今日の一句:2020年04月
- 四月一日
ゆふぐれの風はさびしき四月馬鹿 坂本宮尾 誰が決めたのか、四月一日はたわいのない嘘をついてもよい日だとか。ただし嘘が許されるのは、午前中だけ。どんな嘘にも、淡い後悔がある。
「坂本宮尾集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四六)
- 四月二日
自づからひとかたまりに新社員 小圷健水 私もそうであった。一緒に入社した仲間といると心強く安心する。教育期間が過ぎるとそれぞれ各職場に散ってゆくのである。
「小圷健水集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三八)
- 四月二日
自づからひとかたまりに新社員 小圷健水 私もそうであった。一緒に入社した仲間といると心強く安心する。教育期間が過ぎるとそれぞれ各職場に散ってゆくのである。
「小圷健水集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三八)
- 四月三日
老こぶし今も花どきたがへずに 中坪達哉 大正十三年創刊「辛夷」の誌名は、富山市八尾町角間の八幡宮にあった辛夷大樹による。平成二十六年まで長らえて花時を違えなかった。
「中坪達哉集」
自註現代俳句シリーズ一二( 八)
- 四月四日清明
清明の天より届く鳥の羽 都筑智子 犬の散歩の途中、黒と白の縞模様の美しい鳥の羽を拾った。幼稚園の頃、鳥の羽を拾った王子様が美しいお姫様に出会って結ばれるお話を聞いた。
「都筑智子集」
自註現代俳句シリーズ七( 四五)
- 四月五日
栄転も左遷もさくらさくらかな 宮崎すみ 三月から四月は、物や事の移動の時期だ。何かと思うこと多かろう。人生のひと区切り。
「宮崎すみ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四)
- 四月六日
自炊子に買ふ鍋釜や夕ざくら 皆川白陀 しほ江同志社へ入学、自炊するとて夕方に京の街へ鍋釜その他を買いに出た。「子と歩く京の一寺の花の下」というのもある。
「皆川白陀集」
自註現代俳句シリーズ四( 四八)
- 四月七日
庭に来し鳥と目のあふ仏生会 つじ加代子 庭の樹々が落ち着いてから鳥が来るようになり、いつか馴染みの鳥ができた。待っていた鳥が姿を見せたのは仏生会の日であった。
「つじ加代子集」
自註現代俳句シリーズ九( 四四)
- 四月八日
不自由の小諸を語る虚子忌かな 森田 峠 作者は俳人の岡安迷子に連れられて小諸に疎開中の虚子を訪ねる。「この機会に虚子先生に記念の俳号を選んでもらう」ことになり、用意した中から「峠」という俳号を選んでもらう。写生の基本である出会いをありのままに詠んだ句。虚子忌は「四月八日」。( 田辺洋子)
「森田 峠集」 脚註名句シリーズ二( 一一)
- 四月九日
- かげろふやふにやふにやときてバスとなる
田所節子 陽炎の奥から、四角いふにゃふにゃとした明るい色の物体が現れた。近くに来てやっといつものバスとなった。
「田所節子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三一)
- 四月十日
八重桜籬に闌けし那智詣 遠藤梧逸 珍しく妻と一緒だった。そのためか那智詣が初めてのように心新しかった。途中で見る民家の籬に咲く八重桜も行を豊かにしてくれた。
「遠藤梧逸集」
自註現代俳句シリーズ二( 五)
- 四月十一日
蝶とびて身に余る羽きらめかす 落合水尾 身の十数倍もある羽をきらめかせて飛ぶ蝶。天与の光のつばさを花から花へと運ぶ。
「落合水尾集」
自註現代俳句シリーズ六( 三四)
- 四月十二日
復活祭傷口なめて犬ねむる 菖蒲あや 貧乏長屋のこの路地では、どの家にも犬を飼う余裕など無かった。しかし時に野良犬がやって来た。この犬も風来坊であった。
「菖蒲あや集」
自註現代俳句シリーズ二( 一九)
- 四月十三日
森は塵かすかに降らし風車 八木林之助 晩春の森というものは絶えず細かい芽苞なんかを降らしている。息づかいなのだろう。東松山の牡丹を見にいった。森の道はやや賑やか。
「八木林之助集」
自註現代俳句シリーズ三( 三七)
- 四月十四日
舟を漕ぐ蛙のゐたり一茶の地 進藤一考 一茶の地だから蛙が念頭にあった。北信濃は春の只中だった。
「進藤一考集」
自註現代俳句シリーズ二( 二〇)
- 四月十五日
麗かや銀行三時には閉めて 鈴木栄子 銀行は優雅な勤めだと思われるが、現在は必ずしもそうとは言えない。業務が多岐にわたり、内容も複雑になっている。某支店、円型脱毛性三名。
