今日の一句:2023年04月
- 四月一日
桜貝手に巻貝はポケツトに 橋本美代子 浜を歩けば桜貝がすぐに見つかる佳き時代。小学生の頃は貝の標本を宝にしていた。桜貝は大切に、巻貝は凡々として気楽。第二句集名とする。
「橋本美代子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六四)
- 四月二日
走り根に展べてふくらむ花筵 畠山譲二 隅田川堤。会社の花見であろう。若い社員が早くから来ての陣取りである。あちらこちら縄を張って会社名が貼られてある。花より団子か。
「畠山譲二集」
自註現代俳句シリーズ五( 四九)
- 四月三日
卓上に家庭医学書花の冷え 梅田愛子 食卓で仕事をするのが好きである。新聞をよんだり日記を書いたりする。しまい忘れの家庭医学書も置いてあった。
「梅田愛子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三九)
- 四月四日
花筏水に遅れて曲りけり ながさく清江 じっと見たままを、そのまま呟いただけの掲句が『月しろ』三百四十句の中での一番人気だったことに驚き、素心の大事さを学んだ。
「ながさく清江集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六〇)
- 四月五日清明
寮泊りして夜桜を独占す 栗田やすし 夜も更けてから誰もいない校庭に出て、たった一人の贅沢な花見。
「栗田やすし集」
自註現代俳句シリーズ九( 一四)
- 四月六日
助手席にゐるだけのこと花吹雪 宮崎すみ 桜の吹くある日、二人で花見に行く。二人共黙っている。見るともなしに花に吹かれながら。
「宮崎すみ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四)
- 四月七日
花時の赤子の爪を切りにけり 藤本美和子 二〇〇七年三月に生れた初孫。生後間もない赤子の爪はまるで桜の花びらのようだ。恐る恐るその爪を切らせてもらった。
藤本美和子 句集『天空』所収
- 四月八日
母在るかぎり娘と呼ばれ花祭 佐藤信子 母は私を呼ぶとき「お母さん」と言う。人は母に私のことを「娘さん」と言う。六十歳をとうに過ぎた私でも娘は娘である。
「佐藤信子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三三)
- 四月九日
指先に真如をむすぶ甘茶佛 伊藤敬子 参道に甘茶仏がしつらえられていた。香水の杓を傾けると天上天下の天下の指先に香水の玉。その玉は真如を結ぶと即重力に耐えかねて落下した。
「伊藤敬子集」
自註現代俳句シリーズ・続編二六
- 四月十日
入学の子ととる銀のフオークなど 浦野芳南 子どもが大学にはいった。入学式に出席した後、二人で街に出て食事をした。ささやかな奢りが、フォークもスプーンも銀に見せてくれた。
「浦野芳南集」
自註現代俳句シリーズ三( 五)
- 四月十一日
久に会ふ君が霜髪さくら餅 塩崎 緑 久しぶりに会った人と久濶を叙しながらイメージに浮び上った一句。その〈霜髪〉に相会うことのなかった歳月の長さをしみじみと感じた。
「塩崎 緑集」
自註現代俳句シリーズ六( 一〇)
- 四月十二日
息深くせり山葵田を前にして 大坂晴風 安曇野の流れに山葵田が続く。青一色の景である。葉の影に見えるわずかな水の流れ、全て吸い込まれるようである。息深く吸い山葵田の前にいる。
「大坂晴風集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五五)
- 四月十三日
わが窓のこれより梨の花月夜 樋笠 文 二階の出窓のそばに、隣家の梨の木がそびえていた。この花を借用して、随分たくさん句を詠ませてもらった。
「樋笠 文集」
自註現代俳句シリーズ四( 四〇)
- 四月十四日
春愁や暗きにおはし阿弥陀仏 桜井青路 日向薬師吟行。日向薬師は関東三薬師の一つと言われ、人々に親しまれている。仏様は余り明るいところより暗い方がありがた味が濃いのだろうか。
「桜井青路集」
自註現代俳句シリーズ八( 三二)
- 四月十五日
花りんご父のバリカン髪を喰ふ 桜庭梵子 父のバリカンは少々乱暴である。りんごの花の匂う庭先で髪を喰うバリカンは虎刈になってしまう。「気をつけてよ」と叫ぶ子もいた。
