今日の一句:2021年12月
- 十二月一日
冬芽上げ波郷生家のさるすべり 中村阿弥 波郷先生二十五回忌、道後温泉にて。波郷先生の生家と垣生小学校を訪れた
「中村阿弥集」
自註現代俳句シリーズ一三( 七)
- 十二月二日
月は破片ばりばり坂を葱車 古舘曹人 凍てついた坂道を音を立てて登る葱車と鋭利な半月。私はこの作から自分の人生の意思を句にこめることを心掛けた。三十五歳。
「古舘曹人集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三二)
- 十二月三日
冬の芽の意志すこやかに紅一点 柴田白葉女 庭の梅の冬の芽がふと小さく固いままに紅ざしているのに気付いた。春を待って萠え出ようとする植物のすこやかな意志に感動したのである。
「柴田白葉女集」
自註現代俳句シリーズ一( 二六)
- 十二月四日
咳真似てゐたる生徒ら黙りけり 森田 峠 咳きこむ教師→咳を真似てからかう生徒ら→いよいよ苦しむ教師→真似をやめて心配する生徒ら、と相対的変化をとらえた。
「森田 峠集」
自註現代俳句シリーズ一( 六)
- 十二月五日
炉辺に酔ふあるじを目守り狩の犬 河北斜陽 知合の農家に宿を借りた狩人が、炉火に暖まりながら酒を酌み次第に酔ってゆく。土間につながれた猟犬はじっと主人を見つめている。
「河北斜陽集」
自註現代俳句シリーズ六( 五)
- 十二月六日
主も大工冬日ぬくめし鑿を買ふ 有馬朗人 夏草散歩句会の面々と世田谷のぼろ市へ吟行した。いろいろ売っている中で、私は冬日にぬくめられた鑿を手にした。イエスも若い時は大工であった。
「有馬朗人集」
自註現代俳句シリーズ四( 四)
- 十二月七日大雪
白鳥のずぶ濡れ陶のごとくあり 岡崎桂子 雨粒が白鳥のすべすべした翼の上を滑りおちる。動かずに雨に打たれている白鳥。
「岡崎桂子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三)
- 十二月八日
開戦日嵩なす落葉燃やしけり 渡辺雅子 小岩の「鵯の会」で川端火川先生の賛同を得る。あの日、朝刊を開き「戦争が始まったか」と一言父が言った。〈開戦日父も私も若かった〉同時作。
「渡辺雅子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二六)
- 十二月九日
岐路に来て西日やすらぐ枯野かな 松村蒼石 どこまでも一本路車も見えない俳句の素材らしいのも見当らぬ曇天の枯野である。相当の時が過ぎ町が見える頃薄い西日の中に岐路があった。
「松村蒼石集」
自註現代俳句シリーズ二( 三七)
- 十二月十日
頼りなくブーツ立ちゐる年忘れ 佐藤博美 ロングブーツは脱いだとき無様。
「佐藤博美集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二六)
- 十二月十一日
計算の合はぬたてよこ隙間風 戸垣東人 予算編成作業。電卓を叩いて計算しているのだが、数字がぴたりと合わないのはいつものことだ。
「戸垣東人集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 九)
- 十二月十二日
千振干す母のうしろにきて冬日 向山隆峰 千回煎じて振り出しても苦いという、健胃剤としての千振。日当りのよい裏山から採り、陰干しにしている母のうしろにちりちりと当る冬日。
「向山隆峰集」
自註現代俳句シリーズ六( 一四)
- 十二月十三日
きびきびと立ち動く日や鰤起し 井上 雪 能登沖や富山湾に鰤がとれる頃に鳴る雷を「鰤起し」と言う。雪雷とも言い、長い冬への序曲である。草間時彦著『俳句十二か月』に採用さる。
「井上 雪集」
自註現代俳句シリーズ五( 三六)
- 十二月十四日
リア王の骨格に暁け冬いてふ 鳥居美智子 第三の男のラストシーンのような公孫樹の通り抜け。冬の夜明け、無器用な枝ぶりをリア王の無骨さに重ね合わせて見た。
「鳥居美智子集」
自註現代俳句シリーズ六( 五〇)
- 十二月十五日
天窓に雪うすうすと青邨忌 坂本宮尾 山口青邨師は昭和六十三年十二月十五日、九十六歳の大往生を遂げた。杉並区の旧居、雑草園は、いま岩手県北上市に移築されている。
「坂本宮尾集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四六)
- 十二月十六日
