今日の一句:2021年01月
- 一月一日
木の下を鳥歩む音年新た 松浦加古 乾いた落葉の上を鳥が歩いて何かをつついてゆく。昨日と全く変らない光景なのだが、年が改まると何もかも新鮮に思われる。
「松浦加古集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一八)
- 一月二日
また一つ老いてしまひし草石蚕かな 下鉢清子 新年を迎えると加歳の思いはまだ抜け切らない。ちょろぎの歯切れよき語に一句試みたもの。
「下鉢清子集」
自註現代俳句シリーズ七( 三四)
- 一月三日
また親し無名賀状の二三枚 米谷静二 年賀状が作句の対象になるというのも年齢のせいだろう。とくにこの句のような例、昔なら怒って捨ててしまったかもしれないのに。
「米谷静二集」
自註現代俳句シリーズ五( 二九)
- 一月四日
箱ひらき初荷の薬匂はしむ 白岩三郎 職場の病院では薬の管理もしている。薬の匂いはきらいではない。カプセルやパックされた錠剤が多いので一昔前ほどの匂いはなくなった。
「白岩三郎集」
自註現代俳句シリーズ六( 三九)
- 一月五日小寒
長男に長女うなづく福寿草 源 鬼彦 正月には長男夫婦が帰省するのが恒例。その時の長男と長女が話をする様子をスケッチ。正月はくつろぐの感が深い。
「源 鬼彦集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四四)
- 一月六日
今生にこの妻掃除はじめかな 細川加賀 今生にこの妻は、大げさで気がひけるが、縁あって妻となった者への愛憐の情をしみじみ抱くことがある。
「細川加賀集」
自註現代俳句シリーズ三( 三一)
- 一月七日
七草籠のなづなの花が咲きにけり 西嶋あさ子 これでいいんだよ、と先輩に言われた。あまりにさり気ないが、できてしまうと、愛着がわく。これでもこだわっていたのだと、後で気づく。
「西嶋あさ子集」
自註現代俳句シリーズ八( 七)
- 一月八日
一橙を据う一燈を置く如し 相生垣瓜人 一燈を置けば其処に心の寄り所が得られる。新年を迎えて又新しい一橙を据える。又新しい年の新しい心の寄り所が生れるのである。
「相生垣瓜人集」
自註現代俳句シリーズ一( 一九)
- 一月九日
初暦恪勤すでにはじまれる 浦野芳南 恪勤とは職場のリズムに忠実なことであろうか。だからリズムからそれる違和感だけが嫌で、初暦にもそんなメモをびっしりと書き込んだ。
「浦野芳南集」
自註現代俳句シリーズ三( 五)
- 一月十日
暁闇の雪待ちゐたる梢たち 鈴木貞雄 未明に散歩に出ると、雪雲の下で、木々の梢がうちふるえていた。やがて来るであろう雪を待ち望むかのように。
「鈴木貞雄集」
自註現代俳句シリーズ七( 二九)
- 一月十一日
信者みな白衣笹清淨雪清淨 岡田日郎 右に同じ。七面山は身延山久遠寺の奥の院として日朗上人が開祖である。敬慎院という宿坊があり信者でにぎわう。正月二日は満員であった。
「岡田日郎集」
自註現代俳句シリーズ二( 九)
- 一月十二日
寒柝の音のはずれに齢加へ 伊藤通明 夜の八時に集合して「火の用心」を触れて回るのは、子供会の楽しい冬の行事であった。しかし今は寒柝の音に年齢を重ねてしみじみとしている。
「伊藤通明集」
自註現代俳句シリーズ四( 九)
- 一月十三日
寒雀市のはづれといふところ 佐藤博美 浅草寺から少し外れたところに寒雀が遊んでいた。人混みから早く逃れたいと思っていた私と通じる。
「佐藤博美集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二六)
- 一月十四日
おもちや屋のネオンわいわい雪降り来 宮崎すみ 何につけても、おもちゃ屋は楽しい。ネオンすら賑やかである。それに加えて子供の大好きな雪......。
「宮崎すみ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四)
- 一月十五日
初鴉面を上げて鳴きにけり 皆川盤水 鴉は色や鳴き声などから不気味な鳥とされる。一方神社では、八咫烏など瑞兆とされる。特に元旦の鴉は神鴉として目出度く、鴉好きの盤水にとっても特別なもの。その鴉の「面を上げて」には思い入れがひときわ深かったのであろう。「皆川盤水集」
脚註名句シリーズ二( 一二)
- 一月十六日
