今日の一句:2021年05月
- 五月一日
夕風も五月の窓や誕生日 草間時彦 日本最初メーデーの日の、大正九年五月一日生まれ。メーデーと共にその時代を生き、そして、メーデーの衰退と共に逝かれた。いつ頃からか、誕生日にはお好きだった黄色い薔薇が、毎年届けられ家中いっぱいになって困ったよと嬉しそうだった。(吉野洋子)「草間時彦集」
脚註名句シリーズ二(一)
- 五月二日
もの刻む音の八十八夜かな 藤岡筑邨 「夏も近づく八十八夜」のあとの「トントン」がふと「もの刻む音」と結びついたのであろう。「八十八夜」だけでもう詩である。
「藤岡築邨集」
自註現代俳句シリーズ七(六)
- 五月三日
隅田川黒し五月の都心病む 今村潤子 東京の川は地方、特に田舎の川に比べ黒く淀んでいる。それは「都心」が病んでいるせいか。「五月」の陽ざしはあくまで明るかった。
「今村潤子集」
自註現代俳句シリーズ一二(二)
- 五月四日
すべて灯の消されておほほ祭かな 間中恵美子 熱田神宮で、毎年五月四日の夜行われる。三種の神器の一つ草薙剣が社に戻った喜びの様を今に残す。再度見たい行事。
「間中恵美子集」
自註現代俳句シリーズ一一(四三)
- 五月五日立夏
湯屋番の木を挽きに出る菖蒲の日 西山 睦 銭湯では五月五日に菖蒲の束を湯舟に放す。子供の友達も誘って銭湯へ行き、我が家でお好み焼きをするのがこどもの日の行事。
「西山 睦集」
自註現代俳句シリーズ十二(四五)
- 五月六日
少女らも跳び越え薔薇の柵無傷 仲村青彦 教会の花壇は柵が白く低かった。バラのかおりが道路を超えて遠くまでただよっていた。
「仲村青彦集」
自註現代俳句シリーズ一一(五八)
- 五月七日
洗顔の水に草の香五月来る 伊藤康江 顔を洗っていて水の香にはっとした。気持ちのいい一日の始まりだった。
「伊藤康江集」
自註現代俳句シリーズ一一(一八)
- 五月八日
差しのべし手に染むばかり若楓 小川濤美子 箕面勝尾寺吟行。関西支部の方が、紅葉の箕面に連れて行って下さった。
「小川濤美子集」
自註現代俳句シリーズ一一(五七)
- 五月九日
シーツよく乾く母の日母の家 井越芳子 実家の洗濯物はよく乾く。糊の効いたシーツは気持ちいい。母の家で眠る夜はいつも静かで深かった。
「井越芳子集」
自註現代俳句シリーズ一二(四八)
- 五月十日
更衣樹々すれ合つて風発す 小谷舜花 ここちよい五月のある晴れた日の感懐。樹々が心地よさそうに、木の葉が快楽のように揺れた。
「小谷舜花集」
自註現代俳句シリーズ七(二一)
- 五月十一日
花山椒よしと齢がつぶやけり 石田小坡 むぎとろにての前書。麦飯にとろろ汁をかけた乙な味、花山椒は香味料。「むぎとろ」吾妻橋寄りの旗亭。その日は三社祭の町騒しきりだった。
「石田小坡集」
自註現代俳句シリーズ六( 五二)
- 五月十二日
花朴のたたかふ白さ滑川 鳥居美智子 鎌倉の谷々を疾風のように駆けめぐった多くの武士達。その魂魄にも似た花朴の白さを仰ぎ、遠い雄叫びを聞いた。
「鳥居美智子集」
自註現代俳句シリーズ六( 五〇)
- 五月十三日
祖父と父とせつせと洗ふ幟杭 須磨佳雪 近所の食堂で孫のために大きな鯉幟を立てた。今年もそれを立てようというのだろう。父と祖父が水を流してせっせと幟杭を洗っている。
「須磨佳雪集」
自註現代俳句シリーズ六( 四三)
- 五月十四日
笛馬鹿となり麦笛を吹き戻る 藤井 亘 みずからの笛にみずから陶酔する笛馬鹿。人が何と言おうとも、本人は満足の絶頂にあるのだ。俳句馬鹿となるも、また楽し。
「藤井 亘集」
自註現代俳句シリーズ五( 五一)
- 五月十五日
仏縁に垂れて胡桃の花みどり 宮津昭彦 弘前の久渡寺。毎年五月におしら講がある。日を合わせて出かけ、〈祭壇に志羅神の綺羅春の燭〉ほかを句集に収めた。掲句もその折の一句。
「宮津昭彦集」
自註現代俳句シリーズ続編( 八)
- 五月十六日
新緑や泥つやつやと壺生まる 鈴木厚子 陶工の壺作り。
「鈴木厚子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五三)
- 五月十七日
