今日の一句:2022年08月
- 八月一日
手花火に二人子の影しなひをり 原 裕 上が六歳、下が四歳の遊びざかり。手花火の火の移動につれて影も動く。父の帰りの遅い日は母にねだって花火に興じた。
「原 裕集」
自註現代俳句シリーズ一( 二四)
- 八月二日
船の灯を消して仰ぎぬ揚花火 二宮 貢作 夏は毎晩、東京ディズニーランドから花火が上がる。その花火を船の上から見るのである。この後夕立になった。〈夕立中遊船波止に戻り来し〉
「二宮 貢作集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二二)
- 八月三日
興奮を誘ふ窯の火夜の秋 加藤三七子 近くに登り窯があり陶作りにしばらく凝った。夜を徹しての攻め焚き、私のひねった茶わんもその火の洗礼をうけた。
「加藤三七子集」
自註現代俳句シリーズ三( 一〇)
- 八月四日
くちすすぎ月光残す山清水 柴田白葉女 山あいの清水で口をすすぐ。清水には月光がまだ残っていて、かすかに光る。御来迎をむかえる一瞬前の光景。
「柴田白葉女集」
自註現代俳句シリーズ一( 二六)
- 八月五日
ひぐらしや師の訃報記事切り溜むる 奈良文夫 八月五日、草田男先生が亡くなられた。「昭和の芭蕉」「比類なき詩魂のひと」などの記事に改めて師の偉大さを知った。
「奈良文夫集」
自註現代俳句シリーズ八( 二七)
- 八月六日
絶望の女像身を投げ晩夏光 大場美夜子 穂高町の碌山美術館を尋ねた。劇にもなった新宿中村屋に縁深いこの作者の作品を私も一点持っているが、この女像の前に暫し佇ちつくした。
「大場美夜子集」
自註現代俳句シリーズ五( 九)
- 八月七日立秋
ゆきひらに粥噴きそめし今朝の秋 石川桂郎 「ゆきひら」は雪平鍋の略、取っ手、ふた、注ぎ口のある土鍋のことである。宿酔、下痢、衰弱、脈搏結滞、病臥をくり返す明け暮れだから、雪平鍋は七畳屋の必需品だった。粥は土鍋に限ると言うので、「風土」編集のかたわら土鍋の火の番も私の役になった。
「石川桂郎集」 脚註名句シリーズ一( 三)
- 八月八日
七夕竹分教場に机六つ 相馬遷子 神津牧場の一部に分教場があった。本当に六人だけの机と椅子。数のかかわりが面白い。( 以上『山国』より)
「相馬遷子集」
脚註名句シリーズ一( 一〇)
- 八月九日
遠ざかるほど鮮明にカンナの緋 澤村昭代 郷里での句。車窓に遠ざかったカンナの鮮明な紅が印象的であった。
「澤村昭代集」
自註現代俳句シリーズ八( 三七)
- 八月十日
首都秋暑白襟徒手の者ら満つ 北野民夫 人口の満ち溢れすぎた首都は空気が濁り、秋の声を聞いても蒸暑さが去らぬ。ホワイトカラーは職場への往きも帰りも徒手、手職なき故物持たず。
「北野民夫集」
自註現代俳句シリーズ二( 一四)
- 八月十一日
抱きあやす朝顔に手を触れさせて 西山小鼓子 或朝幼い孫娘を抱いて庭の蔓朝顔に手を触れさせた。男手の抱き心地はあまり良くないかも知れないと思いながらのことであった。
「西山小鼓子集」
自註現代俳句シリーズ五( 三二)
- 八月十二日
新涼や筆も硯も子に借りて 大嶽青児 勉強会などあると短冊を書く。ふだん筆を使うことがないので、その都度、子供の硯と筆を借用する。最近やっと自分の物を備えた。
「大嶽青児集」
自註現代俳句シリーズ五( 八)
- 八月十三日
盆波の船連帯のなき雑魚寝 岡崎桂子 小樽から利尻島へ渡る船は盆波に揺られ通しであった。
「岡崎桂子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三)
- 八月十四日
生身魂ひよこひよこ歩き給ひけり 細川加賀 母は、若い頃から足腰の強い人だった。その歩く姿を目出度いと思って眺めているのである。
「細川加賀集」
自註現代俳句シリーズ三( 三一)
- 八月十五日
同齢の話はづみて敗戦日 杉 良介 終戦のときは小学校三年生。同じ年格好と分かると、住んでいた土地は離れていても、共通の話題がいくらでも――。
「杉 良介集」
自註現代俳句シリーズ九( 七)
- 八月十六日
盆の月欠けゆき母の忌も過ぎぬ 五十嵐播水 母の死は八月三十一日であった。盆の月は亡き人を思わせる。盆の月を仰ぎ母の事を思ったが月も欠けてゆき母の日も何時か過ぎて行った。
