今日の一句:2023年01月
- 一月一日
初弥撒に旅の荷置きて跪く 黒田櫻の園 元日の教会はミサで混んでいた。よい日和で、祭壇のステンドグラスは、高山右近とガラシャが美しく透いていて、思わず十字をきった。
「黒田櫻の園集」
自註現代俳句シリーズ五( 一五)
- 一月二日
嵩なして男ざかりの年賀状 大島民郎 年賀状の集中攻撃には悲鳴を上げるが、しかし考えてみれば山なす年賀状の一枚一枚につながるえにしを心から有難いと思う。
「大島民郎集」
自註現代俳句シリーズ三( 七)
- 一月三日
三日はや花を出荷す海の村 畠山譲二 房州の江見から和田浦にかけては、花作りを生業とする農家が多い。所謂、生花村である。前は青青とした海。〈花菜暮れ金三日月の海に出づ〉
「畠山譲二集」
自註現代俳句シリーズ五( 四九)
- 一月四日
五羽六羽たちまち倍の初雀 鷹羽狩行 正月は人の心もゆったりして、集まっても追われることはないのを雀も知っているのか。ものの数がふえて目出度い正月気分。
「鷹羽狩行集」
自註現代俳句シリーズ・続編七
- 一月五日
お降りや手品師干支の兎出す 新倉矢風 雨の正月、テレビで過す。手品師の指先の名技に酔う。干支の兎がつづけて三匹出現。
「新倉矢風集」
自註現代俳句シリーズ六( 四〇)
- 一月六日小寒
雪国の白さにとんで初鴉 嶋田一歩 北海道神宮や動物園、そして大倉シャンツェのある円山は日本で最も鴉の多い所とか。正月の雪景色は静かで美しい。
「嶋田一歩集」
自註現代俳句シリーズ五( 三〇)
- 一月七日
死なざれば塩利きし七草粥少し 猿橋統流子 手術前はこれで終りかも知れぬと思った。病院のベッドに半身を起して七草粥を食べて命をとりとめたことを知った。
「猿橋統流子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二五)
- 一月八日
人日や存へ締むる母の帯 河府雪於 母の時代の着物は簞笥の底へ納ったままだが、この帯は厚板の丸帯といい晴着に結ぶもの。金地に図柄も近代式で身につけられる唯一の母の形見。
「河府雪於集」
自註現代俳句シリーズ六( 一八)
- 一月九日
老の口初笑ひして噤むなる 皆吉爽雨 山本健吉編の『季寄せ』に「茶の間には笑初めともなくつづく」の師の句がある。年賀の客が賑やかに談笑をつづけている情景であるが、笑い興じている瞬間、はっと口を噤んだ老の身の寂寥感を思わせる。自画像であろう。( 朝城)
「皆吉爽雨集」 脚註名句シリーズ一( 二二)
- 一月十日
どう見ても女年上初みくじ 小圷健水 初詣の境内でみくじを引いている人を見ての作。この男女、仕草からして女性が年上に見えた。よけいなお世話か。
「小圷健水集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三八)
- 一月十一日
恵方道小さき木橋にはじまれり 新田祐久 この年の恵方道には小さい木橋がかかっていた。
「新田祐久集」
自註現代俳句シリーズ五( 二四)
- 一月十二日
門松の立つ白鳥の餌付小屋 山崎羅春 白鳥の飛来地瓢湖所見。門松の立てられた餌付小屋に、この町の白鳥に寄せる思いの深さを感じた。
「山崎羅春集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一)
- 一月十三日
一筆に一願籠めし福寿草 大木さつき 新年の一筆は小学生の頃の書初のようなもの。勤めを止めて十年ほど習字に通ったが日々の仕事に追われて続かず、筆の一字一字は真剣勝負だ。
「大木さつき集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四八)
- 一月十四日
弓始無傷の空のひろがれり 比田誠子 あらたまの年を迎えて仰ぐ空はどこまでも果てしなく大きい。真っ新な空に、的を捉えた矢の音がひびく。
「比田誠子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二九)
- 一月十五日
