今日の一句:2021年06月
- 六月一日
平成の代とあらたまり電波の日 多賀谷榮一 新しい世代となりかわり半年。進展殊のほかめざましい電波の日を迎えた。
「多賀谷榮一集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二七)
- 六月二日
竹植うる始終が見ゆる裏の窓 能村登四郎 同人句会に出句するためつくった句。席題のように「竹植うる」という季題を頭にうかべて作った。
「能村登四郎集」
自註現代俳句シリーズ二( 三〇)
- 六月三日
こぼさじと手のひらに捥ぐゆすらうめ 藤沢樹村 調布にいたとき母が植えた山桜桃の木を、八王子の今の家に移植した。実が成ると仏壇に供える。あとは鵯が来てよろこんで食べる。
「藤沢樹村集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四一)
- 六月四日
さなぶりの酔眼こぼれ飯ひろふ 三浦恒礼子 田植が終ると、さなぶりの祝宴を張る。したたかに酔った老主が、その節高い手でこぼれた飯を拾っている。素朴さ。
「三浦恒礼子集」
自註現代俳句シリーズ四( 四七)
- 六月五日芒種
子の描きしででむし渦をなさぬあり 角田拾翠 一年生の教室で、蝸牛の観察のあと、それを絵に描かせていた。中には渦巻をなさずに、大小の丸を重ねるだけのもあって、ほほえましかった。
「角田拾翠集」
自註現代俳句シリーズ四( 二九)
- 六月六日
紫陽花や恋知らぬ間のうすみどり 林 翔 あじさいの花の色は七変化をするというが、薄緑色の時は、人間で言えば少年期。まだ恋を知らないようなういういしさだ。
「林 翔集」
自註現代俳句シリーズ三( 二六)
- 六月七日
いかにしても水を破れず水馬 西本一都 月並とまでは堕せずやっとのこと踏みとどまっている句。こういう句に限って感心してくれる人が多いものでこれも俳句の一面であるかも知れぬ。
「西本一都集」
自註現代俳句シリーズ二( 二九)
- 六月八日
罪と罰十字架仰げば梅雨凝りて 佐野まもる 罪と罰を背負うものが仰げば、信仰を象徴する十字架も梅雨空に唯々暗かった。憐みを越えた痛みのにじみでる印象の強い景であった。
「佐野まもる集」
自註現代俳句シリーズ三( 一六)
- 六月九日
蛍籠二日三日と過ぎにけり 星野麥丘人 何も言わぬこと。言ったら負け。
「星野麥丘人集」
自註現代俳句シリーズ続編( 一二)
- 六月十日
眼光にうがち止むのみ蟻地獄 赤松蕙子 さめた眼で蟻地獄を見おろしている。だからかえって眼光、であり穿ち、である。意志とは別に、眼だけが勝手に槍になっているようだ。
「赤松蕙子集」
自註現代俳句シリーズ三( 一)
- 六月十一日
覚めて雨覚めて又雨明易し 土山紫牛 大和の壷坂寺に一泊してほととぎすを聞く会があった。恰も梅雨どきで終夜烈しい雨が降った。旅の寝は浅く目覚めがちのまま明易かった。
「土山紫牛集」
自註現代俳句シリーズ四( 三四)
- 六月十二日
鳰の子が親の水輪の中にゐる 水原秋櫻子 石神井の三宝寺池にて、珍しい写生句。祖父は、家庭内の事はすべて妻に任せ、細かい口出しは一切しなかった。しかし心の中で、家族の事を人一倍案じていた事は、今になってよくわかる。我々は皆祖父の大きな翼の中に守られて、安心して泳いでいた鳰の子である。
「水原秋櫻子集」 脚註名句シリーズ一( 一五)
- 六月十三日
目高見て一年生の誕生日 深見けん二 孫の勇も一年生となり、誕生祝のカードに書いた句。次の子も男の子で、翔、三つ違いである。
「深見けん二集」
自註現代俳句シリーズ続編( 二〇)
- 六月十四日
手をとりて梅雨の廊下を歩かせて 清崎敏郎 妻はバレリーナであった。結婚して間もなく舞台でアキレス腱を切り、一ヵ月の入院生活を送った。ようやく歩けるようになった妻の手をとり病院の廊下で歩行練習をしたのであろう。花鳥諷詠の多い中で「妻」の句は希少な一句である。「清崎敏郎集」
脚註名句シリーズ二( 二)
- 六月十五日
町よりも海のあかるき白夜かな 坂本宮尾 本格的な白夜は北欧のものかもしれない。しかし、イギリスの緯度はサハリンと同じくらいで、夏はいつまでも薄明るい。
「坂本宮尾集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四六)
