今日の一句:2021年09月
- 九月一日
峯に出し厄日の雲を見のがさず 下村非文 今日は二百十日の厄日である。台風の来るのを恐れていると、峯に雲が現れて来た。それを決して見のがさない心構えである。
「下村非文集」
自註現代俳句シリーズ三( 一八)
- 九月二日
亡き母に一齢加ふ鉦叩 三田きえ子 五十一歳でこの世を去った母は、いまも五十一歳のままで私の心を占めている。
「三田きえ子集」
自註現代俳句シリーズ七( 一四)
- 九月三日
さとしさとされをみなへしをとこへし 檜 紀代 サ・シ・ス・セ・ソ――五十音の中でサ行音が一番うつくしい、と私は思う。
「檜 紀代集」
自註現代俳句シリーズ五( 二五)
- 九月四日
紅白の萩門前に咲き分けし 舘岡沙緻 石田波郷生家門前。御親族の方がお住みとのことであった。
「舘岡沙緻集」
自註現代俳句シリーズ七( 一二)
- 九月五日
しやりしやりと秋蚕食みをり帯を解く 久保千鶴子 未来図同人会で舞浜のホテルに一泊。主宰も交えての袋回しで秋蚕の席題句。父の生家で見た蚕の上蔟の頃、女衆が交替で眠る光景がすぐ浮んだ。
「久保千鶴子集」
自註現代俳句シリーズ八( 一一)
- 九月六日
雪国の深雪のごとき花芒 本宮鼎三 亡父の故郷新潟燕市での作。「争へぬ血のつながりの温め酒」は遠縁の「河」の本宮哲郎氏に、また「菊膾働きものの嫁のゐて」は従兄への挨拶句。
「本宮鼎三集」
自註現代俳句シリーズ六( 一)
- 九月七日白露
山萩のふふみそめたり弥助の碑 立半青紹 今は、昔のお芝居の「弥助の碑」に物語のある吉野は、何処を歩いても俳句が出来る。そうおっしゃったのは忠先生である。
「立半青紹集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四七)
- 九月八日
モネ展や戸口まで来る湖の霧 金丸鐵蕉 水戸市の県立美術館でモネ展が開催され、フランス印象派モネの傑作「睡蓮」が特に印象深かった。千波湖の霧が静かに寄せていた。
「金丸鐵蕉集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二〇)
- 九月九日
谿深く真葛を背負ひ子を背負ひ 松本澄江 中年の女の人が谿底の径を刈り取った真葛を背負い、その上に子供を背負って帰る姿を見て驚いた。近頃では全く見られない情景。
「松本澄江集」
自註現代俳句シリーズ六( 二九)
- 九月十日
月読みの神の照らせる鱗雲 若木一朗 一つ一つの雲の鱗が月光で輝やいていた。この美しさを創造出来るのは月の神、その神の饗宴の座としか思えなかった。
「若木一朗集」
自註現代俳句シリーズ六( 七)
- 九月十一日
湖国より雨の近づく葉鶏頭 吉田鴻司 鶏頭に対して葉がとくに美しく、八、九月頃に緑色だった葉が深紅、黄色、紫色などに鮮やかに色づき、斑入りも多く美しい。いま琵琶湖より雨が近づきつつある。そのためか、色とりどりの葉が燃えたつようにいっそう鮮やかであった。「吉田鴻司集」
脚註名句シリーズ二( 一六)
- 九月十二日
隠れ耶蘇寝墓花野をなすところ 江口竹亭 長崎の俳友に迎えられハイヤーに分乗して大山に向った。大山は隠れ耶蘇の部落で、寝墓は遙かに海に臨む大花野であった。
「江口竹亭集」
自註現代俳句シリーズ三( 六)
- 九月十三日
草踏めば水に飛び込む虫多し 右城暮石 秋の野道を歩いていると、人の気配に驚いて草に潜んでいた虫たちが次々と跳ねて行く手を開いてくれる。虫の声に気づかなかったので、こんなに多くの虫がいるとは知らなかった。次々と水中に飛び込んでいった虫たちのなんと多いこと。( 森井美知代)
「右城暮石集」 脚註名句シリーズ二( 八)
- 九月十四日
鈴虫の鳴く夜は星の揺れやまず 名村早智子 聖護院門跡と平安神宮の間にある我が家の周りは、市内でもまだまだ自然に恵まれたところ。鈴虫の声が夜空に澄み渡る。
「名村早智子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三九)
- 九月十五日
ちらほらと見てきてどつと曼珠沙華 小圷健水 「花鳥来」の高麗・巾着田吟行。巾着田までの道端にも結構曼珠沙華が咲いていたが、巾着田に着いて目を見張った。一面の曼珠沙華。
