今日の一句:2021年07月
- 七月一日
俳諧の涼み旅とて浴衣着て 伊藤柏翠 七月一日虚子・真砂子・立子・東子房・ゝ石夫妻と上野を発ち句謡会の避暑旅行といった形で新潟に向う。
「伊藤柏翠集」
自註現代俳句シリーズ四( 八)
- 七月二日
鉄砲百合首枷はづすやうに剪る 佐藤麻績 百合は頭の重い花、慎重に扱うことになる。
「佐藤麻績集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二五)
- 七月三日
青梅雨が打つ野生馬の鼻柱 梶山千鶴子 南九州都井岬。宿の窓ガラスに顔を近づけてきたのは野生馬。梅雨最中のこと。
「梶山千鶴子集」
自註現代俳句シリーズ七( 七)
- 七月四日
母に遠きもの少年の汗の匂ひ 野見山ひふみ まだ幼く、子供だとばかり思っていたのに男くし匂いを嗅いだ母の驚き。成長を喜ぶより一抹のさびしさ。
「野見山ひふみ集」
自註現代俳句シリーズ二( 三一)
- 七月五日
見下されてゐて噴水の噴き続く 岩下ゆう二 階上から噴水を真下に見ていた。噴水は噴き続けていたが、それはその頂上を保ち続けるというだけのことであった。
「岩下ゆう二集」
自註現代俳句シリーズ四( 一一)
- 七月六日
瀧の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半 六月九日に滝九句河鹿二句がある。この句はその第一句目で推敲のあとは全くない。箕面の滝に吟行でもあったと思われるが、句帳の印からすると、この句は当日出句されなかった様子。虚子の推輓によって客観写生の見本のように思われている句。( 後藤比奈夫)
「後藤夜半集」 脚註名句シリーズ一( 八)
- 七月七日小暑
鷺草にかげなきことのあはれなり 青柳志解樹 鷺草には悲しい物語がある。その鷺草が、かげなく咲いている姿にこそあわれさがあった。
「青柳志解樹集」
自註現代俳句シリーズ四( 一)
- 七月八日
メロン買ふために曲りぬ渚通り 鈴木鷹夫 この句は「渚」という字の席題で作った句で当然フィクションである。「渚通り」はそのまま句集名となったが、立原正秋に同名の小説がある。
「鈴木鷹夫集」
自註現代俳句シリーズ六( 三八)
- 七月九日
南部風鈴古りて夢ある音色かな 横山節子 勤務先の岩手で求めたのはいつの事だろう。何度もの引越しに耐えて、今この終の栖の風をまとっている。
「横山節子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六一)
- 七月十日
夢はまだあり峰雲の育ちをり 池田啓三 晴れた空の一角に真白い入道雲が大きく育ってゆく。そんな姿を眺めていて、人間誰しも、死ぬまで夢をもつものだと思う。
「池田啓三集」
自註現代俳句シリーズ一三( 二)
- 七月十一日
山百合が目覚めといふをくれにけり 細見綾子 「那須」五句の中の一句。この年の四月、綾子は胆石の手術をして二ヶ月間入院生活をしている。「退院後那須に行った」とあるが、病後に見た山百合の花が「目覚めといふをくれにけり」のやさしい言い回しになった。綾子の人柄をよく表している。( 田上幸子)
「細見綾子集」 脚註名句シリーズ二( 一三)
- 七月十二日
湧く永久のわがひとときの清水掬む 原 柯城 大和菟田野の奥、人里遠き、謡曲「日張山」の青蓮寺。中将姫の汲みし清水が今も湧き出ている。夭折した私の姉の位牌を祀っていただいている。
「原 柯城集」
自註現代俳句シリーズ四( 三九)
- 七月十三日
片陰を行く未知の世の道のごと 菊池麻風 人通りとてないひそやかな片陰の町を歩いていて、ふと不思議な幻覚に襲われた。
「菊池麻風集」
自註現代俳句シリーズ四( 二〇)
- 七月十四日
暑き夜や夢見つつ夢作りつつ 相馬遷子 暑い夜の眠り、それは浅い眠りである。夢のつづきを自分で作りながら眠っている。半ば覚醒、半ば睡眠の状態である。一種の創作なのだが、目がさめると夢の筋は忘れてしまう。(堀口星眠)「相馬遷子集」
脚註名句シリーズ一( 一〇)
- 七月十五日
もの言ふも喰ふも炎暑の口ひとつ 青木重行 当り前のことを当り前に作っても面白いものと、そうでないものとがある。さてこの句はどちらでしょうか。
「青木重行集」
自註現代俳句シリーズ九( 三)
- 七月十六日
