今日の一句:2023年02月

二月一日
うすらくろ水面すいめんよりがす岡本 眸

夫と二人、武蔵境に加倉井先生を訪ねた折、近くの林中でつくる。さっぱりしているところが自分としては気に入っている。

「岡本 眸集」
自註現代俳句シリーズ二( 一〇)

二月二日
うめいて四五戸しごことびとびかく耶蘇やそ下村非文

江戸時代山深く処々に隠れ住んでいた耶蘇の里にも、今では厳しい冬が終って暖かい春となり、山畑に梅が美しく咲いて匂っている。

「下村非文集」
自註現代俳句シリーズ三( 一八)

二月三日
かみやさし片栗かたくりはなきりこぼし鳥羽とほる

妖精の踊のような片栗の花、淡い花びらに濃い紫の雄蕊。千代紙でそれを刻んでゆく長女の切絵の時間。

「鳥羽とほる集」
自註現代俳句シリーズ三( 二三)

二月四日立春
だい大阪おおさかはるたりけり森田純一郎

大阪なんばの府立体育館で行われる春場所前日、呼び出しが太鼓を打ちながら町に触れて歩く。この音を聞くと関西人は春が来たと思うのである。

森田純一郎 句集「旅懐」所収

二月五日
おお阿蘇あそ第一番だいいちばん野火のびはな稲富義明

野焼師の一人が阿蘇谷へ深く下りて行ったかと思うと、突如火の手が上がった。大阿蘇に第一番の野火を放ったのだ。

「稲富義明集」
自註現代俳句シリーズ九( 一一)

二月六日
けものみち野火のびはしりけり縣 恒則

平戸市川内峠の野焼き。毎年二月第一日曜日に行われる。遠くは対馬、壱岐、五島列島も見える高台。多くの見物者が訪れる。

「縣 恒則集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一四)

二月七日
梅月うめづくにゅういんねんふも河野邦子

入院記念日と言っても自分だけのもの。その前後を思い出すのみ。梅の花と月。わが家の裏庭も捨てたものではない。

「河野邦子集」
自註現代俳句シリーズ九( 三二)

二月八日
とも二忌じきぎてはくちょうかえるなり板津 堯

友二先生の故郷に近い瓢湖には、毎年五千羽もの白鳥が来るが、三月に入るとシベリアへ帰ってゆく。

「板津 堯集」
自註現代俳句シリーズ八( 四〇)

二月九日
山陰線さんいんせんじょうえきこそかんかな草間時彦

「京都」と前書のある句である。現在は新しい駅舎になっているが、この句が詠まれた頃の二条駅は入母屋造で、棟には鴟尾のある木造の建物であった。冬は底冷えのする駅だったから、余寒の頃の「二条駅こそ」の強調表現が生きてくる。(茨木和生)

 
「草間時彦集」 脚註名句シリーズ二( 一)

二月十日
みごもりのうしうるむふきとう関口恭代

産み月となった牛は腹部の重さに動作も鈍く、鼻先を馴でるとうれしそうにやさしい。数少なく飼われた生家の牛は家族の誰からも愛されていた。

「関口恭代集」
自註現代俳句シリーズ一一( 九)

二月十一日
早飯はやめしおさへてゐたりうめぜん田中貞雄

鎌倉光明寺の精進料理をいただく。日頃の早食いを意識しながら、ゆっくり食した。〈薄味の性に合はねど暖かし〉も同時作。

「田中貞雄集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五四)

二月十二日
梅一うめいち分子ぶこかれふはじめかな成田清子

どういう訳か長女が大学生時代はボーイフレンドが多かった。珍しく長続きした彼を家に連れてきた時のこと。結局今は他人である。

「成田清子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四)

二月十三日
うめをすぎうめぎくるひとにあふ赤松蕙子

雪解三百号東京大会。井の頭公園自然文化園で、あちらからうらうらと来る吉岡恵信さんと、のどかにすれ違う。白梅の林をバックにである。

「赤松蕙子集」
自註現代俳句シリーズ三( 一)

二月十四日
バレンタインデー巴衣パイかわほどあいんで
鈴木栄子

昔、友達がYWCAのクッキング教室が、パイの作り方が最高というので通っていた。その友人はいま八王子に黒江産婦人科という大病院を経営。

「鈴木栄子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二八)

