今日の一句:2020年06月
- 六月一日
太陽の濡身のぼりし植田かな 小林鹿郎 橋本多佳子逝く。多佳子には一面識もないが、彼女の写真にそっくりの女性が知人にいる。
「小林鹿郎集」
自註現代俳句シリーズ六( 二二)
- 六月二日
秋を忌のひと夜秋をの蛍の句 橋本草郎 師の亡くなられた六月二目ころは、蛍の時期でもあった。先生の蛍の句のあれこれを思った。
「橋本草郎集」
自註現代俳句シリーズ九( 九)
- 六月三日
蛍籠霧吹けば夜の鮮しき 成田清子 蛍は自然の中で見るのが美しい。小学生の頃疎開をしていた所でよく森蔭の蛍を見た。籠の中に入れられた蛍はどこか寂し気である。
「成田清子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四)
- 六月四日
早乙女のかたまり憩ふ酒庫の裏 西山小鼓子 田植も機械化された昨今では見ることは出来ないが、以前は酒造場の裏に手甲脚絆の早乙女達が休憩している姿がよく見られた。
「西山小鼓子集」
自註現代俳句シリーズ五( 三二)
- 六月五日芒種
落日へ首を差し伸べ羽抜鶏 瀧 佳杖 放し飼いにされ、羽が抜けて鳥肌が見えるようになっている鶏は、あわれであり、ことに落日に向き首をのべているのなどは見てはいられない。
「瀧 佳杖集」
自註現代俳句シリーズ五( 五九)
- 六月六日
かたつむり真昼の音の絶えて雨 近藤 實 雨の作品が多い。その原点は、こういう作品にある。紫陽花とかたつむり、それに雨、まさに日本の景と思う。
「近藤 實集」
自註現代俳句シリーズ七( 一六)
- 六月七日
アマリリス恋のラッパを四方へ吹き 木田千女 四方へ咲くアマリリスの赤い花。恋の調べを吹いているのだろう。
「木田千女集」
自註現代俳句シリーズ七( 二七)
- 六月八日
余り苗いのちあるまま束ねけり 宇津木水晶花 福島県相馬郡での矚目。東北の田植は関東地方より少し遅い。五月下旬か六月初旬。
「宇津木水晶花集」
自註現代俳句シリーズ七( 三)
- 六月九日
やませ吹く風垣砂垣縦横に 村上しゆら オホーツク海から吹く初夏の偏東風は冷たく、時に海霧(じり)をともない、冷害の原因となる。
「村上しゆら集」
自註現代俳句シリーズ三( 三四)
- 六月十日
みちのくの白一点の田草取り 杉 良介 このころ東北出張が多かった。除草剤のおかげであの苦役から解放されたようだが、ときに草取りの姿もみた。
「杉 良介集」
自註現代俳句シリーズ九( 七)
- 六月十一日
墨磨つて花あぢさゐの雨となる 吉田鴻司 千葉の本渡寺は紫陽花寺で有名である。「河」松戸支部の人だちとの吟行作。墨を磨るたびに、紫陽花の色が雨とともに濃くなっていった。
「吉田鴻司集」
自註現代俳句シリーズ三( 三九)
- 六月十二日
尼の籠草摘むナイフ納まりぬ 井上 雪 訪ねた尼寺に不在だった尼さまと、帰り道にひょっこり出会った。摘草の籠にある眩しい光はナイフのようで、なぜかどきりとした即詠。
「井上 雪集」
自註現代俳句シリーズ五( 三六)
- 六月十三日
つねに一二点のほたる隔離棟 佐野まもる 夏草の茂りを隔てて静かな病棟が灯る。かすかに螢が流れるのは常のことであった。これは無常観というほどの事ではない。
「佐野まもる集」
自註現代俳句シリーズ三( 一六)
- 六月十四日
梅雨寒の電光ニユース咲き昇る 土生重次 銀座四丁目の電光二ュース。信号待ちの、ほんのつかの間、目がそちらに行く。ちょっとしたはだ寒さのせいかもしれない。
「土生重次集」
自註現代俳句シリーズ六( 三七)
- 六月十五日
ポプラ絮降り袋路の底ぬけゐたり 平井さち子 ポプラは雌雄別株である。雪のように降りつぐ絮。六月の路地に小旋風が舞い上り、吹き溜りもできる。
「平井さち子集」
自註現代俳句シリーズ三( 二八)
- 六月十六日
左千夫生家に袴正して柿の花 神蔵 器 農家造りの広い土間をぬけて、裏庭に出ると柿の木があった。柿の花は蔕のところが四角に大きく張って袴姿に見える。左千夫の几帳面な性格、万葉調を思わしめた。
