今日の一句:2020年03月
- 三月一日
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎 春の午後ひっそりした大学のグランドで見た風景。青春の倦怠感が描いてみたかった。
「能村登四郎集」
自註現代俳句シリーズ二( 三〇)
- 三月二日
春風と共に笹目を訪れん 今井つる女 立子先生のところへも御無沙汰が続いた。こまごまと近況など書いて手紙を出した。その文尾に書いた一句であった。
「今井つる女集」
自註現代俳句シリーズ四( 一〇)
- 三月三日
男来て鍵開けてゐる雛の店 鈴木鷹夫 「俳句」誌上で飯田龍太氏に褒めて頂いた。作意もてらいもなく、只見たままを一句にした、その無心がよかったのかもしれない。
「鈴木鷹夫集」
自註現代俳句シリーズ六( 三八)
- 三月四日
蛤や生家のひろき勝手口 伊藤通明 私が生れ育った家の勝手口は東西に一つづつあって、共に大きな引き戸がついていた。開放すると風の通い道となる。この句「蛤」がすべてか。
「伊藤通明集」
自註現代俳句シリーズ四( 九)
- 三月五日啓蟄
啓蟄や石狐の前の飴袋 安食彰彦 商工振興課の頃企業誘致の担当であった。邑智町に京都から会社を誘致したときはうれしかったが、倒産したときは泣くにも泣けなかった。
「安食彰彦集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一七)
- 三月六日
偉大なる妻が尻辺に地虫出づ 川畑火川 豊満なる多美子夫人も年古るとかくの通り、夫人はいま専ら鉢植えいじりに熱中している。
「川畑火川集」
自註現代俳句シリーズ五( 三九)
- 三月七日
立つてゐるところは乾き春の雪 梶山千鶴子 素戔鳴尊を祀る修学院一帯の産土神である鷺森神社吟行句。寒い日だった。
「梶山千鶴子集」
自註現代俳句シリーズ七( 七)
- 三月八日
燕来るや水置きてこそ金閣寺 中村明子 水に映って、もう一つの金閣寺。金閣寺は華やかなのがよい。初燕もすいと水上を掠める。
「中村明子集」
自註現代俳句シリーズ七( 二六)
- 三月九日
遠流島すぐそこまでの汐霞 石田小坡 伊豆爪木崎の前書。東伊豆道路の稲取・今井浜を通って下田に入る手前、岬の突端の野水仙の群落は見事。大島や新島が目と鼻の先である。
「石田小坡集」
自註現代俳句シリーズ六( 五二)
- 三月十日
海に出てしばらく浮かぶ春の川 大屋達治 河口から海に出た川の淡水は、しばらく海と交わらず、海の色より淡い帯状になり、漂っている。それは雪解水も混じる春の川がふさわしい。
「大屋達治集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六五)
- 三月十一日
みちのくの瓦礫の中の卒業歌 杉 良介 三月十一日、東日本大震災。高野ムツオ氏が主宰誌に採録してくれた。
「杉 良介集」
自註現代俳句シリーズ続編( 二七)
- 三月十二日
鷹化せし鳩を胸乳に女神像 鳥越すみ子 女神の豊かな胸乳に寄り集まる鳩。実はこの鳩たちは、春の気配に鷹が変身したもの。そういう話と、女神の伝説は相通じるものがある。
「鳥越すみ子集」
自註現代俳句シリーズ七( 一五)
- 三月十三日
蟻穴を出て目をこすりく口ぬぐふ 有吉桜雲 第一句集『鳥の巣』の序文で鷹羽狩行先生が「一茶の〈やれ打つな蠅が手をする足をする〉を思い出す人もあろう。」と評してくださった一句。
「有吉桜雲集」
自註現代俳句シリーズ八( 四五)
- 三月十四日
外套の裾ほころびて卒業す 栗田やすし 院生としての二年間はあっという間に過ぎた。修士論文の提出のため、初めて妻子をつれて京都に行った。
「栗田やすし集」
自註現代俳句シリーズ九( 一四)
- 三月十五日
涅槃会のやさしき雨となりにけり 鈴木栄子 年一回七日間の連続休暇がとれる。三月までにとらなければその年の連休はフイになる。帰り始めた白鳥を尋ねたり、寺々の涅槃図を見て回る。
「鈴木栄子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二八)
- 三月十六日
闌けし日に蜂をはきだす黄水仙 黒坂紫陽子 春の穏やかな昼下り、黄水仙を離れた蜂に、暫らくその花茎が大きく揺れていた。闌春の長閑さが出ていればと思っている。