「小圷健水集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三八)
- 九月十六日
滝の空羽搏きせつに赤蜻蛉 田中敦子 片品川に沿った日本ロマンチック街道。名勝吹割の滝。吹き上がる滝霧に煽られながら、健気に羽搏く赤蜻蛉の群。
「田中敦子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三五)
- 九月十七日
秋夜読む万葉集の恋の歌 藤井吉道 万葉集の歌はどの歌にも素朴な感情が自由に直截に力強く表現されている。その中でも特に恋の歌( 相聞歌)に深い感動を覚える。
「藤井吉道集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二五)
- 九月十八日
待宵の遠ちに子泣くを親しとも 吉野義子 琵琶湖堅田で数人の友と月を愛でた。突然どこかで幼子がはげしく泣いた。見も知らぬ子なのになぜか駈けて行き抱きかかえたい衝動にかられた。
「吉野義子集」
自註現代俳句シリーズ四( 五四)
- 九月十九日
糸瓜忌の一番鶏に鳴かれをり 小笠原和男 「語りたき事みな涙獺祭忌 鼠骨」子規庵守 寒川鼠骨が子規庵重修記念に子規の本稿を送ってくれたので表装して床に飾った。
「小笠原和男集」
自註現代俳句シリーズ六( 二六)
- 九月二十日
あまりにも海青かりし敬老日 大牧 広 海というのはふしぎなもので穏やかなときでもさびしい一面を漂わせている。真青な海と敬老日とひびき合うのを感じたのだった。
「大牧 広集」
自註現代俳句シリーズ六( 五一)
- 九月二十一日
良夜待つ猫数匹や塀の上 関根喜美 塀の猫たちもなにか感じている様子。
「関根喜美集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一三)
- 九月二十二日
二十歳の日と同じ紅曼珠沙華 津田清子 朝、出征兵士を送り、夕べ英霊を迎えた二十歳の日の曼珠沙華。
「津田清子集」
自註現代俳句シリーズ三( 二一)
- 九月二十三日秋分
コスモスや子がくちずさむ中也の詩 大島民郎 「空に昇って光って消えて、やあ今日は! ごきげん如何」私の愛誦詩をいつしか子がくちずさんでいるのは世代の絆が確かめられて嬉しかった。
「大島民郎集」
自註現代俳句シリーズ三( 七)
- 九月二十四日
雨ながら低く綴りて昼の虫 伊東 肇 降りみ降らずみの秋雨の中、残る虫が道端の草叢で低く鳴いている。その音色はいかにも淋しげで秋の深まりを感じさせる。
「伊東 肇集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三八)
- 九月二十五日
草の花長生きせよと妻はいふ 清水基吉 亭主が丈夫で長持ちすることを望むのは、どこの妻もかわりはない。こんなセリフがイヤ味にひびかぬのは「草の花」のためだろう。
「清水基吉集」
自註現代俳句シリーズ四( 二六)
- 九月二十六日
鶏頭のこぼし得ぬものかかげつつ 松本 旭 庭先に鶏頭。その赤くて大きな頭は、己自身であり、それはあくまで自分で持しつづけるべきもの。人は誰もそういったものを持っている筈だ。
「松本 旭集」
自註現代俳句シリーズ四( 四六)
- 九月二十七日
北大生の「リヤカー」の引越秋の虹 平井さち子 しばしば時雨が来ては町空に大きな二重虹を懸ける。蛮からをもって任ずる北大生の一スナップ。あと押し役の友も愉し気である。
「平井さち子集」
自註現代俳句シリーズ三( 二八)
- 九月二十八日
駆足の脛に跳ねとぶ草の露 大場美夜子 まだ街の一部には草原がある。ここへ犬を放して駆けっこ。朝食がよく進む。ころと名づけた芝犬で生れて間もないのをもらって育てた。
「大場美夜子集」
自註現代俳句シリーズ五( 九)
- 九月二十九日
葉雞頭より錦繡のはじまれり 細谷鳩舎 庭はまず葉雞頭から美しく着飾る。
「細谷鳩舎集」
自註現代俳句シリーズ五( 三四)
- 九月三十日
眠る子を風がさらひに狐花 伊藤トキノ 乳母車の子を置いたまま母親はどこへ行ってしまったのか。さあっと吹き抜ける風が子をさらって行くのではと思わせるのは、傍らの狐花のせい。
「伊藤トキノ集」
自註現代俳句シリーズ七( 二三)