「神蔵 器集」
自註現代俳句シリーズ・続篇一四
- 六月十七日
青梅雨の口に咥へて躾糸 小野恵美子 母の代の仕草である。自分で着られない私が真似してもサマにならない。
「小野恵美子集」
自註現代俳句シリーズ八( 一九)
- 六月十八日
ががんぼの溺るるごとくとびにけり 棚山波朗 ががんぼの飛翔力は弱い。玻璃戸にぶつかると床に落ちてしまい、やがて溺れるように飛んで行った。
「棚山波朗集」
自註現代俳句シリーズ七( 四九)
- 六月十九日
大鯉の背鰭走れる池浚へ 藤本安騎生 奈良弘仁寺の近くの池浚えに出くわした。村の大人も子供も泥ンこであった。私も出来るものなら参加したい思いであった。
「藤本安騎生集」
自註現代俳句シリーズ八( 一六)
- 六月二十日
父の日の明方の地震わたりをり 八木林之助 虚子編歳時記には、父の日とか母の日の季題はない。段々気を配ることが多くなって、その分本元が弱まってゆく。
「八木林之助集」
自註現代俳句シリーズ三( 三七)
- 六月二十一日夏至
父の日の雷一つ海へ去り 大坂晴風 父の日である。しばらく父の憶い出に浸る。勉強嫌いな自分を励まして呉れたことなど、夕刻空が暗くなり雷が起きたがすぐ止む。父の雷が懐しい。
「大坂晴風集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五五)
- 六月二十二日
どくだみのただあつまつてゐるところ 寺島ただし どくだみ( 十薬)の咲く場所やその状況は、何となくこんな感じを受ける。
「寺島ただし集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二三)
- 六月二十三日
巣を張らぬ蜘蛛と生まれて葉にじつと 本井 英 児玉和子さんが、虚子の〈蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな〉を踏まえたと評して下さったが、意識してはいなかった。善解多謝。
「本井 英集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一六)
- 六月二十四日
鮎釣を犬の迎ふる吉野口 山下喜子 山国の犬、威ありて猛からず。刻がとどまるように寂とした山河。燕が最もせわしい。
「山下喜子集」
自註現代俳句シリーズ五( 三五)
- 六月二十五日
黙もまた一つの保身七変化 泉田秋硯 沈黙は金なりと言われるが、今どきこれは余り通用しない。しかし時には黙っていると賢いように見える時があるのも事実。紫陽花お前もか。
「泉田秋硯集」
自註現代俳句シリーズ八( 九)
- 六月二十六日
羽蟻とぶ街に原爆呪詛の歌 下村ひろし 原爆を徹底的に拒否する被爆市民の痛切な歌声である。原爆忌近くになると、街々にこの声が充ち溢れる。
「下村ひろし集」
自註現代俳句シリーズ三( 一七)
- 六月二十七日
神奈備に当りて落ちし草矢かな 石飛如翠 仏教山と呼ぶ神奈備山がある。句会場へ行く途中子ども達が、この神奈備山の方へ向かってしきりに草矢を飛ばしていた。
「石飛如翠集」
自註現代俳句シリーズ八( 一七)
- 六月二十八日
遠流にも似たる明け暮れ男梅雨 関口恭代 吹き降りの激しい梅雨、外出する気にもなれず流され人のように家籠りの日々は心の底まで暗く、詠むことさえ忘れて憂にひたる。
「関口恭代集」
自註現代俳句シリーズ一一( 九)
- 六月二十九日
梅雨明けを待ち望むにも非ざりき 伊藤白潮 この句だけを句集の返礼に書いてきた人がいた。甚だ抽象的な句で自信もないが、救う神もどこかに存在するのだと思ったことである。
「伊藤白潮集」
自註現代俳句シリーズ五( 六一)
- 六月三十日
形代の襟しかと合ふ遠青嶺 能村登四郎 六月袚のために神社から配られた人形、奉書を裁断したものだが襟の合せ目が人間のもののようにみごとだ。
「能村登四郎集」
自註現代俳句シリーズ二( 三〇)