今日の一句:2020年10月
- 十月一日
曼珠沙華天のかぎりを青充たす 能村登四郎 「沖」創刊の高潮した思いが詠まれている。五十九歳にして一誌を主宰することは必ずしも早いとは言えなかったが、父にとっては俳句が自分の生きる方法であると確信した時でもあった。平成十二年、現在父が眠る菩提寺東京谷中の延壽寺境内に句碑が建立された。( 能村研三)
「能村登四郎集」脚註名句シリーズ二( 五)
- 十月二日
花びらの松葉に飛べり秋さうび 棚山波朗 秋薔薇の花びらの一片が、近くの松葉に飛んでいた。薔薇の紅も松葉の緑もともに鮮やかだった。
「棚山波朗集」
自註現代俳句シリーズ七( 四九)
- 十月三日
老父に栗剝くための夜を残す 渡邊千枝子 剝かないと手を出さない父のために、丹念に栗を剝いた。毎年、栗を剝くたびに父の居ないのをせつに思う。
「渡邊千枝子集」
自註現代俳句シリーズ八( 三)
- 十月四日
黄ばみ来て及ぶものなし稲の色 右城暮石 稲の黄ばむ頃、山田の広がる地を吟行する度に「いい色やねぇ」と言い、この稔りの色をなんと表現したらよいのだろうと言った暮石の呟きを聞き続けた。どう表現するか。その苦労を尽された作品だと思う。( 矢野典子)
「右城暮石集」 脚註名句シリーズ二( 八)
- 十月五日
秋晴のさらに明るき方へ行く 岸本尚毅 どこだったか忘れたが、ゆるやかな起伏があった。立っている地面の角度によって明るさが違うのである。
「岸本尚毅集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二七)
- 十月六日
稲は穂に海やはらかくなりしかな 橋本榮治 調べのうえからも日差に輝く稲穂の景を捉えてみたいと苦労した。上五のような表現は本来好まないが、意図に添ってこのような表現を選んだ。
「橋本榮治集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四〇)
- 十月七日
給油所の直立少女秋高し 岩永佐保 給油後の車を誘導してくれるバイトの少女もここでは労働者だ。バックミラーに捉えた子が秋の空気にきりっと美しい。
「岩永佐保集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三八)
- 十月八日寒露
桐の実を見るは耳搔き使ふとき 岩淵喜代子 日常とは違う視点になるときには、日常からは見えなかったものが見えたりする。
「岩淵喜代子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三五)
- 十月九日
眼鏡買ふ日暮早しと思ひつつ 千田一路 やがて五十代である。遠視鏡と親しむ年齢であろう。日暮れの早さと重ねて実感した。以来、眼鏡は忘れ物の主役。
「千田一路集」
自註現代俳句シリーズ九( 一)
- 十月十日
藁塚に隠れてみたり誰も来ず 落合美佐子 幼い日の思い出を引きずりながら、私たちは生きている。思い出の中の藁塚に身を置いてそっと隠れてみるが、それに気づく人はいない。
「落合美佐子集」
自註現代俳句シリーズ九( 一五)
- 十月十一日
秋惜しむ佐原囃子を舟に聞き 皆川盤水 「佐原四句」の前書きのある中の一句。この句の解説に「十月十一日、佐原の秋祭吟行での作。千葉の与田浦、横利根付近を歩き、舟で佐原へ渡る途中、佐原囃子を聞いてきた句である」としている。( 良多)
「皆川盤水集」
脚註名句シリーズ二( 一二)
- 十月十二日
半日にして八方に稲架の陣 木内怜子 農作業をする人は実によく働く。その素早さ、根気よさは日本人の原点だと思う。
「木内怜子集」
自註現代俳句シリーズ七( 四一)
- 十月十三日
露しぐれ詩より命を惜しむ日も 鍵和田秞子 還暦を越えてから、命についても考えるようになった。詩に一途に生きるだけではすまされない状況も起こる。ふとある日の感慨。
「鍵和田秞子集」
自註現代俳句シリーズ続編( 二一)
- 十月十四日
渡り鳥みるみるわれの小さくなり 上田五千石 俄に高度を上げる渡り鳥。仰いでいる自分は地上にとり残され「みるみる」小さくなっていく。読者も「みるみる」鳥の目になっていくのを実感する。鳥に乗り苦難と希望に満ちた未知の国へ旅立った童話の主人公でもあろうか。( 円辺百子)
「上田五千石集」 脚註名句シリーズ二( 一五)
- 十月十五日