雪の田のしんと一夜の神あそび 野澤節子 一月十五日の新野の雪祭。山から降りて来る神を案内して、子供たちの笛の列が哀愁を帯びたメロディーを流しながら、伊豆神社への雪道を行く。午前零時より庭能が始まり、朝まで続く。途中「雪でござります」という声に、祭はクライマックスとなる。
「野澤節子集」 脚註名句シリーズ二(六)
- 一月十六日
八十の媼と遊ぶ女正月 佐野美智 色白で小柄でおしゃれな彼女は、もう俳句はやめると時々わたくし達をおどしながら、月に最低五十句は作っている。
「佐野美智集」
自註現代俳句シリーズ四( 二四)
- 一月十七日
寒詣ことしの銭を洗ひけり 石田小坡 鎌倉銭洗弁天、長い洞穴の通路、線香の猛煙、たんねんに笊をゆすって小銭を洗っている妻、日照雨がさっと出口あたりを通り過ぎていった。
「石田小坡集」
自註現代俳句シリーズ六( 五二)
- 一月十八日
寒うらら税を納めて何残りし 相馬遷子 ドッヂ、シャウプというような専門家が、日本の経済・税制の変革を要求していった。国民所得は低く、税は重い時代だったから、何残りしは誇張ではない。
「相馬遷子集」
脚註名句シリーズ一( 一〇)
- 一月十九日
崖下に雪崖の上に雪椿 土屋巴浪 狐越街道所見。まだ雪が残っていた。表現の上で省略を試みた。
「土屋巴浪集」
自註現代俳句シリーズ八( 二九)
- 一月二十日大寒
大寒の夕日をはじき竹襖 荒井正隆 四季の竹に惹かれる。自転車散策のコース、寒中の竹林に射し込む夕日が、鋭くはね返っていた。
「荒井正隆集」
自註現代俳句シリーズ六( 三〇)
- 一月二十一日
牛買が村をめぐりてどつと雪 小笠原和男 ほんの少し前までの、しわがれた糶声と符牒の指の出入がなつかしい。今の電子掲示板では「どっと雪」と云っても少々不釣合か。
「小笠原和男集」
自註現代俳句シリーズ六( 二六)
- 一月二十二日
散りてなほくれなゐ匂ふ寒牡丹 田島和生 奈良の二上山東麓の石光寺は、寒牡丹で有名。
「田島和生集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四〇)
- 一月二十三日
豪雪の雪の匂ひに囲まるる 藤木倶子 太平洋岸である八戸は、雪が少ない方だが、それでも、年に数回は、一夜に四、五十センチも積ることがある。
「藤木倶子集」
自註現代俳句シリーズ八( 二一)
- 一月二十四日
雪だけを見て雪を搔く雪明り 小原啄葉 朝からの雪搔き。昼も搔き、雪明かりの中で夜も掻く。一日中ただ雪だけを見て、単調な作業を幾日も幾日も繰り返す。
「小原啄葉集」
自註現代俳句シリーズ・続編一九
- 一月二十五日
化野や雪に溺れて石小法師 多田薙石 化野念仏寺。あそこに雪が一杯降ったらどうなるのか? 行って見た。溺れる人間のかなしみを見た。
「多田薙石集」
自註現代俳句シリーズ六( 一五)
- 一月二十六日
寒月光いつか一人となるこの家 古賀まり子 雨戸のない部屋に月光が一杯さし込んでいる。ふと目が覚めた時の不安。
「古賀まり子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二二)
- 一月二十七日
熊笹を芯に氷柱の太りゐし 藤本安騎生 自然の造化はいたる所にあり、心を打つ。計算されていない造化は妙である。
「藤本安騎生集」
自註現代俳句シリーズ八( 一六)
- 一月二十八日
寒卵の内に楽あり割れば止む 岡部六弥太 薄桃色の、寒に緊った卵の肌。何となしにその内に音楽を感じる時がある。黄味の鼓動かもしれぬ。そんな思いで句が生れた。
「岡部六弥太集」
自註現代俳句シリーズ四( 一五)
- 一月二十九日
奥能登は海鳴り高し冬木の芽 藤島咲子 能登半島の最北端、禄剛埼灯台へ。同時詠〈どの幹も傾ぐ岬のやぶ椿〉。ランプの宿泊り。
「藤島咲子集」
自註現代俳句シリーズ一三( 一四)
- 一月三十日
臘梅の光沢といふ硬さかな 山上樹実雄 厳冬に咲く臘梅の一つでも見つけると心がひらく。しとやかな上質の香りと黄色いあの光沢は冷気が作り出したもの。
「山上樹実雄集」
自註現代俳句シリーズ五( 五五)
- 一月三十一日
寒中の芽にして朴は天を指す 能村研三 いさぎよく一葉も残さず散った朴の木は、寒中にもかかわらず、枝の先に芽を出した。長い紡錘形の頂芽は天を指し切り立っていた。
能村研三 令和三年作