滝落ちて長し見上げて滝高し 落合水尾 実感。華厳の滝も那智の滝もすべて、脳裏を貫いて落下する。「長し」「高し」も心の表情を露わにしている。
「落合水尾集」
自註現代俳句シリーズ六( 三四)
- 七月十七日
夜濯ぎやどの星からも声の来て 伊藤てい子 満天の星に、夜干の竿を渡す。星のきらめきはいつか声となってささやき、向うの山の灯も星のようにまばたき、星と対話する。物云う人はない。
「伊藤てい子集」
自註現代俳句シリーズ七( 二八)
- 七月十八日
童診る日焼けめでたき裏表 高島筍雄 夏風邪の児童。元気いっぱいの我儘っ子。
「高島筍雄集」
自註現代俳句シリーズ四( 三〇)
- 七月十九日
思惟仏の思惟の右手に来る炎暑 針ヶ谷隆一 町内に思惟仏があり、毎年八月二十二日に二十二夜様と言って町内で供養する。子育地蔵という人もいるが、最近は少子化で子供が少なくなった。
「針ヶ谷隆一集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四三)
- 七月二十日
鉢巻の目が並ぶ中霍乱す 川端火川 いまどきの人達は霍乱など知らないだろう。所謂日射病のことである。運動中や工事場でよく倒れた。然し今の人達のように弱くはなかった。
「川端火川集」
自註現代俳句シリーズ五( 三九)
- 七月二十一日
大巌に影とびつけり御来光 棚山波朗 山好きの俳句仲間と木曽駒ヶ嶽へ登った。御来光を拝するのははじめてのことで、大きな巌に影がとびつく瞬間が感動的だった。
「棚山波朗集」
自註現代俳句シリーズ七( 四九)
- 七月二十二日大暑
そくばくの技を身すぎの夕端居 佐野美智 喰べて行けさえすれば、それ以上は望まぬと、始めたいけ花教授、従ってすこしも盛大にならない。
「佐野美智集」
自註現代俳句シリーズ四( 二四)
- 七月二十三日
避暑の子と束の間なじむ昇降機 山下喜子 籠の蟬が鳴いて仲よしに。
胴乱に鍬形や甲虫もいた。「山下喜子集」
自註現代俳句シリーズ五( 三五)
- 七月二十四日
扇風機誰も無言の時愛す 古賀まり子 皆それぞれの方向へ向いて句を作っている。扇風機だけが音をたててまわっている。関西待宵会の人達と奈良の夜。
「古賀まり子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二二)
- 七月二十五日
甘露忌の小ぶりの男物パンツ 中村与謝男 克巳師の師の秋元不死男さんに出会ったことはないが、初学の頃に句を諳じていた。だから〈蛤や手足小さき秋元家〉を通じ、小柄と知った。
「中村与謝男集」
自註現代俳句シリーズ十二( 二〇)
- 七月二十六日
駅員の徒手体操に大ひまはり 佐藤俊子 保線区の方であろうか。仕事始めの前に朝の体操をしている。きびきびとして力強い。
「佐藤俊子集」
自註現代俳句シリーズ十一( 四六)
- 七月二十七日
山小屋の丸太の梁の下に寝る 里川水章 同前。七合目の山小屋で仮眠。雑魚寝の天井裏。
「里川水章集」
自註現代俳句シリーズ八( 一三)
- 七月二十八日
土用海胆十粒の桶を抱へ来る 伊藤秀雄 かつての海胆の最盛期には一人が一日に塩雲丹を一・五キログラムも採った。越前海岸は後継者が減少し、海底の石を起こさないと海胆が育たない。
「伊藤秀雄集」
自註現代俳句シリーズ一三( 一)
- 七月二十九日
夏痩せてものも言ひたくなかりけり 西嶋あさ子 若いころ、遊走腎。病名は気に入った。「ふとるか、切って吊りあげるんですな」と医師。ふとって治ったが、ものを言いたくないのは今に残る。
「西嶋あさ子集」
自註現代俳句シリーズ八( 七)
- 七月三十日
夏深む藜の杖を床の間に 辻 恵美子 岐阜市の妙照寺は貞享五年芭蕉が約一ヶ月滞在したところ。その部屋が今もある。「やどりせむあかざの杖になる日まで」と芭蕉は詠んだ。
「辻 恵美子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五六)
- 七月三十一日
夏瘦詩人ワインの栓も抜き兼ねし 安住 敦 夏瘦詩人とは、また思い切ったご自分のカリカチュア化だ。ワインの瓶を両足に、栓を抜こうと悪戦苦闘の姿を思うと、何とも微笑ましい。句仲間で栓抜きをお贈りしたが、自註に「その操作がまことにややこしい」とある。お役にたたなかったようだ。(せつ子)「安住 敦集」
脚註名句シリーズ一( 二三)