今日の一句:2022年02月
- 二月一日
酒粕の包みやはらか梅探る 小林愛子 醸造元で買った、出来たての酒粕は大事に胸に抱えた。その足で梅を探して歩きまわる。
「小林愛子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二二)
- 二月二日
父祖の家にまた執着す梅咲けば 細谷鳩舎 庭に残る数本の白梅が咲くと、父祖の魂に触れたように、改めて長男の責任を感じるのであった。
「細谷鳩舎集」
自註現代俳句シリーズ五( 三四)
- 二月三日
「雪峰」をこころに雪の光悦忌 細見しゆこう 光悦寺を訪れたのは忌日のあとだったが、鷹・鷲の二峰は雪を被っていた。「雪峰」銘の茶盌は光悦名作の一。私は当時茶陶に興味をもっていた。
「細見しゆこう集」
自註現代俳句シリーズ四( 四四)
- 二月四日立春
春立つや雪嶺はまだ夢の白 大串 章 立春の声を聞くと心がさわぐ。やがて木々が芽吹き、水が温む。しかし遠くの山々はまだ雪を被ってうっとりと白い。
「大串 章集」
自註現代俳句シリーズ五( 七)
- 二月五日
春立つや近き木々より遠き樹々 長倉閑山 井の頭公園の池畔のベンチに腰かけた時、口をついて出来た句。その日まさしく立春であった。
「長倉閑山集」
自註現代俳句シリーズ六( 三)
- 二月六日
春寒く素袍の袖に首抱きぬ 宇野犂子 堀川御所に土佐房昌俊が夜襲。怒った弁慶が敵を薙ぎ斃す。が、却ってそれが兄との和解を計る義経の志を無にし、卿の君の自刃も徒となる。
「宇野犂子集」
自註現代俳句シリーズ五( 六三)
- 二月七日
右かれひ左ひらめの余寒かな 草間時彦 鰈と平目は目の付き方で見分けると習ってきた。漁港に立ち寄ってその水揚げ風景を見ての詠作だろうか。とろ箱に仕分けられていく魚を見ながら、「右かれひ、左ひらめ」と口ずさんでおられたに違いない。余寒はそんな漁港での感受である。( 茨木和生)「草間時彦集」
脚註名句シリーズ二( 一)
- 二月八日
転任のうはさのうはさ蕗の薹 河野邦子 三学期に入ると「○○人事」と称して無責任な人事のうわさが流れる。それに保護者のうわさも手伝ってにぎやかになる。悲喜こもごも。
「河野邦子集」
自註現代俳句シリーズ九( 三二)
- 二月九日
春浅き海にやうやく日あまねし 西村和子 「やうやく」「あまねし」は古典的な表現。「さりげない叙法ではあるけれど、なかなかデリケートなところに触れている」とは先生の評。
「西村和子集」
自註現代俳句シリーズ八( 三〇)
- 二月十日
老の来て腰折れしまま海苔ひろふ 原 柯城 老いても休むを知らぬ漁夫。風のあとは磯に海のめぐみがある。老に幸多かれと祈るのであった。
「原 柯城集」
自註現代俳句シリーズ四( 三九)
- 二月十一日
野火逃げてすんでに墓を焼くところ 小林波留 畑草を焼くのに失敗。山側から下へ向かって火を放てばよかったのに逆、山裾には墓、燃え移っては大変、野良着で打ったりやっと消し止めた。
「小林波留集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四六)
- 二月十二日
初うぐひす父が遠くに眼をひらく 野澤節子 庭に毎年鶯が来て鳴いた。父の書斎の外で鳴くので、初めて鶯が鳴くと、必ず父が「鶯が鳴いたよ」と家じゅうに知らせてくれた。今もその時期になると、亡き父の書斎の外で鳴く。あの世の父があの世で薄目を開いて、知らせてくれているかのようである。「野澤節子集」
脚註名句シリーズ二( 六)
- 二月十三日
岬の権現春とも見えぬ荒れざまよ 竹腰八柏 伊豆は下田の奥。岬の端に権現さまを祀ってある。この沖は昔より難所とされており船人の信仰が篤い。時、恰も春荒である。
「竹腰八柏集」
自註現代俳句シリーズ五( 二〇)
- 二月十四日
目玉焼大きくバレンタインの日 二宮貢作 たまたま玉子料理が一皿加わったのだろう。
「二宮貢作集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二二)