「桜庭梵子集」
自註現代俳句シリーズ八( 三五)
- 四月十六日
葉桜の京に来てをり康成忌 長棟光山子 四月十七日、「鶴」同人会総会俳句会に出席。前泊の十六日が康成忌。真言宗の総本山仁和寺の遅桜が見頃であった。
「長棟光山子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五二)
- 四月十七日
藤咲きて風にいろある越のくに 井桁白陶 高岡の藤波神社で詠んだ。大蛇のような古木だが濃い色の花房であった。風が来ては色をさらって行く。しばらくは色ある風となった。
「井桁白陶集」
自註現代俳句シリーズ六( 三六)
- 四月十八日
春燈となりしあかりの列車着く 秋澤 猛 羽越線の下り列車が酒田駅に着いた。車窓のどれも明るく灯っていた。北国にもとうとう春がやって来たと思った。
「秋澤 猛集」
自註現代俳句シリーズ五( 一)
- 四月十九日
菜の花や一文字てふ渡し舟 木田千女 淡路島の港には、「一文字」という屋号の旗を立てた小さな渡し船が泊っていた。
「木田千女集」
自註現代俳句シリーズ七( 二七)
- 四月二十日穀雨
病人の耳滓春の塵として 嶋田麻紀 また来週来るからと言って別れた後も、その間にもしものことがあれば、という気持に。麻風夫人は手を握ってなかなか放さなかった。
「嶋田麻紀集」
自註現代俳句シリーズ八( 六)
- 四月二十一日
ふつくらと鼻の先より朝寝覚め 伊藤トキノ 「朝寝というと、だらしない感じで好きになれなかったが、この句を見て朝寝の良さがわかったような気がする」と句評に書いてくれた人がいた。
「伊藤トキノ集」
自註現代俳句シリーズ七( 二三)
- 四月二十二日
繊きあり春月として育つべく 山本歩禪 何と無く春の気配が感じられる。夜空に残る青さにも、又漂う闇の柔かさにも。空に懸っている細い三日月はやがて大きな円い春月となろう。
「山本歩禪集」
自註現代俳句シリーズ五( 五六)
- 四月二十三日
海士十鮑採りて為成せし鹿尾菜かな 右城暮石 海士であり、俳句も作っていた和歌山県新宮市三輪崎の田本十郎の俳号が十鮑、十尋も素潜りして鮑を漁る海士だと誇っての俳号だった。その十鮑が、「暮石先生に食べてもらおと、俺の採りやる鹿尾菜が一番よ」と、天日に干して仕上げていた。( 茨木和生)
「右城暮石集」 脚註名句シリーズ二( 八)
- 四月二十四日
しわしわと烏のとべる春の潮 門脇白風 特に意味のある句ではない。しわしわと烏のとぶその下の潮はしっとりとして春の潮らしいと感じたまでのことである。理屈のないところに句あり。
「門脇白風集」
自註現代俳句シリーズ五(三八)
- 四月二十五日
梨の花とんで母屋の塵となる 平畑静塔 患者宅へ往診の折の作。大農家の庭先には広い梨畑があり、白い花のまっ盛り。風が吹くと軒先の長廊下に腰を下ろし、患者の母の話を聞く作者に突当たり、その長廊下に吹き溜っていった。(里川水章)
「平畑静塔集」 脚註名句シリーズ二( 三)
- 四月二十六日
茶覆の出入り宇治川堤より 大竹きみ江 宇治橋に立って足もとの奔流を眺めるのが好きだ。土堤を川下にくると簀を伏せた茶畑である。籠を背負った人について私も茶畑にはいった。
「大竹きみ江集」
自註現代俳句シリーズ三( 八)
- 四月二十七日
本堂の裏より梯子鳥曇 志村さゝを 第四十五番・岩屋寺。険しい参道が長い。岩山が今にも崩れそうな本堂。堂裏からは梯子で詣るとか。梯子の下で「家内安全」を念じた。曇天だ。
「志村さゝを集」
自註現代俳句シリーズ七( 八)
- 四月二十八日
馬刺屋は千住の外春の暮 早川とも子 千住に絵馬を作る娘の店があると聞き探してあるく。探しあぐねて歩を止めると馬刺屋の前だった。
「早川とも子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三四)
- 四月二十九日
たんぽぽの絮は吹くより蹴つとばせ 西村和子 吟行の折、仲間が蹴っとばしたところ、絢爛豪華に飛び散った。吹き飛ばすより遥かに新鮮な光景だった。是非お試しあれ!
西村和子 句集『我が桜』より
- 四月三十日
浅草に雨が来さうな荷風の忌 淵脇 護 ボストンバッグに現金の束を詰め、浅草を徘徊した荷風の耽美享楽の世界に興味を持っていた。上京時、一人で浅草寺や仲見世街をゆっくり巡った。
「淵脇 護集」
自註現代俳句シリーズ一二( 九)