盤水 「鰤起し」は鰤の獲れる十二月頃の豊漁の前兆の雷。その鰤起しが、父なる嶺の大佐渡と、母なる山の小佐渡を貫く自然の凄さを詠い上げ、佐渡に育った者には忘れられない一句である。床の間に色紙を掛けるたびに盤水の優しさを思い起こす。(山城 やえ)
「皆川盤水集」 脚註名句シリーズ二( 一)
- 十二月十七日
羽子 はご 板いた をつぎつぎ売う つて鳥とり の影かげ 斎藤夏風 この年の羽子板市は久しぶりに景気の良い売れ様の店を見かけた、初日のいつもの刻に行く、明るいうちに着いて夜になってゆく景を見るのだ。
「斎藤夏風集」
自註現代俳句シリーズ五( 四一)
- 十二月十八日
びんばふが苦 く にならぬ莫迦ばか 十じゅう 二に 月がつ 成田千空 新婚当時、草田男先生は私と並んで歩きながら「俳人と一緒になられた方は大変ご苦労が多いことですが、千空さんをどうかよろしくお願いします」と言われ、私は俳人がどういうものかも知らず、ただ判りましたとお答えするばかり、とは市子夫人の言。( 豊崎素心)
「成田千空集」 脚註名句シリーズ二( 七)
- 十二月十九日
湯 ゆ 豆どう 腐ふ や木き と紙かみ の家いえ に住す みてこそ瀧 春一 三十年も住んでいた家が、子の計画で洋館のマンションに建て変えられ、その一室に暮らすことになった。湯豆腐を食べても何かしっくりしない。
「瀧 春一集」
自註現代俳句シリーズ三( 一九)
- 十二月二十日
ふところ手 で して何なに 食く はぬ貌かお のユダ成瀬桜桃子 月桂樹は勝利の象徴なのに花言葉では「裏切り」花の色がユダの着衣と同じ黄色だからである。ユダが首をくくったユダの木はマメ科の花蘇枋だ。
「成瀬桜桃子集」
自註現代俳句シリーズ一( 一四)
- 十二月二十一日
ペン胼胝 だこ の月つき 日ひ の中なか の柚子湯ゆずゆ かな草間時彦 俳人という職業は居職。坐って書いてさえいれば、なにがしかの銭になる。歳時記執筆という仕事にこの年も暮れてゆく。
「草間時彦集」
自註現代俳句シリーズ三( 一三)
- 十二月二十二日冬至
ちやんちやんこよく似合 にあ はれし先せん 師し かな森田 峠 阿波野青畝のことを、ちゃんちゃんこがよく似合われたなと偲ぶ。自分はどうだろう?ちゃんちゃんこに漂う先師の柔らかな雰囲気をうらやましく思われたのか。峠の心の中を覗いたような気がする。峠はシンプルなシャツが似合い、そんな句を作られた。( 村手圭子)
「森田 峠集」 脚註名句シリーズ二( 一)
- 十二月二十三日
生 うま れきて名な もなく聖せい 夜や ただねむる宮津昭彦 長男は十二月二十三日に生まれた。足のうらに「宮津」とだけ墨で書かれ、新生児室で無心にねむっていた。看護婦は「宮津ベビー」と呼んだ。
「宮津昭彦集」
自註現代俳句シリーズ一( 一六)
- 十二月二十四日
胸 きょう 中ちゅう の愛あい 照て り昃かげ る聖せい 夜や 劇げき 那須乙郎 同志社女子中・高生等によるクリスマスペーゼント、毎年見ながら感激かわることなし。
「那須乙郎集」
自註現代俳句シリーズ四( 三五)
- 十二月二十五日
抹殺 まっさつ の線せん を真ま 直すぐ に虎落もがり 笛ぶえ 殿村莵絲子 潔い抹殺の線を引いて虎落笛は容赦ない。危く難を免れたが油断は出来ない。
「殿村莵絲子集」
自註現代俳句シリーズ三( 二二)
- 十二月二十六日
白息 しらいき を語気ごき となしゆく濤なみ の上うえ 進藤一考 もともと性情は激しい。その性情を押えて難関に立ち向う決意を固めていながら、白息には語気が表われた。
「進藤一考集」
自註現代俳句シリーズ二( 二〇)
- 十二月二十七日
吊皮 つりかわ に御ご 用納ようおさ めの手て をゆだね北見さとる あるいはゆるくあるいは固く握りしめられ数多くの人々の心音に触れる。吊皮。
「北見さとる集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二五)
- 十二月二十八日
枯菊 かれぎく の臙えん 脂じ の色いろ を焚た きにけり皆川白陀 小菊の根分を貰って来て崖の上に植えたら、見事な臙脂の花を咲かせた。枯れたのを刈り取って焚いたら、えんじの匂いがするようであった。
「皆川白陀集」
自註現代俳句シリーズ四( 四八)
- 十二月二十九日
老残 ろうざん のベレーゆるがず年とし の暮くれ 小林康治 外遊した友人がよくベレーを買って来てくれる。冠って歩いているうちに人に進呈したり、取られたりもする。
「小林康治集」
自註現代俳句シリーズ二( 一五)
- 十二月三十日
満目 まんもく の松まつ に病や む身み ぞ横光よこみつ 忌き 石田波郷 横光利一は昭和二十二年十二月三十日に逝去した。「横光さんの俳句についての折にふれての言葉は、私を益々俳句の中へひきずりこんで行った。私が横光利一氏を師といふのはこの為である」という波郷の言葉がある。六度目の入院中の句。
「石田波郷集」
脚註名句シリーズ一( 四)
- 十二月三十一日
火気絶 かきた ちて眠ねむ るひとりの大晦おおみそ 日か 菖蒲あや ガスの栓もした。煉炭の火も絶えた。全く火の気のないひとりの部屋。寝て起きればもうお正月である。
「菖蒲あや集」
自註現代俳句シリーズ二( 一九)