今日の一句:2022年12月
- 十二月一日
木枯や江戸囃子湧く本牧亭 小林俊彦 落語が好きで寄席に足を運ぶことがある。江戸の文化は奥深く興味が尽きない。
「小林俊彦集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三八)
- 十二月二日
枇杷の花ゆるやかに刻狂ひをり 岸田稚魚 時間はその刻々を狂うことなく正確にきざむ。しかし人間の思惟の中では時には狂うこともある。「枇杷の花」はモンタージュである。
「岸田稚魚集」
自註現代俳句シリーズ一( 二三)
- 十二月三日
廃校の下駄箱に名や冬ぬくし 稲田眸子 筆者の通った小学校は、愛媛県越智郡大三島町立岡山小学校。廃校となって久しい。母校の玄関に立っていたトーテムポールが無性に懐かしい。
「稲田眸子集」
自註現代俳句シリーズ一三( 一五)
- 十二月四日
ここよりは一人忘年会帰り 池田啓三 何人かで集まって賑わった忘年会の帰路。次第に仲間も減り、最後は一人だけとなったのが、思いの外、淋しくもあった。
「池田啓三集」
自註現代俳句シリーズ一三( 二)
- 十二月五日
菊焚きてモーツアルト忌の夕べかな 草間時彦 十二月五日。この日を忘れない。モーツァルトではK626のレクイエムがもっとも好きである。
「草間時彦集」
自註現代俳句シリーズ三( 一三)
- 十二月六日
襟巻の狐のせいにしたきこと 照井せせらぎ 狐は人を騙すというが、ここでは言い訳的軽い嘘。似合わない毛皮の襟巻などして、私には一つの照れである。
「照井せせらぎ集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三)
- 十二月七日大雪
きつさきを立てて葱煮ゆ薬喰 亀井糸游 薬喰の鍋を囲んで煮えてくるのを待っている。鍋に盛りあがっている諸諸の中に白葱が切口を鋭く立てている。肉よりもこの方が養いとなりそう。
「亀井糸游集」
自註現代俳句シリーズ二( 一三)
- 十二月八日
紅茶欲し枯野の果てに海あれば 原田青児 枯野といったが、実際は、雑木林だ。それがなだれて海へ落ちている。大室山噴火のマグマが流れて造り出したリアス式海岸だ。
「原田青児集」
自註現代俳句シリーズ五( 三三)
- 十二月九日
体温を越えし念珠や虎落笛 鳥居美智子 水晶の数珠が何故か自分の体温より熱く感じられた。読経の間に泪が体を冷たくするのだろうか。
「鳥居美智子集」
自註現代俳句シリーズ六( 五〇)
- 十二月十日
月も路傍芋焼くための石を焼く 古舘曹人 新橋田村町界隈。焼芋屋の声がビルに響き、すでに寒月が煌々と照った。焼芋屋もサラリーマンの私もそして月までも路傍のものであった。
「古舘曹人集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三二)
- 十二月十一日
猟銃音一発こだましすでに過去 林 昌華 利根本流とその支流は、近年、白鳥が飛来するのをはじめ、沢山の鳥が渡ってくる。平野地帯での猟銃音は、山林のこだまと違って全く一度限りだ。
「林 昌華集」
自註現代俳句シリーズ四( 三七)
- 十二月十二日
味噌樽の箍締め直す十二月 青木華都子 納屋にある味噌樽、たまりの色が染み込んだ樽は実家の母が嫁に来た時からあったらしい。箍を締め直して年を越すと更に味噌の味が良くなる。
「青木華都子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五〇)
- 十二月十三日
冬夕焼石塊すぐに真顔となる 井桁白陶 仕切り婆、という言葉があるが、仕切り爺とは私のこと、何時も座の中心に居たい人物。だから座の白けるのを嫌う。この石塊は私自身。
「井桁白陶集」
自註現代俳句シリーズ六( 三六)
- 十二月十四日
風邪寝して遠流の島にゐる思ひ 仁尾正文 風邪熱に呻吟すると悪夢ばかり見る。テレビ、新聞を見るのも億劫、まるで流罪地に居るようである。
「仁尾正文集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二六)
- 十二月十五日
ねんねこに深く子うづめ海苔はがす 関森勝夫 寒風の中、子を背負った若い母親が海苔を取り込んでいた。ねんねこの中の子は寒さ知らずで、ぱっちりとした目が可愛かった。
「関森勝夫集」
自註現代俳句シリーズ六( 二四)
- 十二月十六日
