今日の一句:2023年03月
- 三月一日
田鶴の引く気配に敏く村人ら 村上杏史 八代で越冬した鶴は、三月初旬には朝鮮半島を経て北地へ帰って行く。天候を予感して発つようであるがその気配は見守っている村人らにも伝わる。
「村上杏史集」
自註現代俳句シリーズ五( 二七)
- 三月二日
山椒の芽母に煮物の季節来る 古賀まり子 母の煮物は色が美しい。煮物の得意な母は野菜の豊富な季節が来ると、生き生きした。
「古賀まり子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二二)
- 三月三日
男の雛の姿勢くづさず波の間に 浅野 正 三月三日。紀州・加太、淡島神社の雛流し神事。女雛男雛が波間に消えて行く。なぜか源平の戦を思い出していた。
「浅野 正集」
自註現代俳句シリーズ六( 二一)
- 三月四日
望郷と言ふ北の宿鳥雲に 飯塚田鶴子 車で走り去る途中に「望郷」というささやかな旅の宿があった。北の果に来て見る望郷の二字は万感胸に。仰げば鳥は雲に。
「飯塚田鶴子集」
自註現代俳句シリーズ七( 一〇)
- 三月五日
あとかたもなき紅や雛納め 岡田貞峰 雛を納めたあとの索漠たる感じ。桃の花・菱餅のうす緑、雛壇の紅は、今の世に残る貴重な色の調和であろう。
「岡田貞峰集」
自註現代俳句シリーズ四( 一四)
- 三月六日啓蟄
足もとの湿らふ雛送りかな 小林輝子 小さな桟俵にのせられた紙の夫婦雛を流れにのせるのに夢中になり水辺に近づきすぎてしまった。
「小林輝子集」
自註現代俳句シリーズ九( 二二)
- 三月七日
芽柳や肩怒らせて待つ男 貞弘 衛 待たされている男のいらだち。風に靡く芽柳。肩を怒らす世代の男は、もう貴重な存在かも知れなかったが......。街頭所見。
「貞弘 衛集」
自註現代俳句シリーズ三( 一五)
- 三月八日
風紋のたわむ限りを雁帰る 鍵和田秞子 浜名湖周辺を「未来図」の仲間と吟行した折の句。〈鳥帰る砂丘の夕日膨れきり〉の句もある。砂丘の拡がり、海、大空、帰る鳥。大景はいい。
「鍵和田秞子集」
自註現代俳句シリーズ・続編二一
- 三月九日
どの顔も風を楽しむ苗木市 源 鬼彦 札幌駅前のデパートの苗木市を散策。苗木を買い求めるというよりも、春の風の快さを楽しむという風情の人々で賑わう。北国にも春が。
「源 鬼彦集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四四)
- 三月十日
惜別の一幹叩き卒業す 醍醐育宏 いつも休み時間に、触れて親しんだ樹木の幹を叩いた。その音は根や梢の末まで、コーンと響いたように思えた。この校庭とも今日限りなのだ。
「醍醐育宏集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 一九)
- 三月十一日
紫雲英田を懐しみつつ來し吾ぞ 相生垣瓜人 此処迄は万葉人の真似が出来ても「一夜寝にける」は真似られない。現代人の不幸と言うべきである。止むを得ない。騒々しい町へ帰るのである。
「相生垣瓜人集」
自註現代俳句シリーズ一( 一九)
- 三月十二日
水取の火のかたまりが落ちにけり 立石萠木 籠松明が火滝となり火車となって降りかかる。その中に、火のかたまりが落ちて来た。
「立石萠木集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四八)
- 三月十三日
ぜんまいの綿ほぐれたる清水かな 石井桐陰 幻住庵の址は、まさしく今は幻のごとくであるが苔清水は、どこかと探すと、谷の方にあった。ぜんまいのたけたのがあって、水に映っていた。
「石井桐陰集」
自註現代俳句シリーズ四( 六)
- 三月十四日
主病む千の椿を雨に委し 及川 貞 石田波郷氏庭内に名ある椿が満ちている。椿まつりの計画立てて楽しみだったのに俄かに清瀬へまた入院、惜しむか雨さえ降りしきって。
「及川 貞集」
自註現代俳句シリーズ二( 七)
- 三月十五日
未だ解けぬ時給八百円の頃の雪 今井 聖 季語は脇役でいいとずっと言って来た。主役にすると本意という類型が大手を振って歩き出す。
新作 作句年(令和五年)
- 三月十六日
柳芽吹く毛の国原は海なき国 福原十王 毛の国は古名。上野下野に分かれ、関東平野の北縁、みちのくに境する。奥羽山脈の東斜面は緩やかな関東ローム層を形成して、武蔵常陸に至る。
