今日の一句:2022年03月
- 三月一日
一臼は蓬の色に搗き上がり 伊東 肇 再び鶴川の宿場を訪れてみると、雛の節句のための餅搗きをしていた。臼を覗くと、ちょうど草餅が搗き上がったところだった。
「伊東 肇集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三八)
- 三月二日
送水会や日ののこりゐる斑雪山 猿橋統流子 三月二日奈良二月堂の修二会のための水をここから送るのだという若狭神宮寺では、達陀の行のような松明を焚き、香水というのを近くの遠敷川の上流鵜ノ瀬に流すなどいろいろの儀式を行う。
「猿橋統流子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二五)
- 三月三日
雑色の褻形は麻のひいなかな 鈴木白祇 手に箒や塵取りを持ち、その雛壇で泣いたり、笑ったり、怒ったり。
「鈴木白祇集」
自註現代俳句シリーズ五( 四三)
- 三月四日
菱餅の記憶泣きゐし姉ありて 藤岡筑邨 僕は末っ子で、姉たちが多い。だから思い出のなかに姉たちが多く登場してくる。これも雛祭の思い出の中にあったような、かすかな思い出である。
「藤岡筑邨集」
自註現代俳句シリーズ七( 六)
- 三月五日啓蟄
啓蟄や使はぬ部屋に日の射して 宮崎すみ 殆どが使わぬ部屋になったようだ。そんな部屋に、時おり日が射す。虫たちの活動もそろそろ、あの賑やかだった昔はどこに行ったのだろう。
「宮崎すみ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四)
- 三月六日
山を焼く山国に人ゐるわゐるわ 有吉桜雲 阿蘇の山焼きは壮大。山を焼く人・人。これを見物する人・人。
「有吉桜雲集」
自註現代俳句シリーズ八( 四五)
- 三月七日
黙したる者はた強し春霰 松本 旭 平戸島の根獅子部落、隠れ切支丹の遺跡を見に。山鹿光世市長の好意で車を出して貰う。すぐ手前で大雨、霰が激しく降った。切支丹衆への感懐。
「松本 旭集」
自註現代俳句シリーズ四( 四六)
- 三月八日
足許は戦争ちかき土筆かな 大屋達治 病気は私を臆病にした。気散じに散歩に出た。土筆の生えた野は、旧陸軍習志野原の地である。地球のどこかの紛争がわが国に波及せぬか怯えた。
「大屋達治集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六五)
- 三月九日
生くること改めて問ふ芽吹山 石山ヨシエ 苦しいことばかり続くと生きることの意味を求めようとする自分がいた。一斉に芽吹きはじめた山はそんな私を救ってくれた。
「石山ヨシエ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三七)
- 三月十日
ゆく雲の遠きはひかり卒業歌 古賀まり子 勤務先の病院と道一つへだてて、中学校がある。ぽっかり浮かんで流れてゆく春の雲は幸福な未来を物語っているようだ。
「古賀まり子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二二)
- 三月十一日
授受の手が卒業証書の四隅占む 藤井吉道 校長先生が卒業証書の全文を読み上げられ、前に進み出た卒業生代表に授与されたときの決定的な瞬間。〈卒業歌猫背教師の吾も唄ふ〉
「藤井吉道集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二五)
- 三月十二日
政治家の故園となりて蕨摘む 福本鯨洋 山の麓に政治家の生れ育った家がある。東京に家を持って、住む人がない。広い庭に蕨など生えるようになった。そこで沢山の蕨を摘んだ。
「福本鯨洋集」
自註現代俳句シリーズ三( 三〇)
- 三月十三日
突堤を歩くが別れ卒業子 秋澤 猛 酒田港に南北の突堤がある。私は高校で三年生を担任していた。あとで聞くと、その突堤の一つを卒業生四、五名が歩いて別れを惜しんだとの事。
「秋澤 猛集」
自註現代俳句シリーズ五( 一)
- 三月十四日
春山に楼自ら高うして 下村非文 春山の中腹に大楼があって、その二階に登る。欄干に立てば、広々とした武庫野が眼下に一望されて、心持ちも自ら壮大となる。
「下村非文集」
自註現代俳句シリーズ三( 一八)
- 三月十五日
囀りの風に消されて斑雪山 光木正之 小鳥たちの囀りがはじまっても山は斑雪、吹く風もまだ寒い。
「光木正之集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二三)
