今日の一句:2020年09月
- 九月一日
三味の音を繋ぐ胡弓や風の盆 戸恒東人 八尾の人に案内をしていただいたので、三味線や胡弓の名人の音色を身近に聞くことができた。
「戸恒東人集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 九)
- 九月二日
蟋蟀が鳴きそむ熱帯夜の隅に 細谷鳩舎 この年は九月に入っても、寝苦しい夜があった。それでも、どこかで蟋蟀が鳴き始めていた。
「細谷鳩舎集」
自註現代俳句シリーズ五( 三四)
- 九月三日
飛び立たんばかりに倒れ竹伐らる 中坪達哉 竹山で九月頃の性の良い竹を伐る。伐られた竹は、伐られたことが分からない。下からの衝撃に耐えかねて宙に舞う。そして舞うように倒れる。
「中坪達哉集」
自註現代俳句シリーズ一二( 八)
- 九月四日
十六夜や女神が統ぶる沖ノ島 坂本宮尾 久女が吟行した筑前大島を訪ねた。遥拝所から女人禁制の沖ノ島が見えた。お言わず様と呼ばれるこの孤島は、近年世界遺産に登録された。
「坂本宮尾集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四六)
- 九月五日
篝火のひときは躍る無月かな 石山ヨシエ 月見の会が問かれ、薄や野花が活けられていた。しかし月を見ることは出来ず、篝火のはじける音が空しく響いていた。
「石山ヨシエ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三七)
- 九月六日
露けしや母書き溜めしものを編み 村上喜代子 母は父の死後、一人で五人の子供を育てた。生活に追われながら書き溜めた短歌や詩、俳句のノートを手渡され、『星月夜』という本にしてあげた。
「村上喜代子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四二)
- 九月七日白露
ワイパーの負けん気を見す野分中 田所節子 台風のためか雨が激しくなってきた。油断すると車のフロントガラスも雨でくもって外が兒えなくなってしまう。ワイパーが、一生懸命働いている。
「田所節子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三一)
- 九月八日
兵の墓の二百花野に直立す 柏原眠雨 八甲田山の雪中行車遭難者の百九十九基の墓。青森市郊外の幸畑陸軍墓地に、兵の整列のように直立して整然と並ぶ。秋草が花をつけていた。
「柏原眠雨集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六六)
- 九月九日
まだ夢に父に蹤く母萩の門 杉本 寛 父と母、個々の夢はよく見るが、揃ってというのは珍しい。背景が百花園であるのは、金婚の日の印象が強かった故為であろうか。
「杉本 寛集」
自註現代俳句シリーズ六( 九)
- 九月十日
芙蓉実に子らの生活費をふやす 松本 旭 芙蓉の実を見上げながら、ふと学生結婚をして離れ住む子供夫婦の生活費をふやしてやらねばと思った。
「松本 旭集」
自註現代俳句シリーズ四( 四六)
- 九月十一日
大津絵の朱を爽涼と見てゐたり 鈴木節子 「沖」勉強会、琵琶湖行。大津絵の店にも立ち寄った。大津絵の朱に心を奪われることしきりであった。〈はじめの灯涼しく入るる地蔵盆〉同所産。
「鈴木節子集」
自註現代俳句シリーズ九( 三六)
- 九月十二日
鳩車押して戻して夜の長き ながさく清江 信州野沢のあけび蔓で編んだ思い出の鳩車。執筆に惓めば掌にものせ、机上に押しては戻す癒しの刻が、詩心を甦らせてくれる。
「ながさく清江集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六〇)
- 九月十三日
鷹よぎり一村の水澄みにけり 大串 章 大きく爽やかな句がほしいと思う時がある。俳句は所詮作者の身丈を出ぬものだが、その身丈を少しでも伸ばしてくれる句がほしいと思う時がある。
「大串 章集」
自註現代俳句シリーズ五( 七)
- 九月十四日
昨日降りけふ降り秋の足早に 古賀雪江 一雨ごとに秋が進んでゆく。そして、一雨ごとに木の葉が秋色を増して行く。
「古賀雪江集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一三)
- 九月十五日
秋の蝶てふてふと飛びてと止まる 高橋悦男 秋の蝶は夏の蝶に比べて元気がない。とくに晩秋になって気温が下がると飛ぶ力が衰えて、すぐに地面に降りて木や草にとまる。
