今日の一句:2020年07月
- 七月一日
頂に一礼なして山登る 伊藤康江 「畦の会」年中行事のひとつ、富士の山開き。浅間神社でお祓いを受け、一行はバスで五合目へと目指した。
「伊藤康江集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一八)
- 七月二日
納涼船赤き一灯を船首にす 岸風三樓 昭和四十年七月二日誌友と共に浜離宮から吾妻橋まで隅田川の納涼船を楽しみ、十七年後のこの日奇しくも隅田川を見下ろせる癌センターの病室で永遠の眠りにつく、時あたかも半夏生の夜であった。
「岸風三樓集」
脚註名句シリーズ一( 一九)
- 七月三日
片蔭のとぎれて思ひまでとぎれ 八染藍子 思いがとぎれて、一句まとめ損ねた代りに、この句ができた。
「八染藍子集」
自註現代俳句シリーズ六( 三一)
- 七月四日
襖絵の山河の古び夏座敷 伊藤トキノ 古ぶこともまた涼しさであろう。
「伊藤トキノ集」
自註現代俳句シリーズ七( 二三)
- 七月五日
生ビール運ぶ蝶ネクタイ曲げて 池田秀水 大きなジョッキをいくつも両手に持って運ぶビアガーデンのボーイさんにはいつも感心する。
「池田秀水集」
自註現代俳句シリーズ六( 四八)
- 七月六日
白山をかくす雲あり冷奴 新田祐久 夏、白山は案外雲中にかくれて見えない。冷奴をたべながら白山を思った。
「新田祐久集」
自註現代俳句シリーズ五( 二四)
- 七月七日小暑
廣重の墓へ手ぶらの涼しさよ 髙田正子 七月七日。廣重が描いた江戸の七夕絵図にひかれて竹ノ塚へ。墓所は以前は浅草にあったらしい。手ぶらの罰か、藪蚊に取り巻かれて早々に退散。
「髙田正子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三三)
- 七月八日
夏痩せてうなづきたまふ訣れかな 西嶋あさ子 七月六日、お呼びするとうなずかれた。付添さんが「この人は、おわかりだ」と言う。先生はよく「あなたの声は聞きやすい」とおっしゃった。
「西嶋あさ子集」
自註現代俳句シリーズ八( 七)
- 七月九日
噴水の音のどこかにサロメ死す 有馬朗人 サンタ・フェは千米ぐらいの高原の街。インディアン風の土の家ばかり。その街に立派な野外劇場があり、夏にニューヨークオペラが来る。
「有馬朗人集」
自註現代俳句シリーズ四( 四)
- 七月十日
熱帯魚人を待つ目の置きどころ 黒坂紫陽子 街角での待ち合わせ。往来の人に視線を向けたり、人待ち顔でも具合が悪い。ペットショップの熱帯魚に目を預ける事にした。
「黒坂紫陽子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一〇)
- 七月十一日
水中花港まつりの灯に買へり 伊藤京子 横浜の港まつり。パレードを見る人々で混み合っている表通りから離れた露店で、水中花を売っていた。
「伊藤京子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四)
- 七月十二日
夾竹桃裾くらくひと去りゆけり 柴田白葉女 夾竹桃が咲きさかる。花はいただきに群れて幹のところは、はや夕刻のくらさとなる。裾の方をくらくその人は去って行った。
「柴田白葉女集」
自註現代俳句シリーズ一( 二六)
- 七月十三日
白靴や忘れて生きること多き 西村和子 今までも忘れたことは多い。後ろをふり向くより新しい土地で前向きに生きたいと思った。
「西村和子集」
自註現代俳句シリーズ八( 三〇)
- 七月十四日
深夜放送巴里祭でありしかな 前野雅生 深夜放送のラジオからシャンソンが流れてきた。そうか、きょうは巴里祭だったのかと気づく。昔の巴里祭は酒場の日だったなどと苦笑した。
「前野雅生集」
自註現代俳句シリーズ八( 四九)
- 七月十五日
白地着て夜の怒濤に立ち向ふ 野田しげき 真暗な海に、白い波濤だけがこちらに立ち向って来る。その怒濤に我を忘れて見入った。
「野田しげき集」
自註現代俳句シリーズ六( 四二)
- 七月十六日
億年を蔵して巌滴れり 藤井圀彦 滴りのない巌はほこりっぽいだけ。巌のない滴りは単なる滴。億年を蔵しているのは巨巌。その巌からしぼり出すように滴る。
「藤井圀彦集」
自註現代俳句シリーズ九( 四六)
