今日の一句:2021年03月
- 三月一日
日おもては母のふところ牡丹の芽 ながさく清江 安住敦先生の推選で、当時の「朝日グラフ」に掲載されて嬉しかった句。同時作で〈牡丹の芽めでたき名もて売られけり〉も。
「ながさく清江集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六〇)
- 三月二日
工房や挿して雛の首いくつ 杉森与志生 京の雛人形工房所見。
「杉森与志生集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一九)
- 三月三日
きぬぎぬのうれひがほある雛かな 加藤三七子 毎年飾る白い照りの雛の顔は、愁いのきいたものおもいに充ちたもので、古びてますます好ましい感じになる。
「加藤三七子集」
自註現代俳句シリーズ三( 一〇)
- 三月四日
啓蟄の雀かしこくなりにけり 椎橋清翠 身近な小鳥だけに憎めない可愛さがある。
「椎橋清翠集」
自註現代俳句シリーズ七( 三六)
- 三月五日啓蟄
啓蟄やむかしの恋といまの恋 町 春草 恋物語は多い。むかしは悲恋、心中などの恋も多かった。いまの恋は、あきらめるのか割り切るのか悲恋や心中が少ない。時代の移りの激しさ。
「町 春草集」
自註現代俳句シリーズ六( 二七)
- 三月六日
眞菰生ふや三月あらぶ沼の波 篠田悌二郎 印旛沼、三月というに風波が立ち、真菰の芽が、波に洗われていた。
「篠田悌二郎集」
自註現代俳句シリーズ一( 一七)
- 三月七日
桃山の屛風めぐらし地虫出づ 山口青邨 桃山時代の屛風がめぐらされている寺院、そして時は春、啓蟄の頃である。「啓蟄の・・」としては、この句は面白くない。立派な屛風の前に地を出てきた地虫が、ちょっと顔を地上に出して屛風におどろいているというカリカルチャーがある。「山口青邨集」 脚注名句シリーズ一(二〇)
- 三月八日
桃花一束酩酊に似て抱へ来る 山田みづえ 毎年三月に味わう気分。大きい壺にワァッと活ける。桃源境には及ばずとも。
「山田みづえ集」
自註現代俳句シリーズ続編( 一五)
- 三月九日
一雨経し春の土こそかなひけり 松村蒼石 ひさしく見なかった雨にすっかり潤った土塊であった。どの土いずこにも声をあげているとさえ思われる、その潤いに陽差がまばたくのみ。
「松村蒼石集」
自註現代俳句シリーズ二( 三七)
- 三月十日
春の雷寝返りて触る古箪笥 有馬籌子 父母の世を経て来た箪笥は半ばこわれかかっているが、触れると心がやすらぐ。春の雷も呼びかけるように真夜を訪れる。
「有馬籌子集」
自註現代俳句シリーズ五( 三)
- 三月十一日
あたたかき神の裾垣布団干す 児玉南草 近郊の女神神社。縁日には出店が出て賑うが、普段はひっそりとした野の宮。神垣は近所の手頃な布団干場にもなる。
「児玉南草集」
自註現代俳句シリーズ四( 二三)
- 三月十二日
主病む千の椿を雨に委し 及川 貞 石田波郷氏庭内に名ある椿が満ちている。椿まつりの計画立てて楽しみだったのに俄かに清瀬へまた入院、惜しむか雨さえ降りしきって。
「及川 貞集」
自註現代俳句シリーズ二( 七)
- 三月十三日
垣繕ふ手強き竹を宥めつつ 比田誠子 竹は緑も美しく、腐食し難いため垣根にも多く利用されている。しなやかに見えてなかなかの強情っぱり。宥めながらの作業だそうだ。
「比田誠子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二九)
- 三月十四日
耳一つ風に向けたる寝釈迦かな 藤田直子 超結社吟行での作。この日は神奈川県の大山にある茶湯寺の寝釈迦を拝観した。
「藤田直子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三四)
- 三月十五日
水田は古代の遺跡田螺這ふ 高橋悦男 丸子の宿吟行の帰り登呂遺跡に立ち寄った。「畦」の本宮鼎三さんが案内してくれた。赤米が作られているのを初めて見た。
「高橋悦男集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三五)
- 三月十六日
茎立や十日あまりを母訪はず 立半青紹 九十路の母は、外出もままにならない。昨日も今日も訪わねばと思いつつ、些事に追われて親不孝の明け暮れである。
「立半青紹集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四七)
- 三月十七日