「鈴木栄子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二八)
- 四月十六日
百千鳥ももちと啼いて上野山 鈴木鷹夫 前書きに「門」百号記念大会、とある。創刊百号、時は春。百千鳥は、千鳥、鶯など多くの鳥たちのように、語らいつつ交流する会員の姿が眼に浮かぶ。百千鳥がももちと啼くという臨場感とユーモアの感覚。会場の上野のお山もうれしそう。( 佐藤左門)
「鈴木鷹夫集」 脚註名句シリーズ二( 一〇)
- 四月十七日
風船破裂す東京人口ばかり殖え 北野民夫 地方から東京へ恰も明い灯に誘われるもののように転入する人達が殖え、人口も一千万を超えた。膨み切った風船なら破裂するところである。
「北野民夫集」
自註現代俳句シリーズ二( 一四)
- 四月十八日
逃水を追うて三方ヶ原尽きし 仁尾正文 三方ヶ原は直線の道路が多い。逃水を迫って走ると何となく家康を追い詰めた武田勢のような気持になる。
「仁尾正文集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二六)
- 四月十九日穀雨
をとこにはをとこのうれひ空海忌 松尾隆信 空海忌の句は、〈空海忌肚より喉へ声通す〉もある。〈伝教大師忌そらまめのごはんかな〉の句もある。
「松尾隆信集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六二)
- 四月二十日
鍬揃ふことなく夫婦暖かし 阿部みどり女 四月、山口、湯田温泉、東京など十日間程旅をした。「車中吟の他一句も作句していない」と大らか。掲出句は車中吟。
「阿部みどり女集」
脚註名句シリーズ二( 九)
- 四月二十一日
春愁の解けて太き靴の紐 佐怒賀直美 私の結び方が悪いのか、ウォーキングシューズの紐が時々解けてしまう。太い靴紐がだらりと地を擦るある春の一時であった。
「佐怒賀直美集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四七)
- 四月二十二日
遅ざくら散りし後日の過ぎ易し 中山純子 遅ざくらが散ったあと、急にぱたばたと日が過ぎてゆく。こころに屈託あるためか。
「中山純子集」
自註現代俳句シリーズ二( 二七)
- 四月二十三日
空へ眼がふくらむ島の豆の花 林 翔 殉教史に彩られる長崎の島々を船で廻った。島を取巻く春の海と空は明るく、豆の花は空に向って眼をふくらましているようだった。
「林 翔集」
自註現代俳句シリーズ三( 二六)
- 四月二十四日
山吹の茎にみなぎり来し青さ 細見綾子 山吹の茎の青さに感動する。生来の感受性の豊かさがあり、「みなぎり来し青さ」の的確な表現は、山吹のみずみずしい生命の実相に触れ、躍動感に溢れている。( 児玉真知子)
「細見綾子集」 脚註名句シリーズ二( 一三)
- 四月二十五日
襖絵の雁と目の合ふ朧かな 大竹多可志 三溪園( 横浜市)の吟行句。全国の古い建物が移築されている。その一つに雁を描いた襖があり、その雁と目が合った気がした。
「大竹多可志集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四四)
- 四月二十六日
春の波踏む遠島の身のやうに 藤田直子 七年前に鍵和田先生や句友たちと行った佐渡島を思い出して、このような気分になった。
「藤田直子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三四)
- 四月二十七日
金欲しやしきりに欲しや春惜しむ 小林康治 「人恋ししきりに恋し」では俳句にならない。
「小林康治集」
自註現代俳句シリーズ二( 一五)
- 四月二十八日
梨の花とんで母屋の塵となる 平畑静塔 宇都宮石井在の患家先の景、裏庭一帯が梨棚の花ざかり。それこそ雪がつもったよう。風がふけば花吹雪、それが不思議に母屋の周りにたまる。
「平畑静塔集」
自註現代俳句シリーズ一( 五)
- 四月二十九日
子の起居よそよそしくて春蚊出づ 市林究一郎 男の子は、いつも反抗的だ。だから神妙にしていると、却って気にかかる。そこへゆくと、女の子は時によそよそしくなるだけ。
「市林究一郎集」
自註現代俳句シリーズ四( 七)
- 四月三十日
菜種梅雨神魄荒き日なりけり 山田みづえ 一日がかりで三輪山の麓へ辿りつく。荒御魂の日のようだった。いや雨だからウエットなのかも知れないが。
「山田みづえ集」
自註現代俳句シリーズ二( 四〇)