今日の一句:2022年10月
- 十月一日
無駄な線なき重吉の絵よ野菊晴 須磨佳雪 陽子さんが、重吉の絵を無造作に手渡して呉れ、詩と同じように絵も、無駄な線が一つもないと、おっしゃった。本当にそうだった。
「須磨佳雪集」
自註現代俳句シリーズ六( 四三)
- 十月二日
大籠や磔のさまに稲架を組む 門脇白風 この地の稲葉は磔の態に見える。
「門脇白風集」
自註現代俳句シリーズ五( 三八)
- 十月三日
十重二十重守るものなし稲架の陣 土生重次 やっと土地の人とも「一杯やるか」の仲になったら、東京に帰れの通達。肌着も靴下も捨てて、荷物は『西東三鬼全句集』一冊だった。
「土生重次集」
自註現代俳句シリーズ六( 三七)
- 十月四日
菊の香の高きを流れ素十亡し 三田きえ子 「ふるさとを同じうしたる秋天下」素十。この句がすぐに胸をよぎった。
「三田きえ子集」
自註現代俳句シリーズ七( 一四)
- 十月五日
高西風や魚の深さに日の走る 鳥居おさむ 出雲の名も知らぬ小さな川。日差しを背鰭に受けた魚が底を走る。透き通った高空の風の日だった。
「鳥居おさむ集」
自註現代俳句シリーズ七( 三五)
- 十月六日
足音に逃げられ岬の高き天 小林鹿郎 岬の突端への道をあるいている時の、空中へ自分の体が歩みだすような、あの心細い感じ。
「小林鹿郎集」
自註現代俳句シリーズ六( 二二)
- 十月七日
団体の一人となりて天高し 髙崎トミ子 集合場所に遅れず到着しただけのことである。集合場所までは一人の行動である。天気も良くてほっとしている。
「髙崎トミ子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三一)
- 十月八日寒露
家々に福呼ぶごとし柚子たわわ 佐藤俊子 柚子が好きで庭に植えたら、小粒であるが毎年よく実った。句会のあと皆が集まって捥いでくれ、それぞれ持ち帰った。
「佐藤俊子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四六)
- 十月九日
天命を受けし鷹より渡りゆく 和久田隆子 伊良湖岬は渡る鷹の中継点。「天為」の吟行会を持った。お目当ての鷹柱は随分と待たされたが。
「和久田隆子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二四)
- 十月十日
山に来れば山に住みたし紅葉燃ゆ 市野沢弘子 誘われて筑波山へ登る。夏の山には住みたいと思わないが、秋の山の美しさと儚さの虜になってしまうのである。
「市野沢弘子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四一)
- 十月十一日
安達太良山の吹降りとなる菊花展 皆川盤水 二本松からほど近い霞ヶ城の菊花展の吟。遠景の安達太良山の吹降りを言って菊花展を据えたあたり遠近法を巧みに用いている。菊花展の帰途雨の安達ヶ原黒塚や智恵子の生家などを見て野紺菊が咲く庭の縁の糸車を回した事を懐かしむ。( ヤス)
「皆川盤水集」 脚註名句シリーズ二( 一二)
- 十月十二日
わがいのち菊にむかひてしづかなる 水原秋櫻子 詩泉涸渇したかと悩み、その脱出を願って、大輪の菊を求めて朝夕凝視した。心境的内容の連作となったが、祖父自身一番内容の貧しいという『新樹』の巻尾の句で、再び気魄がこもるようになった『秋苑』との境に出来た句として、忘れがたいと述べている。
「水原秋櫻子集」 脚註名句シリーズ一( 一五)
- 十月十三日
校門をごろごろ閉ぢて秋の暮 本井 英 「秋の暮」の席題で作った句。仕事場の高等学校の校門を、守衛さんがごろごろと音を立てて閉じて行く場面を思い出して。
「本井 英集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一六)
- 十月十四日
- そのへんにむかごを摘んでをりしはず
古田紀一 吟行中、妻の所在を尋ねられた。そのままを句に。下諏訪町神の湯にて。
「古田紀一集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一二)
- 十月十五日
種採の途方に暮れてゐるやうに 井越芳子 何の種を採っていたのだろう。
「井越芳子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四八)
- 十月十六日
柿いつも別れの空でありにけり 松山足羽 敦賀駅を過ぎて今庄へ入ると柿が多い。故郷への出入口に来たと思う。又その帰途もこの村の柿を見て帰る。これが別れの空なのだと思っている。