二月十五日
きさらぎやみがぼそりのぞうばし檜 紀代

学校の宿題は父にやってもらっていた。父は達筆で、私の字とは明らかに違う。しかし先生から一度も注意されなかった。その父の象牙箸。

「檜 紀代集」
自註現代俳句シリーズ五( 二五)

二月十六日
白梅はくばいかげてをり西さいぎょう佐藤麻績

白梅には小枝が多い、光と影が複雑に交錯する。それよりも白梅そのものを影のみと思った。

「佐藤麻績集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二五)

二月十七日
沼鞣ぬまなめかぜかもゆききゅう加藤憲曠

鞣皮のようにおだやかな沼。わずかな風に乗ったのか、鴨がゆっくりと泳ぎ始めた。雪解けが急に激しくなったらしい。

「加藤憲曠集」
自註現代俳句シリーズ六( 一七)

二月十八日
きつねとんがたぬきまろ福永法弘

父は霊感鋭く、妖異や怪火をよく見ると言っていたが、私は一度もない。もし見えたら、狐火や狸火はこんな感じだろうか。今日が父の命日。

福永法弘  句集『遊行』所収

二月十九日雨水
その中犀なかさいしたる受験生じゅけんせい坂本宮尾

浪人中の息子の勉強部屋の後ろ姿。黙考していたのか、眠っていたのか。声を掛けずに戸を閉めた。イヨネスコの前衛劇『犀』をすぐに連想した。

「坂本宮尾集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四六)

二月二十日
実朝さねともうし不機ふき嫌通げんとおりける斎藤 玄

実朝忌というと、必ず石塚友二氏と牛が思い浮かぶ。友二氏は鎌倉に住んでいる故か、牛は当時の乗物だった故か。

「斎藤 玄集」
自註現代俳句シリーズ二( 一六)

二月二十一日
吹嶽殘雪天ぶきだけざんせつてんはな山口誓子

伊勢から北方に伊吹嶽が見えた。冬になると全山真白だったが、春になると裾から消えはじめ、頂上の雪が最後まで残っていた。その雪も消えた。残雪が昇天したのだ。

「山口誓子集」
自註現代俳句シリーズ一( 二八)

二月二十二日
はまごうのむちげたるゆきかな加藤三七子

紫の花をつけるハマゴウが、芽ごしらえをして雪の消えた砂丘に鞭のようにはねていた。弘法麦、浜昼顔と雪の下に春を待つ砂丘であった。

「加藤三七子集」
自註現代俳句シリーズ三( 一〇)

二月二十三日
ことわりのへんすぐがつかな片山由美子

原稿依頼や何かの招待など、可能な限り「諾」や「出席」ですぐに返信するが、受け取る立場では、即刻断りの返事がくると何か違和感がある。

片山由美子 『水精』所収

二月二十四日
再会さいかいほおほぐれかけてをり南うみを

ふとしたことで疎遠になった友人に、久しぶりに会った。木々の芽吹きを見遣りながら、わだかまりが少し解けてゆくのを感じた。

「南うみを集」
自註現代俳句シリーズ一二( 五)

二月二十五日
さくなるひとがつはたごと能村登四郎

人間表現の手段として己を深く凝視された師。師はもちろん多作であるが己を客観視してある日のご自身を詠まれた作品と思う。二月の苛酷な農作業は耐える事、意地をもつ事―それらを作句の信条とされていた師の俤を彷彿させる。( 渕上千津)

 
「能村登四郎集」 脚註名句シリーズ二( 五)

二月二十六日
すべすべの種薯たねいもりてはいはす石飛如翠

馬鈴薯を植える時期になった。農協の世話で北海道産のものである。大きいのは二つに切り、切口に灰をつけて植える。

「石飛如翠集」
自註現代俳句シリーズ八( 一七)

二月二十七日
うぐいすゆきたかきへ退しりぞきて鷹羽狩行

「春告鳥」といわれる鶯が鳴くので春がくる。その唄声につられて雪解けは麓から高山へ登ってゆく。

「鷹羽狩行集」
自註現代俳句シリーズ一( 二)

二月二十八日
君語きみかたひとにゐて月尽がつじん小野恵美子

耕二の第二句集『踏歌』が俳人協会新人賞に決った。受賞式後のパーティで。

「小野恵美子集」
自註現代俳句シリーズ八( 一九)