凍滝の膝折るごとく崩れけり 上田五千石 「膝折る」とは、頑張った末屈服すると言うことである。作者が「凍滝」の「崩れ」の瞬間まで凝視していたことが解る。五千石俳句の真髄である「眼前直覚」、「われ」「いま」「ここ」を自ら示している句である。(金子千洋子)「上田五千石集」 脚註名句シリーズ二( 一五)
- 一月十七日
祀られて枯にまぎるる藁の蛇 宮津昭彦 市川市付近には辻切という風習が残っている。村の境界に藁で作った大きな蛇を懸け、災厄や厄病が村に入るのを防いだ。
「宮津昭彦集」
自註現代俳句シリーズ続編( 八)
- 一月十八日
竹馬に土まだつかず匂ふなり 林 翔 学生時代に「青竹の青き匂に・・・」と竹馬を短歌に詠んだ。その中の子供は竹馬に乗っていたが、これはまだ乗らないところがみそだろう。
「林 翔集」
自註現代俳句シリーズ三( 二六)
- 一月十九日
無垢の瞳となり寒林を出できたる 藤木俱子 寒林は下に雪を敷いている時は、殊に明るく透明な空気に満たされている。〈寒林や心澄まねば眸の澄まず〉( 平成三年)の句もある。
「藤木俱子集」
自註現代俳句シリーズ八( 二一)
- 一月二十日大寒
潮鳴れば雪にあくがれ雪椿 松本 進 海岸の斜面に張りつくように雪椿の群落があった。佐渡より吹きつける雪の今降り出したばかりなのに、もう積っている。あえかな雪椿が眼に滲む。
「松本 進集」
自註現代俳句シリーズ七( 四)
- 一月二十一日
大それたこと夫がせり藪柑子 鈴木節子 六十二年一月号を創刊として、夫が主宰誌「門」をもった。家業は、私にまかせるというが、大変なこと、夫も私も、一層忙しく、何と大それたこと。
「鈴木節子集」
自註現代俳句シリーズ九( 三六)
- 一月二十二日
火を焚けば真つ暗になる寒き夜 井越芳子 一月も煖炉の火を見に行く。火を焚けば明るくなるはずなのに真っ暗になった。そう思えた一瞬があった。多くの方が取り上げてくれた。
「井越芳子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四八)
- 一月二十三日
極寒の切妻にある一間かな 田中芥子 川中島古戦場の冬はきびしい。切妻の家が多い。その家の中にある一間。質素だが充実した生活があるにちがいない。千曲野の霧氷は美しい。
「田中芥子集」
自註現代俳句シリーズ六( 一二)
- 一月二十四日
かげといふ光や寒の白牡丹 鳥越すみ子 「月かげ」の影は月そのもの、月の光である。寒に咲く牡丹の純白にその「かげ」を見た。
「鳥越すみ子集」
自註現代俳句シリーズ七( 一五)
- 一月二十五日
諍を好まぬ蝶の凍てにけり 樋笠 文 諍うつもりはなくても、好まぬ方向へ追いやられることがしばしばある。こんな時は物言わず、心を凍結するに限る。
「樋笠 文集」
自註現代俳句シリーズ四( 四〇)
- 一月二十六日
スキー帽脱ぎ捨てに炉をかこみけり 岡田貞峰 スキーを脱ぎ終るやいなや、炉をかこむ奔放な青年がいた。スキー帽が、凍魚のように滴っていた。
「岡田貞峰集」
自註現代俳句シリーズ四( 一四)
- 一月二十七日
縄を綯ふ音とどきゐる氷柱かな 大串 章 古い歴史を担った木曾と現代の人間である自分とがどこまで腹を割って対話できるか、俳句を通じて試みてみたい、とこの頃「濱」に書いている。
「大串 章集」
自註現代俳句シリーズ五( 七)
- 一月二十八日
みちのくの星入り氷柱われに呉れよ 鷹羽狩行 私は山形県生まれ。幼時に食べた鬆入り大根も、父の書斎の草入り水晶のように懐しく、デパートの花氷のように美しい。
「鷹羽狩行集」
自註現代俳句シリーズ一( 二)
- 一月二十九日
木偶にいま魂入りて初芝居 品川鈴子 大阪道頓堀の朝日座では最後の文楽公演。文楽通の母方の従姉美鶴さんの誘いで〈初芝居浄瑠璃本をおしいただき〉人形遣いはまさに魔法遣い。
「品川鈴子集」
自註現代俳句シリーズ五( 四二)
- 一月三十日
大正の生れの証し黒襟巻 大牧 広 この内容だと大正よりも明治に近い。こむずかしい顔をして適当に吝嗇で適当に好色でという大正像を出したかったのだが古風すぎたようだ。
「大牧 広集」
自註現代俳句シリーズ六( 五一)
- 一月三十一日
寒柝の仕舞の一打われへ打つ 橋本榮治 私の住む生麦は江戸時代より続く漁村。寒に入ると、町内会で組織する夜回りが拍子木を打つ。昔のように決まった時間に町内を巡ってくる。
「橋本榮治集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四〇)