冬海に誰が捨て去りし子の玩具 原コウ子 冬の海に出て磯辺を歩いて居ると、眼の先に美しい子供の玩具が落ちて居る。こんな綺麗な玩具がどうして捨てられてあるのか、私は首をかしげた。
「原コウ子集」
自註現代俳句シリーズ三( 二七)
- 十二月十七日
僧師走一株の葱引きて去る 角田捨翠 門前の畑に葱が育っている。その一株をつと引いて門内に消えた僧の姿。「五辛山門に入るを許さず」に気兼ねしてか、薬喰の薬味にするのか。
「角田捨翠集」
自註現代俳句シリーズ四( 二九)
- 十二月十八日
枯山のうすずみ色は唇に 斎藤 玄 枯山を越えて来た人の唇はうすずみ色に染まっている。枯山が持つうすずみ色を唇につけられて来たのだ。
「斎藤 玄集」
自註現代俳句シリーズ二( 一六)
- 十二月十九日
きりもなき師恋父恋古日記 西嶋あさ子 先生を何時まで詠んでいるのか、と非難があったようだが、それがありのままだった。「ありのままを詠むしかない」とは、安住先生の言。
「西嶋あさ子集」
自註現代俳句シリーズ八( 七)
- 十二月二十日
極月の俸渡し了ふ夕焼けて 向笠和子 十一月の給料に続く十二月の賞与。すぐに十二月の給料と小さな商人はこの期間の人件費の捻出に苦労する。夕焼に何はともあれと言った心境。
「向笠和子集」
自註現代俳句シリーズ五( 六〇)
- 十二月二十一日
むかふの戸開けし人あり敷松葉 星野立子 十二月二十一日、田中屋でこの暮最初の忘年句会を催す。敷松葉の庭の向うに離れ屋があり、その戸を今開けている人がいる。
「星野立子集」
自註現代俳句シリーズ二( 三三)
- 十二月二十二日冬至
酒断つて「冬至ふゆなかふゆはじめ」 星野麥丘人 冬至ふゆなかふゆはじめ――という言葉が好きで、使ってみたかった。酒断っては事実だが、こういう冬至があってもよかろう。
「星野麥丘人集」
自註現代俳句シリーズ続編( 一二)
- 十二月二十三日
家計簿にはさむ聖菓の予約票 大島民郎 日常吟にあそぶひととき。何気なく見過ごす毎日の生活の中にも時にきらりと光る何かがある。
「大島民郎集」
自註現代俳句シリーズ三( 七)
- 十二月二十四日
クリスマスイヴ氷川丸灯りけり 今井杏太郎 毎年、クリスマスの頃に、海を見に行くことに決めている。
「今井杏太郎集」
自註現代俳句シリーズ六( 四六)
- 十二月二十五日
花描けば鳥を足す子よ蕪村の忌 藤田直子 孫の早紀は母親の靖代に似て、絵を描くのが好きで、遊びに来ると絵を残して帰って行く。
「藤田直子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三四)
- 十二月二十六日
海老分けるひとひとやふたふたや飾売 早川とも子 浅草のがさ市、店の老人が大きな声でひとひとやふたふたやと数えながら海老を分けていた。威勢のいい声は年の暮らしくしばらく立ち止まった。
「早川とも子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三四)
- 十二月二十七日
もがり笛風の又三郎やあーい 上田五千石 この句の成る直前に岩手への旅。生涯の伴侶となる人の住む地への旅。そこで愛を確かめ合って帰って来ての句。青春の頂点での叫びの句。その叫びを感じ取って、「これが君だ。君ははじめて君の句を作った」と先輩の堀井春一郎は言った。( 松尾隆信)
「上田五千石集」 脚注名句シリーズ二( 一五)
- 十二月二十八日
山中に菌からびぬ冬日輪 野澤節子 千葉県北部の山の中。白い茸が乾いたまま生えているのに驚いた。茸はくさってしまうものかと思っていた。風通しのいい林なのであろう。印旛沼が、冬の太陽を浮かべ、さざ波をたてて光っているのが見える。冬という季節の静寂さと清潔さを伝えてくる。
「野澤節子集」 脚註名句シリーズ二( 六)
- 十二月二十九日
バスの中たしかに風邪の神がゐる 秋澤 猛 乗ったバスは満員だった。マスクをした人もいた。風邪の神もたしかに乗っていると思った。
「秋澤 猛集」
自註現代俳句シリーズ五( 一)
- 十二月三十日
ゆく年や飼はれて鯉はくらがりに 成瀬桜桃子 「年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけりさやの中山 西行」小夜の中山は静岡掛川市の東夜泣石も有名。命と時の暗さの中に石も泣くか。
「成瀬桜桃子集」
自註現代俳句シリーズ一( 一四)
- 十二月三十一日
大年の炊煙として川に這ふ 林 徹 川べりの小家から出た煙突の煙である。
「林 徹集」
自註現代俳句シリーズ四( 三八)