「松山足羽集」
自註現代俳句シリーズ九( 二〇)
- 十月十七日
秋の山遠祖ほどの星の数 野澤節子 御岳で邯鄲を聞いた夜、「こんなに冴えきった星を見たことがなかった。眼を凝せば、星の奥に星が重なり、糠星まで見透せる山上である。幾世代も以前の原始にまで繋がる天文学的数字の祖先のことを、気の遠くなる思いで考えていた」。
「野澤節子集」 脚註名句シリーズ二( 六)
- 十月十八日
身に入むや幹分かれても寄りそへる 寺島ただし 何の樹だったか、二分かれした幹がそのまま離れないで、二本が寄り添うように伸びていた。人の世にもこれと似た情況はあるかも知れない。
「寺島ただし集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二三)
- 十月十九日
会津嶺も猫魔ヶ岳も紅葉晴 柏原眠雨 「きたごち」では、四つの月例吟行会のほかに、年一度の一泊吟行会を行っている。この年は会津に行き、若松市内や柳津や大内宿を回った。
「柏原眠雨集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六六)
- 十月二十日
茫々と秋深き貌になりしかな 木下子龍 鏡に写る自分の顔、何気なく見ているが、たまにはしみじみと見ることもある。剃刀を手にしてなんときたない顔だろうと改めて見た。
「木下子龍集」
自註現代俳句シリーズ七( 二)
- 十月二十一日
鵙鳴くやいまも一徹なる父に 青柳志解樹 わたしの父はかなり高齢なのだが、いっこうに一徹さは衰えない。猛る鵙も一徹だが、その上をゆく。
「青柳志解樹集」
自註現代俳句シリーズ四( 一)
- 十月二十二日
箱開けて赫と林檎の宝物 本宮鼎三 着いたばかりの荷箱、その蓋を開けるや否や、真紅の林檎。将に宝石のよう。送って下さった方の厚情が目に沁みる。
「本宮鼎三集」
自註現代俳句シリーズ六( 一)
- 十月二十三日霜降
秋苑に独りとなれば耳聡き 角田独峰 屋外での会合が終って庭内にも人影も無くなる頃急にあたりの木騒やせせらぎのかすかな音が聞えはじめる。独り佇んで耳を澄ます秋のひととき。
「角田独峰集」
自註現代俳句シリーズ五( 二三)
- 十月二十四日
秋空がまだ濡れてゐる水彩画 鈴木鷹夫 秋空の下で絵を描く人。覗いてみると、それは水彩画。塗ったばかりの絵の空は「まだ濡れて」いる。実景の空が雨上りか否かの考察は不要。天為と人為、季節と情感が、その「濡れてゐる」空に重なり合い、溶けあい、作者の心を濡らすのである。( 泡 水織)
「鈴木鷹夫集」 脚註名句シリーズ二( 一〇)
- 十月二十五日
寄席出でて方向音痴秋の暮 辻田克巳 劇場や小屋からぽいと外へ出ると、咄嗟に方向が分らなくなることがある。天候や明暗が変化していると特に。秋の暮のこと、この日もそうだった。
「辻田克巳集」
自註現代俳句シリーズ五( 二二)
- 十月二十六日
風よりも身を細うして牛蒡抜く 今瀬剛一 土のかなり深いところまで機械で掘ってから最後の所を手で静かに引く。牛蒡は完型でないと売り物にならないと言う。完型で抜けると音はない。
「今瀬剛一集」
自註現代俳句シリーズ六( 三三)
- 十月二十七日
牛追唄咽にくぐもり秋燕忌 小林輝子 源義先生が盛岡に来られた折、福田柿郎氏に南部牛追唄を所望された。なごやかな句座であった。お二人とももうこの世に居られない。
「小林輝子集」
自註現代俳句シリーズ九( 二二)
- 十月二十八日
盧溝橋歩むも愁思佇むも 藤木倶子 永定河を渡ってくる秋風。盧溝橋は、すべての思いを秘め、なお優美な姿を横たえていた。案内して下さった、今は亡き、森辰二郎氏を思い出す。
「藤木倶子集」
自註現代俳句シリーズ八( 二一)
- 十月二十九日
湖覚めぬ粧ふ山に囲まれて 畠山譲二 諏訪湖。起き抜けに湖にゆく。目覚めたばかりの湖は紅葉した山々に囲まれて静かだった。近くの間歇泉が水蒸気を噴出していた。
「畠山譲二集」
自註現代俳句シリーズ五( 四九)
- 十月三十日
鹿よせのはじめの鹿のやさしけれ 星野立子 十月三十日、大阪玉藻句会で奈良へ。奥山の月日亭で昼食。鹿よせを見る。私達は見る見る鹿の群集にとり囲まれる。自分では平凡な句の様に思えたが、父に披講の際褒られたので自分なりに印象深い。
「星野立子集」 自註現代俳句シリーズ二( 三三)
- 十月三十一日
雄鹿の前吾もあらあらしき息す 橋本多佳子 「秋は」と前書。十一月六日、春日野で出会った雄鹿のたかぶりを前にして。句帳には一気に書いたようで文字までもあらあらしい。つづいて〈息あらき雄鹿が立つは切なけれ〉が見える。
「橋本多佳子集」 脚註名句シリーズ一( 一一)