旧交は埋火を掘るたのしさに 大野林火 金沢遊学時代、遊んで帰ってはよく埋火を掻き立てたものだ。この句は古い友と会ったときの句だが、話題は埋火を掘るたのしさに似た。
「大野林火集」
自註現代俳句シリーズ一( 二九)
- 十二月十七日
寒い朝失せし釦を拾ひけり 渡辺雅子 処女句集『寒星』に掲載した時、評判はよかったが、別に意味はない。その頃お元気だった二宮貢作さんが『寒星』を「狩」に紹介して下さった。
「渡辺雅子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二六)
- 十二月十八日
息白く細しく何か諭しゐる 鈴木貞雄 先生が生徒を諄々と諭している。遠くからなので内容はわからないが、吐く息が白く、こまやかであった。
「鈴木貞雄集」
自註現代俳句シリーズ七( 二九)
- 十二月十九日
掛を乞ふ出世払いといふありて 塩崎 緑 〈出世払い〉ということで用立てたのに、大成してもなかなか返却しない。遠慮がちに掛を乞うが、うまく事が運ばないケースの方が多い。
「塩崎 緑集」
自註現代俳句シリーズ六( 一〇)
- 十二月二十日
飲み水を雨足す見つつ古暦 石川桂郎 七畳屋の軒先に置いた流し台を外厨と呼んでいたが、屋根のない雨晒しであった。蓋付きの大きな桶のそばにバケツがあって、どちらも汲置き水で満たされていた。「雨足す見つつ」は天の恵みを享ける身の、充足したひととき、そしてもう数え日であった。
「石川桂郎集」 脚註名句シリーズ一( 三)
- 十二月二十一日
レシピ付き家計簿を買ふ十二月 梅田愛子 結婚して以来毎年買っている。元婦人倶楽部の家計簿で献立を立てるのに便利である。
「梅田愛子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三九)
- 十二月二十二日冬至
- 冬至湯やとろりと掌に乗る子のふぐり
淵脇 護 私の昭和五十年の作に〈みどり子の陰嚢とろりと天瓜粉〉がある。類似句なので、収録をためらったが捨てがたかった。
「淵脇 護集」
自註現代俳句シリーズ一二( 九)
- 十二月二十三日
山門に危な危なの煤払 江口井子 昔の同僚や教え子を句仲間にして京都の歳晩を愉しむ。三千院では煤払いの最中。
「江口井子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二八)
- 十二月二十四日
煤掃いてその夜くむ酒金色に 三浦恒礼子 竿先に青笹を結い、天井や棚の煤を払う。煤を掃いたその夜くむ酒は、思いなしか金色に輝く。
「三浦恒礼子集」
自註現代俳句シリーズ四( 四七)
- 十二月二十五日
街騒を潮騒と聴き蕪村の忌 鍵和田秞子 街の方からひびくざわざわした音をきいていると、ふっと潮騒のように思えた。蕪村忌だったので、離俗の心に通うように思えたのだが。
「鍵和田秞子集」
自註現代俳句シリーズ五( 一一)
- 十二月二十六日
白黒の文芸映画年つまる 大牧 広 年末に第九が流行するように昔の文芸映画もよく放映される。成瀬巳喜男・豊田四郎・田坂具隆・五所平之助などなど。
「大牧 広集」
自註現代俳句シリーズ六( 五一)
- 十二月二十七日
鮟鱇の口が裂けても言へぬなり 安住 敦 何があったのか、よほどのことであろう。後年交詢社句会でご指導を受けることになるが、敦のシャイで温厚なお人柄からは思い及ばない激しい表現である。胸中深く秘めたまま黄泉の国へ旅立たれたのであろうか。( せつ子)
「安住 敦集」 脚註名句シリーズ一( 二三)
- 十二月二十八日
年迫る追はるゝことはいつもいつも 深見けん二 何か追い立てられるような日々の生活。これでいいのかとの反省が何時もあって、この年も暮れようとしていた。
「深見けん二集」
自註現代俳句シリーズ三( 二九)
- 十二月二十九日
エベレスト人吹き飛ばし年暮るる 岡田日郎 加藤保男散る。冬期エベレスト登頂後、憂慮が深まり、ついに絶望と報じられた。自然はおそろしく、かつ凶暴でもある。人はまことにはかない。
「岡田日郎集」
自註現代俳句シリーズ・続編一七
- 十二月三十日
浪々の身にも年内余日なし 村山古郷 すでに会社は退き、今は無為の身であるが、年が終ると思えば感慨を催す。新しく来る年に、何の期待のあるわけでもないのだが。
「村山古郷集」
自註現代俳句シリーズ三( 三六)
- 十二月三十一日
年ゆくや田毎の煙空にあひ 市村究一郎 年の暮になると、どこの田でも、放置してあったわら屑などを燃やす。
「市村究一郎集」
自註現代俳句シリーズ四( 七)