- 二月十五日
西行の日の朝日さす茶山より 岡井省二 巌といふといへどみまかり
「岡井省二集」
自註現代俳句シリーズ五( 一〇)
- 二月十六日
二月田の水湧く場処は榛の下 能村登四郎 私の家から二十分位歩くとこんな場所がある。二月の芽吹前の榛の木は淋しいがその下からこんこんと清冽な水が湧いていて春の近いのを感じさせる。
「能村登四郎集」
自註現代俳句シリーズ二( 三〇)
- 二月十七日
行僧の去りて一山寒ゆるむ 毛塚静枝 荒行が満行となり、成満僧がめでたく下山した後、張りつめていたような寺の境内に、やっと春の近づくのが感じられた。
「毛塚静枝集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 一二)
- 二月十八日
受験子の沈黙食後にも続く 岡崎桂子 受験勉強があまり好きでなかった娘には、つらい時期であった。
「岡崎桂子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三)
- 二月十九日雨水
合格子走る時折影がはなれ 今瀬剛一 入学とそれにつづく合格発表は私にとって忘れることのできない素材の一つである。喜び走って行く合格の生徒はときどき跳ねたりする。
「今瀬剛一集」
自註現代俳句シリーズ六( 三三)
- 二月二十日
いつからとなく水道も水ぬるむ 右城暮石 水道の水は外気により温かく、また冷たく感じたりする。日々、意識せずに使う水道水にも春が来たことを感じている。「日々を大切にすることが句に繋がる」と暮石は説いた。この頃、家居が多くなったが季節の変化には鋭敏だった。「右城暮石集」
脚註名句シリーズ二( 八)
- 二月二十一日
待つことに慣れてすなはち雪解待つ 村山秀雄 「暑さ寒さも彼岸まで」は東京以南のこと。北国の春は待ちどうしい。
「村山秀雄集」
自註現代俳句シリーズ九( 二)
- 二月二十二日
茅替ふる足場組まれて梅終る 山本つぼみ 横浜三渓園、旧矢箆原家住宅の合掌作りの屋根を葺き替える足場が組まれていた。梅の花も終り、観光客も少ない一日の景色の中に。
「山本つぼみ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三)
- 二月二十三日
若布刈舟手にふるほどの鷗飛び 河府雪於 網代同人会。若布を刈る近くまで舟を寄せて貰った。鷗が数多飛び交い、水底には若布が縞をなしていた。〈夕月や波透く石蓴うすみどり〉
「河府雪於集」
自註現代俳句シリーズ六( 一八)
- 二月二十四日
不器男忌や硝子のごとき雪踏みて 金久美智子 大学を出て二年後の死。あまりにも早い死だが、だれもが愛誦句を持つ不器男。割れ硝子を踏んだ時の様な音を立てて軋む雪に不器男を思った。
「金久美智子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四五)
- 二月二十五日
春の風邪ひきあひとみにめをとめく 今村泗水 結婚生活も年を重ねるごとに夫婦らしくなる。春の風邪さえもかたみにひきあって、いよいよ夫婦の絆を深めてゆく。
「今村泗水集」
自註現代俳句シリーズ九( 四)
- 二月二十六日
ゆづりはの天の二月へ言葉継ぐ 伊藤白潮 先師田中午次郎の忌日の二月二十六日、印旛沼畔の妙伝寺の墓前に「鴫」を供え、報告会のようなことをした。楪の木が傍にあった。
「伊藤白潮集」
自註現代俳句シリーズ五( 六一)
- 二月二十七日
ぼそぼそと言うてるうちに二月尽 竹内良三 一月は去ぬ。二月は逃げる。三月は去る。と言ってこのあたりは日のたつのが早い。殊に年を取ってからは、身をもってこの事を感じている。
「竹内良三集」
自註現代俳句シリーズ一三( 九)
- 二月二十八日
谿底に移る日の斑や二月尽 大嶽青児 ひと冬の間、日の射さなかった谿底の川筋に束の間の光と影が生まれる。
「大嶽青児集」
自註現代俳句シリーズ五( 八)