今日の一句:2022年09月
- 九月一日
町裏は星を殖やして風の盆 中坪達哉 九月一日から三日三晩踊り明かす越中おわら「風の盆」。坂の町の人波を抜けると、星がどんどん殖え行く空の近さに驚いた。星々も競演するか。
「中坪達哉集」
自註現代俳句シリーズ一二( 八)
- 九月二日
空爆といふ世を生きて鉦叩 山本つぼみ 地球上の各地で戦争が絶えない。目には目をが捨てきれない世の中、空爆下の人達を思うと他人事ではない。太平洋戦争を知る者の一人として。
「山本つぼみ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三)
- 九月三日
爽けしや山車曲るとき乱拍子 田中水桜 佐原の町並は江戸時代に船運で栄えた名残りが今でもみられる。その狭い通りを大きな山車が曲る時、囃子方は急ピッチになり勢いを増した。
「田中水桜集」
自註現代俳句シリーズ五( 二一)
- 九月四日
りんだうや背筋正しき父なりし 水原春郎 父は生涯あぐらをかいたことはない。いつも背筋を伸ばしぴんとして正座していた。竜胆が好きである意味父らしい花と思う。
「水原春郎集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六七)
- 九月五日
コスモスは揺るる芒は靡くもの 嶋田一歩 石狩街道。道の両側に芒の原がつづく。その処々に秋桜の群が。秋桜の花は風に揺れ乱れ、芒は一定の方向に揺れ靡く。
「嶋田一歩集」
自註現代俳句シリーズ五( 三〇)
- 九月六日
秋つばめいくさ無き空透きとほる 久保千鶴子 戦後四十余年。日本がこれだけの期間、戦争を経験しないのは歴史的という。澄んだ空をゆく燕に国境はない。佃で。
「久保千鶴子集」
自註現代俳句シリーズ八( 一一)
- 九月七日
火の山にかぶさる雲や鳥兜 高橋悦男 箱根に鳥兜が咲いている所があると聞いて見に行った。雨催いの日で山頂附近は雲がたれこめ、その中で咲く鳥兜はいかにも不気味だった。
「高橋悦男集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三五)
- 九月八日白露
穴惑ゆつくりと尾を沈めけり 江口井子 多摩丘陵には開発から残された径がある。「やまかがし」だったか、スローモーションのように枯葉に身を潜めていった。
「江口井子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二八)
- 九月九日
一樹にこもる雀台風去りし後 加藤憲曠 台風が去ったあとも、樹の中の雀がなかなか飛び立ってこなかった。よほど怖かったものとみえる。
「加藤憲曠集」
自註現代俳句シリーズ六( 一七)
- 九月十日
一石を投ぜしあとの水の秋 長田 等 何の変化もない池に一石を投げてみると水音がして波紋がひろがる。やがてもとの静寂にもどる。人生における一石の波紋の意味は重い。
「長田 等集」
自註現代俳句シリーズ七( 一八)
- 九月十一日
紅が濃し絵島の墓の曼珠沙華 里川水章 信州高遠。この地に流刑になった江戸城大奥女中絵島の囲屋敷のある高遠湖畔や城址公園も曼珠沙華の花ざかり。蓮華寺の絵島の墓に咲く花が、なぜか最も紅かったように思われた。
「里川水章集」
自註現代俳句シリーズ八( 一三)
- 九月十二日
ことのほか暗き湖北の月の雨 竹腰八柏 近江舞子での月見句会。天気予報の通り夕刻より雲現れる。月の出は見られず。暫くして雨が降り出す。湖北の暗さは格別である。
「竹腰八柏集」
自註現代俳句シリーズ五( 二〇)
- 九月十三日
俯瞰すを拒み摩周湖霧畳む 志村さゝを 摩周湖を見下ろす。深い霧で湖は全く見えない。遊子が見るのを拒むかに感じた。〈風花にサビタ一面枯れ急ぐ〉
「志村さゝを集」
自註現代俳句シリーズ七( 八)
- 九月十四日
わが胸に鰯雲あり夕爾あり 倉田春名 木下夕爾を偲ぶ会があり福山へ。盛会の後、安住先生、きくの、真砂女さん達と夕爾の墓に花を手向けた。「墓の辺に夕爾が降らす木の実ならむ」。
「倉田春名集」
自註現代俳句シリーズ六( 五三)
- 九月十五日
