今日の一句:2020年08月
- 八月一日
白日傘かざして海を遠くせり 下里美恵子 何気ない行動がもたらした心理的な錯覚。実際、海が遠くなることなどないのだが...。
「下里美恵子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四九)
- 八月二日
表札のかはりの茸避暑の荘 高橋桃衣 門に猿の腰掛けのような大きな茸が生えている。表札などあまりないこのあたり、茸の家と宛名に書けば、着くかも知れない。
「高橋桃衣集」
脚註名句シリーズ一二( 二一)
- 八月三日
ゆく夏の釣果ブラックバスばかり 加古宗也 ブラックバスは外来魚で、魚のギャングとも呼ばれている。近年、琵琶湖に大繁殖し、なすすべなし。
「加古宗也集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四二)
- 八月四日
他の草に浮きて沈みて靱草 山田みづえ 写生。逞しい靭草だった。ゴルフ場付近の土堤。
「山田みづえ集」
自註現代俳句シリーズ続編( 一五)
- 八月五日
草田男逝くコンクリートに雀灼け 舘岡沙緻 同人のA氏に「焼鳥でも焼いているのか」と句会後に云われる。眼も眩むばかりの炎暑の日であった。
「舘岡沙緻集」
自註現代俳句シリーズ七( 一二)
- 八月六日
園児らの群がる蛇口原爆忌 藤井圀彦 郷里を遠く離れた愛知県半田の飛行機工場で、原爆投下の小さな記事を読んだ。十五歳たった。敗戦後苦労して帰郷した。三たび許すまじ原爆を。
「藤井圀彦集」
自註現代俳句シリーズ九( 四六)
- 八月七日立秋
心静かに在れば涼風自ら 星野立子 八月六日、鎌倉婦人子供会館。暑くていらいらしたり、仕事が出来なかったりする。だが心持を静かに整えていれば自然に道はひらける。そして涼風が自分の心を慰めてくれる。おのずから、その通り、心持次第でおのずから道はひらける。母はそういう強い人であった。
「星野立子集」 脚註名句シリーズ一( 一七)
- 八月八日
足もとを駅員が掃く夜の秋 長棟光山子 くりはら田園鉄道の終着駅「ほそくら」。細倉鉱山の最盛期には、一日千人以上の客があった。六十二年に鉱山は閉山。その後鉄道も廃止された。
「長棟光山子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五二)
- 八月九日
語り部のケロイド老いず長崎忌 縣 恒則 長崎市の被爆者の年齢も高齢化し、年々少なくなっていく。被爆の悲惨さを後世に伝えようと必死である。
「縣 恒則集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一四)
- 八月十日
女より別れ話しや西鶴忌 田口三千代子 男女平等になって来た戦後。昔は男から切り出すことの多かった別れ話も、女性の方から口にすることも増加中の昨今である。
「田口三千代子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三七)
- 八月十一日
這松に止まりのごまの高鳴けり 大原雪山 前に同じ。のごまは「喉紅鳥」。スズメ目ツグミ科の小鳥。姿が美しい。広大な這松の平で鳴く姿は忘れ難い。知床の地名はアイヌ語でシレ・トク。
「大原雪山集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三六)
- 八月十二日
阿波踊り出をまつ裾をたくし上げ 菊地凡人 〈手をあげて足を運べば阿波踊〉風三樓先生の"踊句碑"と古稀祝いを兼ねての春嶺大会。踊句碑に囚んで凡人を先頭に同人有志が演じた。
「菊地凡人集」
自註現代俳句シリーズ九( 一三)
- 八月十三日
踊の輪織子染子も加はれり 近藤一鴻 郡上八幡は踊りとともに、郡上紬の町。織子も染子も辻に出て、町の衆と一緒に軽快な踊の輪をつくる。
「近藤一鴻集」
自註現代俳句シリーズ三( 一四)
- 八月十四日
盂蘭盆や槐樹の月の幽きより 飯田蛇笏 盂蘭盆は旧歴がいい。八月中句というのは、生者に強く無常感を感じさせるのに効果的な時期。夜の秋とも重なる。甲州は旧盆の筈。この句、「三伏の月の穢」の名吟とよく似た境地。槐樹の枝間に望まれる盆の月は、なにやら冥界の幽趣を見せる。
「飯田蛇笏集」 脚註名句シリーズ一( 二)
- 八月十五日
終戦日路上に踏みし一円貨 峰尾北兎 終戦日。ふと路上で踏んだ一円貨。終戦直後の封鎖時代は一円でも貴重だった。闇市での一円の価値。いまはゴミより軽い。