「黒坂紫陽子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一〇)
- 三月十七日
ふるさとに頭を向けし寝釈迦かな 佐藤信子 お釈迦様のお涅槃は北枕である。お釈迦様も故郷を恋しく思われたに違いない。
「佐藤信子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三三)
- 三月十八日
寂しさが音になるなり蓬籠 斎藤 玄 寂しさには色々な音がある。たとえば、摘みとった蓬を籠に入れてゆくにつれ、寂しさのひそかな音が増してゆく。
「斎藤 玄集」
自註現代俳句シリーズ二( 一六)
- 三月十九日
湖おぼろ嘴埋めて鳥寝に入りぬ 佐野美智 余呉湖のほとり。七つもの民話を持っている可愛い湖にふさわしく、水鳥たちも深々と嘴を羽に埋めて眠りにつく。
「佐野美智集」
自註現代俳句シリーズ四( 二四)
- 三月二十日春分
春分や一度で通る針のめど 須磨佳雪 涙線がつまる病気で眼はあまりよくない。然し、春分が来て、心も明るくなると、あんなに通りにくかった針のめども一度で通った。有難い。
「須磨佳雪集」
自註現代俳句シリーズ六( 四三)
- 三月二十一日
鳥雲に享くるのみなる手を浄む 山本古瓢 生涯をかけて帰依する生駒山宝山寺での作。のち、同寺境内に連衆の手でわが句碑が建立された。一句はその碑句として刻まれている。
「山本古瓢集」
自註現代俳句シリーズ五( 二八)
- 三月二十二日
種子売の一合湯呑勺の猪口 村上杏史 奈良の知人から種物を仕入て売った。学院の生徒が村々からの使をしてくれてよく売れた。猪口や湯呑で量る当座の思いつきも楽しかった。
「村上杏史集」
自註現代俳句シリーズ五( 二七)
- 三月二十三日
濡紙に切味試す鳥ぐもり 関 成美 「鋏、包丁研ぎ」と触れながら街を流して来た研ぎ屋も、近頃来る回数が,目に見えて減った。研ぎ上げた包丁で薄紙を切り切れ味を試して見せた。
「関 成美集」
自註現代俳句シリーズ七( 二〇)
- 三月二十四日
夜と昼彩を替へたる鰆網 藤本安騎生 紀州新宮の漁師が教えてくれた。春を告げる鰆漁の機微に触れる思いで聞いた。
「藤本安騎生集」
自註現代俳句シリーズ八( 一六)
- 三月二十五日
春の雲「国来」と引きし岬延び 猿橋統流子 山陰の旅をした。大山から俯瞰すると、神々が夜見が浜の縄を大山に結び沖の島々を「国来、国来」と引き給うた岬が春天の下に延びている。
「猿橋統流子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二五)
- 三月二十六日
臍の緒の箱に母の手犀星忌 黒田櫻の園 臍の緒を納めた桐の箱には、母の手書で私の名がしるされている。その文字を見ると、不遇な犀星の出生を思わざるを得ない。
「黒田櫻の園集」
自註現代俳句シリーズ五( 一五)
- 三月二十七日
少年の老いたるわれか桃の花 山上樹実雄 どうも私には少年の気分が抜けていない。医業は医師としてのルールに乗るが世事については少々常識外れ。これも「俳諧やくざ」たらんの気儘か。
「山上樹実雄集」
自註現代俳句シリーズ五( 五五)
- 三月二十八日
卯の花の十円買ひや春の雪 鈴木真砂女 母から子に伝えられるその家の味があるが、おからを炊くのもその一つ。十円分わけてもらっても十分な量のある安価な素材だ。しかしそこに各家庭の味がある。幼い時から料理好きだった真砂女には忘れられない味があろう。「春の雪」が微妙に付く。 ( 瓔子)
「鈴木真砂女集」 脚註名句シリーズ二( 四)
- 三月二十九日
先生とはときに蔑称山笑ふ 小川かん紅 議員先生とは限らない。いろんな先生方。私は四十年余も先生と呼ばれていた。その間、いく度こんな気持にさせられたことか。
「小川かん紅集」
自註現代俳句シリーズ八( 四八)
- 三月三十日
葱を抜く匂ひに霞む出城跡 鳥居美智子 のどかな田園の風景。しかしなだらかな丘には、いつの世にも争いの絶えなかったことを物語る石柱がぽつんと立っていた。
「鳥居美智子集」
自註現代俳句シリーズ六( 五〇)
- 三月三十一日
山焼く火こぼれ富士川夜も激つ 志村さゝを 急流富士川べりに山火の舌が走る。山火の燠が夜の富士川に散り落ちる。<富士川に断層さらし山眠る>
「志村さゝを集」
自註現代俳句シリーズ七( 八)