短調の打音まじれる虫時雨 若木一朗 虫の声に耳を澄ませると、かすかに聴える打音、かねたたきの音であった。短調の打音という言葉が生れてきた。
「若木一朗集」
自註現代俳句シリーズ六( 七)
- 九月十六日
唐辛子赤くて水無瀬曇りけり 松本 旭 「水無瀬三吟百韻」で知られた水無瀬神宮を訪ねる。土手に上ると、水無瀬川が芦原の中を、淀川に流れこんでいた。
「松本 旭集」
自註現代俳句シリーズ四( 四六)
- 九月十七日
月の酒心大きく大きくなる 上野章子 注がれるままに呑んだ月見の宴のお酒は美味しいと思った。そして苦労性の私が大胆になれることを発見した。
「上野章子集」
自註現代俳句シリーズ三( 四)
- 九月十八日
象の花子五十八歳敬老日 藤沢樹村 この頃、井の頭自然文化園によく吟行した。戦後初めて来日したアジア象の花子に、バナナなどが振る舞われていた。
「藤沢樹村集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四一)
- 九月十九日
秋雨にすぐ潦八重の墓 深見けん二 その頃、子規忌には、大龍寺にある子規居士の墓に毎年のようにお詣りをした。居士の墓に向かって右に少し傾いて母堂八重の墓がある。
「深見けん二集」
自註現代俳句シリーズ・続編二〇
- 九月二十日
たとふればたましひのいろ秋の蝶 加藤耕子 岐阜県円鏡寺にて。ここに湧水のプールがあったが、今はもうない。私は、戦時中にここを通って本巣高女へ通った。
「加藤耕子集」
自註現代俳句シリーズ七( 四八)
- 九月二十一日
秋の蚊を打つて度忘れまた一つ 中村菊一郎 だんだん度忘れが激しくなって来た。一句浮かんでも、ちょっと他のことをしてしまうと、もう思い出せない。情けないことだ。
「中村菊一郎集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二二)
- 九月二十二日
すすき野のひかるは神の座なるべし 上野 燎 秋吉台。雲の具合では広大なすすき野の一部分だけが神々しく光ることがある。神秘である。
「上野 燎集」
自註現代俳句シリーズ九( 二一)
- 九月二十三日秋分
水の上すでに秋思の櫓音過ぐ 伊藤京子 湖漁師の漕ぐ櫓の音が、すべるように水面を行き、秋が深くなった近江の景である。
「伊藤京子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四)
- 九月二十四日
かまつかの紅がはなれぬ糸ぐるま 神尾久美子 雁来紅のそばから糸車を、糸車の位置から雁来紅を見ているうちに生れた一句。紬織工房で。
「神尾久美子集」
自註現代俳句シリーズ四( 一八)
- 九月二十五日
天は荒れ霧笛片肺の胸に鳴り 阿部幽水 三度目の襟裳岬。この日も荒天。病み癒えし身に、霧笛は胸に沁み透る響きであった。
「阿部幽水集」
自註現代俳句シリーズ八( 三一)
- 九月二十六日
映すものすべて映して水澄めり 木内怜子 この句も、ただそのままの景なのだが......。
「木内怜子集」
自註現代俳句シリーズ七( 四一)
- 九月二十七日
隧道やのれんがかりに葛垂るる 高本時子 吉野の奥へ吟行。杉檜の美林は葛や蔦を許さないが、隧道又隧道は葛の跋扈地帯。
「高木時子集」
自註現代俳句シリーズ七( 五一)
- 九月二十八日
決算期過ぎこほろぎの細まりぬ 大坂晴風 決算の時期になると、経理課員は忙しくなる。夜業の時は手を休め、外へ出て見る。こおろぎが鳴いている。こおろぎが鳴かなくなると全て終る。
「大坂晴風集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五五)
- 九月二十九日
米炊ぐ壁の裏より虫時雨 田島和生 菜切り、出刃、刺身包丁を買って単身赴任。指もよく切ったが、料理の腕前もまずまず、か。虫時雨を聞き、米を炊ぐ。
「田島和生集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四〇)
- 九月三十日
やはらかき懐紙の折目雁渡る 小野恵美子 懐紙を持ち歩くほど私は優雅ではないが......。
「小野恵美子集」
自註現代俳句シリーズ八( 一九)