秋虹へ椅子一斉に廻しけり 奈良文夫 「あら、虹」という女子職員の声。ビル群を跨いで大きな虹がかかっていた。
「奈良文夫集」
自註現代俳句シリーズ八( 二七)
- 十月十六日
ふだん着の師より給はる零余子飯 栗田やすし 院生の頃、武蔵境駅近くに常宿をとり、授業が終わると発行所に直行した。綾子先生の手料理をご馳走になることもしばしばであった。
「栗田やすし集」
自註現代俳句シリーズ九( 一四)
- 十月十七日
合戦のまつ只中に菊師ゐて 檜 紀代 若い時は歴史小説・戦記物が大好きだった。恋愛ものは苦手で、そんな場面が出てくるとスッとばして読んだ。その祟りで、恋愛せずじまい。
「檜 紀代集」
自註現代俳句シリーズ五( 二五)
- 十月十八日
菊畑をかたづけてゐる烟かな 岡井省二 當麻は塔のふたつながらに
「岡井省二集」
自註現代俳句シリーズ五( 一〇)
- 十月十九日
べつたら市で行きあひたるが最後かな 岩崎健一 十月十九日夜、日本橋大伝馬町のべったら市の人混み。草の旧友堂前杯芽さんとすれちがったが声をかける間もなかった。
「岩崎健一集」
自註現代俳句シリーズ七( 二五)
- 十月二十日
夕百舌鳥や機音まみれの燭ひとつ 下鉢清子 小貝川のほとりの機場は玻璃戸一枚。機音の跡切( とぎ)れも無い中を灯が入る。
「下鉢清子集」
自註現代俳句シリーズ七( 三四)
- 十月二十一日
肩越しに山の音くる零余子かな 藤木俱子 西村嘉氏と、上北・下北の貝採集の湖沼巡りをした。鷹架沼では菱採りを楽しんだ。小川原湖ではむかごを曵いたり、栗拾いに興じた。
「藤木俱子集」
自註現代俳句シリーズ八( 二一)
- 十月二十二日
蘆火すすめくれたる問はず語りかな 鈴木貞雄 江戸川の岸辺を歩いていると、蘆刈に出合った。火に近づいて手をかざすと、蘆刈のほうから話しかけてきた。
「鈴木貞雄集」
自註現代俳句シリーズ七( 二九)
- 十月二十三日霜降
残菊の旦暮の影の濃かりけり 鈴木良戈 晩秋に四囲枯れても、色淡く咲き残っているのは人間の老残と通じるものがある。万物はすべて移ろい、気力は萎えてしまう。
「鈴木良戈集」
自註現代俳句シリーズ八( 四三)
- 十月二十四日
御猟場址ためらひもなく鴨降りる 里川水章 千葉行徳の宮内庁鴨猟場址。猟場内外には広大な芦洲原が広がっている。( 皇太子と雅子さまが、かつて㊙のデートをされたのもこの猟場址。)
「里川水章集」
自註現代俳句シリーズ八( 一三)
- 十月二十五日
柿の村日当りのよき家ばかり 辻田克巳 宇治白川村は干柿の産地。天高く吊した幾百幾千の干柿の簾はよく季節を飾る新聞写真の素材になる。柿長者とでもいうのか日のよく当る家ばかり。
「辻田克巳集」
自註現代俳句シリーズ五( 二二)
- 十月二十六日
山の駅降りしは一人秋深む 内田園生 軽井沢にて二句。七、八月頃あんなににぎわったこの駅も、立冬近い、十一時着の最終列車ともなれば、他に降りる客も無い。倉橋羊村氏選。
「内田園生集」
自註現代俳句シリーズ八( 一二)
- 十月二十七日
長寿眉と言はれしことも秋燕忌 角川照子 源義が帰宅するなり、長寿の眉と言われたと、嬉しそうに撫でて居たが、その効き目の顕われぬうちに逝ってしまった。皆信じていたのに。
「角川照子集」
自註現代俳句シリーズ五( 一三)
- 十月二十八日
人の世の灯の煌々と十三夜 青木重行 少し大袈裟の言い廻しか。十三夜の月も現在では秋らしい光を失っている。何か人問の生活に関わっているような気がしてならない。
「青木重行集」
自註現代俳句シリーズ九( 三)
- 十月二十九日
あはあはと雲の端にあり後の月 山崎ひさを 十月二十五日、竹芝桟橋。途中、自動販売機から熱燗を仕入れ、一記、譲二等と埠頭に嗜む。潮風ことのほか寒く、我らのほか人影をみなかった。
「山崎ひさを集」
自註現代俳句シリーズ四( 五三)
- 十月三十日
逝く秋の法廷画家といふ仕事 櫂 未知子 描きたいものを描くわけではないらしい「法廷画家」は、今もって不思議でならない職業の一つである。
「櫂 未知子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四一)
- 十月三十一日
鵙鳴くやいまも一徹なる父に 青柳志解樹 わたしの父はかなり高齢なのだが、いっこうに一徹さは衰えない。猛る鵙も一徹だが、その上をゆく。
「青柳志解樹集」
自註現代俳句シリーズ四( 一)