「峰尾北兎集」
自註現代俳句シリーズ七( 一)
- 八月十六日
船上の終戦の日の正午かな 大屋達治 八月十五日、NHK-BS吟行句会、横浜の氷川丸船上。放送中、モニターに映る夜の海の映像に亡き父も行った戦争を想う。
「大屋達治集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六五)
- 八月十七日
蒲焼やああわれ夏の生れにて 手塚七木 私の生れは八月十七日の真夏。そのせいか、丑の日などと言って鰻を食べる日のころでもある。
「手塚七木集」
自註現代俳句シリーズ八( 四一)
- 八月十八日
書して劃崩さず盆の枌塔婆 加倉井秋を 京都光悦寺の一句。枌塔婆に書かれた文字は、楷書の正しい文字であった。如何にも三筆と謳われた光悦の枌塔婆だ。礼儀正しい光悦の姿と思えた。
「加倉井秋を集」
脚註名句シリーズ二( 一一)
- 八月十九日
冷されて牛の貫祿しづかなり 秋元不死男 「俳句はものだ、重量感だ」という日頃の不死男のお題目が実を結んだ作品と思います。この「貫祿」は本人の自画像ということで、当時評判がよかったようです。そんなことで、富士霊園のお墓にはこの句を刻みました。
「秋元不死男集」 脚註名句シリーズ一( 一)
- 八月二十日
新涼や笛の飛天の指立てて 村上沙央 平等院鳳凰堂の大規模修理のため、外された飛天群が仙台市博物館で公開展示された。二度と得られぬ絶好の機会に興奮一入。
「村上沙央集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二〇)
- 八月二十一日
日陰もう拾はんとせず秋の蟬 八木沢高原 片陰や木陰を拾って歩いた猛暑が去って、もう日陰が欲しくなくなったころ、蟬も秋蟬となっていた。
「八木沢高原集」
自註現代俳句シリーズ四( 五二)
- 八月二十二日
幼にして兄となりし子星流る 平井さち子 まだおむつもとれないのにもう兄となる。痛々しさぱかりが先にたつ。
「平井さち子集」
自註現代俳句シリーズ三( 二八)
- 八月二十三日処暑
今日処暑の厠の隅を拭きにけり 小林愛子 爽やかな季節を呼びこむように。
「小林愛子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二二)
- 八月二十四日
手をかざすときに傾く踊の輪 山仲英子 一斉に傾く〈踊の輪〉は、それ自体が、生きもののようだ。
「山仲英子集」
自註現代俳句シリーズ八( 二四)
- 八月二十五日
虎列拉避けの花火か燃ゆる水の上 有働 亨 舟ばたでの手花火ででもあろうか、水の上に花火が燃えていた。不気味な眺めだった。「虎列拉避けの」は、帰京して白秋詩集から発見した。
「有働 亨集」
自註現代俳句シリーズ四( 一二)
- 八月二十六日
火祭や鈴鳴らし行く富士行者 新倉矢風 富土吉田火祭の景。山仕舞の祭。戸毎に篝を焚き、富土を乗せた神輿をかつぎ、富士行者は白衣の腰に鈴をつけお宮詣りをして山仕舞となる。
「新倉矢風集」
自註現代俳句シリーズ六( 四〇)
- 八月二十七日
火の山を諫め鎮めて鉦叩 太田寛郎 「裹磐梯」の前書。八月二十五、六日。第六回狩くらべに参加。高原の虫の音はひときわ高く澄んでいた。
「太田寛郎集」
自註現代俳句シリーズ九( 八)
- 八月二十八日
八月の傷なまなまと昭和生れ 山本つぼみ 昭和初期生れの歴史は目まぐるしい時代の変化を余儀なくされた。一つ一つの傷跡も深さがのぞく。原爆、敗戦、大きなものを失った八月。
「山本つぼみ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三)
- 八月二十九日
さびしさに群れをり狐の剃刀は 川澄祐勝 彼岸花より一月程早く咲く狐の剃刀、寺山のあちこちに群生しているが意外と知られていない。控え目な女性のような美しい花なのに。
「川澄祐勝集」
自註現代俳句シリーズ続編( 二二)
- 八月三十日
つまづいてから廻り出す走馬燈 村山秀雄 つまずいたから走り出す。つまずかなかったら歩いていたかも。
「村山秀雄集」
自註現代俳句シリーズ九( 二)
- 八月三十一日
輪番で鳴き輪唱の蜩よ 田中貞雄 わが谷戸の夏の夕暮の風物詩。
「田中貞雄集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五四)