明るさが水の始まり朴の花 今瀬剛一 前にも言ったが私はすべての物の源に興味を持つ。朴の花が咲いて妙に明るい山奥、そこにしたたり落ちる水、この明るさは水の起源か。
「今瀬剛一集」
自註現代俳句シリーズ六( 三三)
- 五月十八日
椎若葉蔵へと運ぶ陶火鉢 宮田正和 法事などがあると蔵から鉢や皿、火鉢などが運ばれる。終ると又、納い込む。峡の人々の実直な暮し。
「宮田正和集」
自註現代俳句シリーズ六( 一三)
- 五月一九日
桐の花日暮と知つて咲いてをり 大串 章 桐の花を見ると古い詩集を思い出す。詩というものを初めて読んだのはいつの頃であったろう。
「大串 章集」
自註現代俳句シリーズ五( 七)
- 五月二十日
五月闇勝鬨の地は嬥歌の地 田中水桜 下総の守谷はかつて平将門が館を構えた処だと云う。将門が何回となく勝鬨をあげたこの地は、歌垣の筑波にも近い。五月闇が回想を拡げる。
「田中水桜集」
自註現代俳句シリーズ五( 二一)
- 五月二十一日小満
郭公の三声でとどめ国有林 土生重次 まだまだつづくのかと思っていると、すぐ鳴き止んだ郭公。自分の縄張りを誇示するだけだったのか。
「土生重次集」
自註現代俳句シリーズ六( 三七)
- 五月二十二日
泰山木月下にて花あきらかに 畠山譲二 庭に泰山木が一本ある。三十年前に新築祝に頂いた鉢を庭におろしたものである。泰山木の花を見ていると風三樓先生の厳しい顔が浮かんでくる。
「畠山譲二集」
自註現代俳句シリーズ五( 四九)
- 五月二十三日
白帆舟琵琶湖五月をひろげけり 上原白水 比叡山からの下山途中の句。白帆がちらばった琵琶湖は五月の陽光にどこまでも輝いてみえた。五月がまさにそこにあるように。
「上原白水集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四二)
- 五月二十四日
牛の舌意外に長し花うつぎ 木村里風子 鼻先を舐める牛の舌の長さにおどろく。
「木村里風子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一二)
- 五月二十五日
たくましき竹の子なりし国上寺 前澤宏光 新潟から弥彦へ回る機会を得た。〈初蟬や耳の大きな良寛像〉、〈尋ね来し楓若葉の五合庵〉などが句帳に残る。
「前澤宏光集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五一)
- 五月二十六日
あけぼのや泰山木は蠟の花 上田五千石 天に向かって花を咲かす泰山木の花には存在感がある。花弁の手触りは滑らかで冷たく、?の花そのものである。中七・下五のフレーズは一気に出来たのに、「あけぼのや」の上五を思い付くまで、なんと一年の歳月を要したのだった。( 加茂一行)「上田五千石集」
脚註名句シリーズ二( 一五)
- 五月二十七日
衣更へしあとか夢二の女どち 山上樹実雄 竹下夢二の生家が郷土美術館として保存され幾つかの夢二式美人画も展示。薄物を身に愁を含んで夢をみるような大きな眼が何かを訴えている。
「山上樹実雄集」
自註現代俳句シリーズ五( 五五)
- 五月二十八日
昔をとこ老後は知れず業平忌 戸垣東人 在原業平の晩年はそれほどはかばかしいものではなかった。元慶四年( 八八〇年)五月二十八日、五十六歳で亡くなった。
「戸垣東人集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 九)
- 五月二十九日
多佳子忌やおほかたの竹皮を脱ぐ 神蔵 器 竹の子句会、王禅寺での作。静寂の中で季節の移り変り、人の変転を思っていると、多佳子の人生が急に大きく頭に浮んだ。五月二十九日。
「神蔵 器集」
自註現代俳句シリーズ四( 一九)
- 五月三十日
足もとに鶏のあそべる袋掛 小原啄葉 初夏の木洩れ日を浴びながら、林檎園の袋掛。足もとで四、五匹の鶏が餌をさがしている。山裾の果樹園。
「小原啄葉集」
自註現代俳句シリーズ四( 一六)
- 五月三十一日
忍冬乙女ら森を恋ひ来り 堀口星眠 五月末ごろ、忍冬の咲く森に、自転車や、徒歩の少女たちが、急にふえてくる。都会から、自然にあこがれてくる。
「堀口星眠集」
自註現代俳句シリーズ二( 三五)