「五十嵐播水集」
自註現代俳句シリーズ四( 五)
- 八月十七日
なびく手のはしに人恋ひ盆踊 赤松蕙子 男のくせに指先にまでしなをつけて踊る。意識しているのである。けれどそこが若いと思えば、かなしと見るのも老婆心か。
「赤松蕙子集」
自註現代俳句シリーズ三( 一)
- 八月十八日
流燈を水面に一つづつ植ゑて 檜 紀代 写生派の仲間が「植ゑて」を褒めて、ふつうなら「置く」といわれ、ハッとした。苦吟派の私には「置く」のほうが、思いもよらぬ言葉。
「檜 紀代集」
自註現代俳句シリーズ五( 二五)
- 八月十九日
銀漢や人に一世といふ時間 伊藤敬子 天の川を眺めていて、人に与えられた一生という時間を大切に生きることを話し合った。
「伊藤敬子集」
自註現代俳句シリーズ・続編二六
- 八月二十日
銀漢の尾を垂れにけり島泊り 清崎敏郎 これも八丈島を訪れた折の作。澄みわたった島の夜空を仰いでいると、天の川が遥か彼方の水平線の方まで白々と明らかに続いている。「尾を垂れにけり」の把握が、島泊りの秋の夜空の雄大な景を表現している。作者の感動が伝わってくる写生句。( 宮田枝葉)
「清崎敏郎集」 脚註名句シリーズ二( 二)
- 八月二十一日
暑き日を選びしごとく忌がひとつ 宮津昭彦 林火先生の命日は八月二十一日。暑い最中だ。毎年のことながら暑いと思う。
「宮津昭彦集」
自註現代俳句シリーズ・続編八
- 八月二十二日
流星や庶民の屋根はかさなりて 椎橋清翠 横浜から東京板橋大谷口のアパートに転出。生活は楽ではないが、東京へ出られたことで何となく希望が湧いた。
「椎橋清翠集」
自註現代俳句シリーズ七( 三六)
- 八月二十三日処暑
燭ひとつ香炉ひとつの地蔵盆 阪本謙二 肱川町の道路脇にある小さな地蔵堂には、地蔵盆の香が焚かれていた。近所の人々の信仰を集めているさまが読み取れた。
「阪本謙二集」
自註現代俳句シリーズ八( 四)
- 八月二十四日
籠渡し綱ひぐらしの樹にくくり 飯塚田鶴子 廃村を見て和山の籠渡しを見に行った。乗ったら自分で綱を引いて操作する。籠は人のいない川岸の大樹にくくられ蜩が鳴いていた。
「飯塚田鶴子集」
自註現代俳句シリーズ七( 一〇)
- 八月二十五日
昨日聞き今日かなかなを待ちてをり 神蔵 器 一夏蟬の声を聞かずに終ることも珍しくなくなった。たまたま昨日かなかなを聞いた。そして同じ時刻にまた聞えて来るかと待っている。
「神蔵 器集」
自註現代俳句シリーズ四( 一九)
- 八月二十六日
山寺や毛物鳴きして法師蟬 後藤夜半 八月二十日、写生会、神戸板宿の禅昌寺。この寺は雀の宿として知られた寺。法師という名の蟬が毛物のような鳴き方をすると感じたところが、山寺と呼応して面白い。他に「息長きつくつくぼうしばかりかな」がある。「後藤夜半集」
脚註名句シリーズ一( 八)
- 八月二十七日
宿場行燈新涼の灯を入るるなし 林 翔 旧奈良井宿の越後屋という旅籠は昔の俤を残している。「ゑちご屋」と書いた行燈も既に実用ではなく、灯は入れてない。そこに泊った。
「林 翔集」
自註現代俳句シリーズ三( 二六)
- 八月二十八日
しんしんと肉の老いゆく稲光 斎藤 玄 肉体の肉の老いゆくさまは、深く静かに進んでゆく。稲光の閃光に映し出されて、老に蝕ばまれてゆく僕の肉体の肉を歴然と見た。
「斎藤 玄集」
自註現代俳句シリーズ二( 一六)
- 八月二十九日
鯰まだ生きて割かるる稲びかり 白岩三郎 釣好きの友人からナマズを貰う。少々困ったが友人は「俺が割いてやる」と包丁を持った。ナマズはまだ生きており、俎板からすべり落ちた。
「白岩三郎集」
自註現代俳句シリーズ六( 三九)
- 八月三十日
座りても立ちても秋の水平線 岩淵喜代子 水平線というのは不思議な存在だ。多分水平線に辿りついた人はいない。そういえば、かげろうに辿りついた人もいない。
「岩淵喜代子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三五)
- 八月三十一日
白粉花や百人町は暗い町 鳥居美智子 俳人協会のある百人町は新宿に近いけれど暗い部分を残している不思議な町。
「鳥居美智子集」
自註現代俳句シリーズ六( 五〇)