- 六月十六日
右座席占むれば右の梅雨景色 中尾杏子 特急かもめ号、福岡まで二時間。右に座れば有明海、左は山がかり。どちらも茫々たる梅雨の中。福岡句会へときどき通う。
「中尾杏子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 一五)
- 六月十七日
荒梅雨に朝礼台の四辺かな 河野邦子 校庭の排水は大事な学校運営の一つ。ことに梅雨時は気になる。見事とも言っていられない。水深小学校。
「河野邦子集」
自註現代俳句シリーズ九( 三二)
- 六月十八日
長持を捨てもならずと柿の花 藤本安騎生 立派な長持が縁先の隅に置かれていた。川上村は後南朝ゆかりの地で、今も「お朝拝式」が筋目衆によって行われている。
「藤本安騎生集」
自註現代俳句シリーズ八( 一六)
- 六月十九日
虚と実のにがき青春草矢嚙む 森田かずや 純粋に生きていた青春時代を振り返ってみると、世の中は真実ばかりではないことに気付いた。虚の中にも青春はあった。にがい体験と回り道...。
「森田かずや集」
自註現代俳句シリーズ八( 二〇)
- 六月二十日
父の日のパチンコにゐる父同士 堀 磯路 パチンコ玉を弾いているのは家にいても所在ない父の日である。母の日ほど晴れやかではない父の日は、忘れられることもある。
「堀 磯路集」
自註現代俳句シリーズ五( 五二)
- 六月二十一日夏至
鰹船見ゆ荒降りのあとの路地 大岳水一路 鰹の基地、薩摩半島南端の山川港の路地である。激しい雨が青い潮を叩き町を洗ったあと、からりと青空が広がり空気が澄みわたる。
「大岳水一路集」
自註現代俳句シリーズ六( 四四)
- 六月二十二日
なめくぢの夜や出しつぱなしの刃物 小林鹿郎 ふしぎな風景。なめくじは魔性。
「小林鹿郎集」
自註現代俳句シリーズ六( 二二)
- 六月二十三日
老人にあつてよきもの蠅叩 長棟光山子 近ごろ蚊も蠅もほとんどいなくなった。それにしたがって蠅叩きも必要がなくなった。でも...。
「長棟光山子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五二)
- 六月二十四日
栗の花古び使はぬ乳母車 神原栄二 子育てには乳母車は必要なもの。成長すると不要で、次の子供?にと大事に物置に仕舞っておくが、誰かにやるにも錆びて使いものにならない。
「神原栄二集」
自註現代俳句シリーズ六( 二八)
- 六月二十五日
どくだみの大きく暮れて夫婦とは 小島千架子 白い十字花弁の浮き出す夕暮れが好きだ。夫婦とはと問い掛けてみたが、いまだに答はない。
「小島千架子集」
自註現代俳句シリーズ六( 四五)
- 六月二十六日
地震に出て短夜の月真赤なり 米田双葉子 今まで経験したことのない強い地震で戸外にとび出した。道路も揺れていた。ふと見上げると真赤な月が真上にあった。気味の悪い赤さであった。
「米田双葉子集」
脚註名句シリーズ六( 四七)
- 六月二十七日
螢袋森の暗さをひとり占む 原田かほる 伊豆高原駅を起点として、海岸ぶちに城ヶ崎自然研究路があり、大室山噴火で流出した熔岩で断崖絶壁をなしていて、川奈灯台まで続く。
「原田かほる集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二四)
- 六月二十八日
汗にほふ道づれ少女芙美子の忌 大竹きみ江 「いちまいの太字のはがき芙美子の忌」も同時作。尾道で林芙美子の小学校の先生宅を訪ねて、坂の町港町を歩いた梅雨の一日。
「大竹きみ江集」
自註現代俳句シリーズ三( 八)
- 六月二十九日
肘ぬれて雨の形代流しけり 本多静江 形代は男女別ある切り絵の人形。己が名を書き、患部などにこすって流す。茅の輪と共に夏祓の行事。鯖江では川に遠く、篝火に投じて焼く。
「本多静江集」
自註現代俳句シリーズ四( 四五)
- 六月三十日
六月の終るムックル聴いてをり 小浜史都女 アイヌの住居を訪ね、アイヌの踊りやムックルを聴いた。文化の多くが失われていく中でムックルの音色を哀しく聴いた。
「小浜史都女集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三四)