- 三月十六日
めつむれば雲雀の声のかがやきだす 鈴木貞雄 近くの畑は三月には雲雀野に変わる。一望の畑のそこここに、雲雀の声が次々とあがる。目をつむって聞いていると、声が輝きを増してくる。
「鈴木貞雄集」
自註現代俳句シリーズ七( 二九)
- 三月十七日
落椿累々閼伽を汲まんすべ 米田双葉子 閼伽井へかぶさるように生えている古椿。落椿を踏みつけたくないのだが、汲もうとする井水にも、落椿が二、三浮かんでいた。
「米田双葉子集」
自註現代俳句シリーズ六( 四七)
- 三月十八日
歳月は熔岩に咲かせて島椿 野見山ひふみ 大正年間の桜島の大噴火は、再び樹が芽吹くことも、人が住むこともあるまいと言われたが今は熔岩の上に椿の花が赤い。
「野見山ひふみ集」
自註現代俳句シリーズ二( 三一)
- 三月十九日
野の風を濤と聞く日の玉椿 水原秋櫻子 早春の風のつよい日。朝から吹きはじめた風が、午後には濤のよせるようにきこえる。視界もくらい。ただ庭隅の椿だけが搖らぎもせずにいる。
「水原秋櫻子集」
自註現代俳句シリーズ一( 七)
- 三月二十日
鳥雲に契りて今も七つ違ひ 鷹羽狩行 候鳥の訪れのたびに妻は齢を重ねるが、二人の年齢差は変らない。あとで同じ内容の古典落語『宮戸川』のあることに気がついた。
「鷹羽狩行集」
自註現代俳句シリーズ一( 二)
- 三月二十一日春分
雪踏んで母を通せり彼岸みち 和田順子 足の弱ってきた義母を連れて義父の墓参り。春なのに雪が積っていて皆で踏み固めた。
「和田順子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一五)
- 三月二十二日
流氷の渚に波の上がりけり 嶋田一歩 氷が岸に近づいたり離れたりしている頃。この頃は一夜で流氷帯が沖に去ったりする。一つの流氷は巨大だ。そして間もなく凍海になる。
「嶋田一歩集」
自註現代俳句シリーズ五( 三〇)
- 三月二十三日
鶴引けり雲雀に天を譲るため 藤井艸眉子 広い野を大集団で長期に独占して来た鶴。本来の所有者雲雀に広野を還し、北帰行の旅立ち。〈引鶴に加はる傷の癒えし鶴〉
「藤井艸眉子集」
自註現代俳句シリーズ六( 一一)
- 三月二十四日
客の言ふまま種物屋勘定す 堀 磯路 客は手に取った種物を自分で計算する。種物屋は客の言うままに勘定して疑わない。昔と少しも変らない種物屋である。
「堀 磯路集」
自註現代俳句シリーズ五( 五二)
- 三月二十五日
春水に木橋の影の新しき 高橋桃衣 ある日、自然教育園の池の橋が架け替えられていた。白木の橋はまだ廻りの景色に溶け込まず、影も際立っていた。
「高橋桃衣集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二一)
- 三月二十六日
老いて讀むつもりの本や春の塵 北見さとる 職場にいた頃勧められるままに買いためた全集物など。充分に老いたのに中々。結局自分に言い訳しながらまだそのままに。
「北見さとる集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二五)
- 三月二十七日
林帯へ裾ゆるく入れ春の山 羽部洞然 春の富士の裾は林帯に入ってもなお見えがくれしつつゆったりと伸びていた。
「羽部洞然集」
自註現代俳句シリーズ六( 四一)
- 三月二十八日
花菜和へ作りて利休忌を修す 梅田愛子 茶の湯をする身として、利休忌には何か一品作り、一句をよむのが習いとなっている。
「梅田愛子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三九)
- 三月二十九日
すみれ束解くや光陰こぼれ落つ 鍵和田秞子 誕生日にもらった、小さなすみれの束。家に帰ってガラスのコップに入れようと束を解いた。途端にこぼれ落ちたのは、私の青春の歳月。
「鍵和田秞子集」
自註現代俳句シリーズ五( 一一)
- 三月三十日
東風に触れ呟きごとのうべなはる 角田独峰 上野、谷中へかけての吟行。墓石に腰かけて皆んなで休憩。何となく呟いたひとことがあたりの人に素直に同意を受けた東風の中での寸景。
「角田独峰集」
自註現代俳句シリーズ五( 二三)
- 三月三十一日
定年や花菜畑の眩しくて 長棟光山子 この春三月、私は定年で役場を退職した。三十三年間無事に勤められたのも、妻の内助の功のお蔭であった。
「長棟光山子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五二)