「福原十王集」
自註現代俳句シリーズ四( 四二)
- 三月十七日
鵜の岩の小さな鳥居あたたかし 成田智世子 小さな岩の小さな赤い鳥居。往きに戻りに見て、心和むものの一つ。
「成田智世子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三〇)
- 三月十八日
鐘が鳴り踏切が鳴り彼岸寺 榑沼清子 世田谷線宮坂駅のそばに菩提寺はある。供華を抱えて踏切に立ち、二両電車の過ぎるのを待つことも。
「榑沼清子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三七)
- 三月十九日
はこべらや焦土のいろの雀ども 石田波郷 「はこべら」は「はこべ」のこと。ことごとく焼け亡んだ焦土に萌え出たはこべの緑と、それをついばむ焦土と同色の雀ども、それらに心を和ませながら愛憐の情を通わせている。この句は昭和三十四年砂町妙久寺境内に句碑となって建立された。
「石田波郷集」 脚註名句シリーズ一( 四)
- 三月二十日
三宝の経巻古りし御開帳 江口竹亭 若宮の山麓の長谷観音は近隣の参詣者も多く殊に花の頃ともなれば遊山者に賑う。観世像の前の三宝には年古りた経巻も供えてある。
「江口竹亭集」
自註現代俳句シリーズ三( 六)
- 三月二十一日春分
マーケツト店内深く春の泥 大津希水 雨の日はゴム長をはいて町へ出る。裸電球の薄暗いマーケットの中は雑然と店が並べられ、店内深く春泥に汚れたままである。戦後の未復興を想う。
「大津希水集」
自註現代俳句シリーズ四( 一三)
- 三月二十二日
機窓今霾にうすれし永定河 西山小鼓子 日航機は上海の上から北上し山東半島のつけねから黄河の河口辺りへ廻り西北に向きをかえて北京へ向った。眼下に永定河が黄色くかすんで見えた。
「西山小鼓子集」
自註現代俳句シリーズ五( 三二)
- 三月二十三日
虚空にて雲雀の羽根は四つに見ゆ 有働 亨 人の作っていない雲雀の句を作ろうと心に決めて郊外へ行き、苦心惨胆やっとこの一句を得た。相馬遷子氏が「やんちゃな句」と評して下さった。
「有働 亨集」
自註現代俳句シリーズ四( 一二)
- 三月二十四日
俳諧の国の椿と仰ぎたり 竹腰八柏 四国松山は俳句のメッカである。子規記念館を訪ね、高浜家と池内家の墓にもお参りした。椿が咲いていた。その後足摺岬へ廻った。
「竹腰八柏集」
自註現代俳句シリーズ五( 二〇)
- 三月二十五日
黄塵の夢幻世界も朝のうち 米谷静二 年に一度か二度、黄砂が降る。おだやかな春の日、それは火山灰のような荒々しさがなく、人を夢まぼろしの世界に誘ってくれる。とくに朝が良い。
「米谷静二集」
自註現代俳句シリーズ五( 二九)
- 三月二十六日
松枯るるほどは枯れけり春の山 光木正之 建築材として重視され、植林もされた松は、松食虫被害が拡大。山には枯松が白くなって林立するばかり。
「光木正之集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二三)
- 三月二十七日
山独活の汁に浮かべり父の顔 瀧澤伊代次 独活の好きな私を知っている父は、毎年山独活を送ってきてくれる。
「瀧澤伊代次集」
自註現代俳句シリーズ三( 二〇)
- 三月二十八日
啄木の泣きけん丘や青き踏む 阿部慧月 「やはらかに柳あをめる」の歌碑の丘は、啄木が青春の泪を流したところに違いない。その丘の青きをふみながら私はそう考えた。
「阿部慧月集」
自註現代俳句シリーズ四( 二)
- 三月二十九日
桃の盆地一日雨を流しけり 松村蒼石 桃の花の色のやわらかさ美しさ。甲斐盆地に溢れるこの花を見そめて久しい、盆地一ぱいの花が流れる程の雨の爽かさが欲しいとさえ思う。
「松村蒼石集」
自註現代俳句シリーズ二( 三七)
- 三月三十日
雉子ゐて朝の畦の膨らみぬ 佐怒賀直美 我家の南側と西側には田圃が広がっている。その西側の畦に、ある朝突如、立派な雄の「雉子」が出現した。鋭い鳴声が響いていた。
佐怒賀直美 「橘」五三四号
- 三月三十一日
一塊の雪あり軍鶏は戦ひへ 西山 睦 都会の片隅に軍鶏好きの男たちが居た。一羽は指輪の宝石ほどに高価。先日訪れると、コンテナ置場と化し、荒れ果てている。コロナ後の姿だ。
西山 睦 句集『火珠』