- 七月十七日
姫さまの語尾のやはらか鱧料理 伊藤敬子 〈仏典に波の音ありお風入れ〉。松坂屋の伊藤次郎左衛門様のお宅のお風入れにお招きに与るといつも冷泉貴美子様と並ばせてもらうはれやかさ...。
「伊藤敬子集」
自註現代俳句シリーズ続編( 二六)
- 七月十八日
大写しにて鮔そよぐ箱眼鏡 右城暮石 鮔は水底を走るようにして泳ぐ。姿は小さいが動きが速いため、人目につき易い。箱眼鏡いっぱいに動く鮔を「そよぐ」と見た暮石の目が鋭い。ふるさとの土佐山中で、鮔掬いをした少年時代を思い遣っての句である。( 浅井陽子)
「右城暮石集」
脚註名句シリーズ二( 八)
- 七月十九日
沖へ出て恋のボートの揺れどほす 田中水桜 山中湖吟行の所産。恋人同士のボートが岸を離れて行った。然し山中湖は広いから中央へ出れば風もあり波も高く恋のボートは揺れ動くのだ。
「田中水桜集」
自註現代俳句シリーズ五( 二一)
- 七月二十日
木と草と寂かにせめぎ昼寝杣 小松崎爽青 秋近い森の、殷賑とした生気の漲りは、寂かにせめぎあう草木の息吹きである。杣はその生気の中で、活力を養うための昼寝をむさぼるのだ。
「小松崎爽青集」
自註現代俳句シリーズ七( 五)
- 七月二十一日
身ほとりにものの香潔し青簾 関森勝夫 知人の新居。木の香、青畳の香が心地よい。吊したばかりの青簾を通って来る風にも香りがあった。
「関森勝夫集」
自註現代俳句シリーズ六( 二四)
- 七月二十二日
初甘藷を甘しと思ふ大暑かな 瀧澤伊代次 故里では新甘藷のことを初甘藷という。ちいさな初甘藷であったが、大暑の日に食べた。甘いと思った。
「瀧澤伊代次集」
自註現代俳句シリーズ三( 二〇)
- 七月二十三日大書
端居せるほとりみづみづしく故人 赤松蕙子 私は先生! 先生! と絶えず呼びかける人を失った。けれど呼びかける心はもとのままだ。自然に口がほころびて、すぐ側の先生を呼ぶ。
「赤松蕙子集」
自註現代俳句シリーズ三( 一)
- 七月二十四日
夕蟬に一樹さながら森をなす 市村究一郎 蟬の句ばかり、百句作ったことがあった。その中の一つ。いくつか残してあとは捨てた。
「市村究一郎集」
自註現代俳句シリーズ四( 七)
- 七月二十五日
生きてあるこの暑さ不死男忌とこそ 上田五千石 秋元不死男先生の忌日は、毎年のように詠まれているが、不死男忌として詠まれているのは(他は、不死男の忌、不死男先生忌)、句集ではこの句のみ。七月二十五日の前書がある。葬の日も暑かったが、遺影の涼しく温かい眼差を想う。( 松尾隆信)
「上田五千石集」 脚註名句シリーズ二( 一五)
- 七月二十六日
山畑を浅く耕し日焼海女 皆川盤水 伊豆の子浦での句。海女が小石の多い段々畑を耕していた。蜩の声がしきりにしていた。
「皆川盤水集」
自註現代俳句シリーズ三( 三二)
- 七月二十七日
おのづから冷酒のころの膝がしら 細川加賀 私には伏目癖があるせいか、膝にはときおり感情がうごく。
「細川加賀集」
自註現代俳句シリーズ三( 三一)
- 七月二十八日
夏帽をあみだに大志縮小す 中村菊一郎 「少年よ、大志を抱け」( クラーク博士)の大志が、私の場合、年とともにだんだん小さくなってきた。情けないと思う。
「中村菊一郎集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二二)
- 七月二十九日
瀧水と瀧壺の水分ちなし 青木重行 落ちてくる水と瀧壺の水は同じである。だが次々に落ちてくる水はつながってはいるが違うのである。しかし永劫に変らないかも。
「青木重行集」
自註現代俳句シリーズ九( 三)
- 七月三十日
炎天やディズニーランドへ送電線 髙崎トミ子 東京ディズニーランドはいつでも行ける距離にあるがまだ行ったことがない。たくさんの遊具を動かす電力は相当なものと近くを通る度に思う。
「髙崎トミ子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三一)
- 七月三十一日
兜虫草にここより王者の村 小原啄葉 兜虫は皂莢の木などに棲んでいるが、たまたま草に沈んでいるのを見て、哀れに思った。王者の村は平泉。夏草三百号記念東北大会。
「小原啄葉集」
自註現代俳句シリーズ四( 一六)