あるほどの養蜂箱の陽炎へる 西村和子 鎌倉駅から寿福寺へ向かう途中のはちみつ屋さんで、よく蜂蜜やジャムを買った。その裏庭にこんな景をみたような気がする。
「西村和子集」
自註現代俳句シリーズ八( 三〇)
- 三月十八日
県道の側より桑をほどきけり 安食彰彦 戦時中、国民学校では桑剝ぎが授業であった。鎌と弁当を腰に括りつけ裸足で登校していた。服や短靴は学校で配給されたがあたらなかった。
「安食彰彦集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一七)
- 三月十九日
にはとりのちらばつてをり斑雪 鈴木厚子 斑雪の田へ鶏が放たれていた。
「鈴木厚子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五三)
- 三月二十日春分
妻も又花を買ひきし彼岸かな 小圷健水 家には仏壇がある。彼岸ということで出先から花を買って来たら妻も買って来ていた。今のように携帯電話があればこんな事には。まあいいか。
「小圷健水集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三八)
- 三月二十一日
川下に志望校あり合格す 前野雅生 わが家の近くの川の一キロ下流が娘の中学、その数キロ下流、大宮市に入ってすぐのところに志望した高校。水の流れのようにすんなり合格した。「前野雅生集」
自註現代俳句シリーズ八( 四九)
- 三月二十二日
卒業やかくて短き半世紀 水原春郎 早くも卒業五十年となり、集まったみんな元気な顔、顔。戦争をはさんでの大学時代だけに感激も一入。過ぎてみれば早い五十年だった。
「水原春郎集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六七)
- 三月二十三日
落椿音なきことを未来とす 松永浮堂 落椿を見つめているうちに、不思議なフレーズが浮かんできた。全力で俳句を作ろうとするとき、思いがけない言葉が生まれる。
「松永浮堂集」
自註現代俳句シリーズ一二( 六)
- 三月二十四日
かたかたと木橋渡れば蜆村 成田千空 津軽平野を潤して北に流れる岩木川は十三湖から日本海に出る。その水戸口にかかる木橋は途中ゆるやかなカーブがあり、車が通るたびかたかた鳴る。中世、十三湊は三津七湊に数えられるほど繁栄、が今は衰退して十三蜆のとれる村として名が残る。( 新谷ひろし)
「成田千空集」 脚註名句シリーズニ(七)
- 三月二十五日
捨窯の上に捨てられ茎立てる 森田 峠 「窯」とは陶窯の炭窯もある。いずれにせよ窯が今は使われなくなって、その上に抜き捨てられた野菜が、茎立を見せているという。「捨」の字を二度重ねて哀れさを強めるという手法である。見捨てられたものに対する作者の憐憫の情が感じられる。( 恩地景子)
「森田 峠集」 脚註名句シリーズ二( 一一)
- 三月二十六日
春芝や漱石が踏み虚子が踏み 阪本謙二 松山東高校の前身は「松山中学校」だ。明教館はその名残の建物。国語教師として十六年間勤めた。その間、九千人が卒業した。芝は懐かしい。
「阪本謙二集」
自註現代俳句シリーズ八( 四)
- 三月二十七日
タンポポの絮や白狐の白日夢 内田園生 軽井沢にて。タンポポの純白の冠毛の球がほどけて散り空中に浮かぶ絮は幻想的。繁殖力旺盛なため、アメリカやカナダでは不精の証拠とされるが・・・。
「内田園生集」
自註現代俳句シリーズ八( 一二)
- 三月二十八日
利休忌や風にまぎれぬ松の声 山仲英子 三月二十八日は、千利休の忌日。中七の〈風にまぎれぬ〉に、利休の人間像を重ねた。
「山仲英子集」
自註現代俳句シリーズ八( 二四)
- 三月二十九日
高雲雀大河の風が野を拭ふ 泉 紫像 白山を源にする石川県一の大河手取川の堤も絶好の吟行地だった。
「泉 紫像集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二)
- 三月三十日
残る鴨引く鴨こゑを交しけり 小林俊彦 上空に輪をつくって飛翔する鴨の一団とこれを見送る池の鴨。会者定離という言葉が頭をよぎった。
「小林俊彦集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三八)
- 三月三十一日
ひばり鳴く夕日の墓に顔があり 石原舟月 空にひばりのこえがする。墓には夕日がさしている。墓にもそれぞれ顔があるものだ。その前に佇つ人の顔に似て。
「石原舟月集」
自註現代俳句シリーズ二( 三)