「高橋悦男集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三五)
- 九月十六日
いつ眠りたる邯鄲を聴きゐしに 小倉英男 「若葉」の誌友今井春眠氏は邯鄲の飼育をよくし、句会の折に小筥に入れた邯鄲を一匹いただいた。その邯鄲は十二月まで鳴きつづけた。
「小倉英男集」
自註現代俳句シリーズ八( 三四)
- 九月十七日
牧草の波にさからふ穴まどひ 山田孝子 大阪府能勢種畜場。句友のひとりは句に行詰るとこの牧場へ出掛けてゆくという。関西人には手頃な吟行地として親しまれている。
「山田孝子集」
自註現代俳句シリーズ八( 三九)
- 九月十八日
歩きゐておのれにかへり露の山 山上樹実雄 考え事をするとき所かまわず歩く癖があって熊と言われた。こんな私に楸邨の芭蕉を語っての「歩行的思考」は救い。歩く事は孤の自分に帰る一法。
「山上樹実雄集」
自註現代俳句シリーズ五( 五五)
- 九月十九日
新聞をきつちり畳み獺祭忌 浅井陽子 「法隆寺子規忌献句大会」に参加。新聞記者だった子規を思っての句。
「浅井陽子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一一)
- 九月二十日
秋燈や見馴れし妻の小銭入 村上しゅら あちこちから、見馴れた姿の身回りの品がでてきた。
「村上しゅら集」
自註現代俳句シリーズ三( 三四)
- 九月二十一日
賢治忌の月光椅子の翳倒す 岡崎光魚 四脚の椅子に月光があたり、床の上へ斜めに濃く投影されている椅子の脚。九月二十一日死去の宮沢賢治がチェロを奏でている姿を思い浮かべた。
「岡崎光魚集」
自註現代俳句シリーズ一二( 七)
- 九月二十二日秋分
秋分や祖母につづきて蔵に入る 佐藤博美 母の実家の蔵。空襲で焼け出された経験があるからか、床はなんとタイルだった。
「佐藤博美集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二六)
- 九月二十三日
竿先に水の呼吸や鯊を釣る 石井いさお 桑名の赤須賀漁港。春夏は蛤漁などが盛んな港だがこの日は漁はなし。竿の先に水の呼吸を聞きながら鯊を釣っている人がいた。
「石井いさお集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三二)
- 九月二十四日
と聞けば塩辛蜻蛉男前 本井 英 上五の字足らず。虚子にも「と言ひて」がある。「塩辛蜻蛉」が総て雄とは知らなかった。雌は「麦藁蜻蛉」。そう知って見ると「男前」だなあ。
「本井 英集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一六)
- 九月二十五日
母といふはるかなるもの葛咲けり 伊東 肇 北軽井沢は群馬県の吾妻郡嬬恋村で、村道の至るところに葛の花が見られる。ふとイメージが浮かんだ。〈葛咲くや嬬恋村の字いくつ 波郷〉
「伊東 肇集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三八)
- 九月二十六日
遅月や双手に囲ふ白湯茶碗 小野恵美子 寝しなにお茶など飲んだらそれこそ大変。一晩中悶々としなくてはならない。
「小野恵美子集」
自註現代俳句シリーズ八( 一九)
- 九月二十七日
りんだうや背筋正しき父なりし 水原春郎 父は生涯あぐらをかいたことはない。いつも背筋を伸ばしぴんとして正座していた。竜胆が好きである意味父らしい花と思う。
「水原春郎集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六七)
- 九月二十八日
野分晴雲突き抜けて山尖る 松永浮堂 台風が去った後の空は、本当に澄み切っていて美しい。野末の山々がくっきりとした紺色をしている。晴れ渡っていて谷川岳まで見える。
「松永浮堂集」
自註現代俳句シリーズ一二( 六)
- 九月二十九日
肩に触る花芒まだやはらかし 小川濤美子 山中湖の周辺は一寸奥に入ると至るところに芒原がある。好んで原に行ってみたときの句。
「小川濤美子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五七)
- 九月三十日
水底に足跡が澄む雁渡し 今瀬剛一 収穫の終わった田ほど寂しさを感じさせるものはない。ところどころに水をためていてその水底に収穫の時の足跡がくっきりと残っている。
「今瀬剛一集」
自註現代俳句シリーズ六( 三三)