今日の一句:2023年05月
- 五月一日
荒城の崖にしみゐて藤の雨 鈴木厚子 滝廉太郎「荒城の月」で有名な竹田市の旧岡城。徹先生のお供をして吟行したのも、これがさいごとなった。
「鈴木厚子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五三)
- 五月二日
あかつきの矢車にはや今日の風 山口 速 矢車は光に敏感だ。早暁の光をもうとらえて元気に廻り始めている。男の節句にふさわしい早起きの元気のいい矢車。
「山口 速集」
自註現代俳句シリーズ六( 一六)
- 五月三日
聖五月ノックするかに母の杖 石山ヨシエ 五月三日が誕生日の母をフラワーパークへ誘った。晴れ渡った空に軽やかに響く杖の音。好きな花を堪能した母の笑顔が嬉しかった。
「石山ヨシエ集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三七)
- 五月四日
鯉幟揚げて十津川沿ひとなる 森田 峠 十津川は明治二十二年に大氾濫を起こし、数百戸が北海道に移住し、新十津川村を開いた。水量のわりに極端に広い河原はその大水害の名残だというが、そこに揚げられる鯉幟はさぞや見事なものだろうと想像できる。固有名詞を使った句は珍しい。(森田純一郎)
「森田 峠集」 脚註名句シリーズ二( 一一)
- 五月五日
平積みの文庫てらてら夏来る 佐藤麻績 最近は文庫本になるのが早いのか、多くの文庫本が平積みになっている。
「佐藤麻績集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二五)
- 五月六日立夏
学生劇隙間立夏の山のぞき 坂口匤夫 講堂を借りての学生劇。右側のドアの隙間から広々とした校庭と、その彼方に丹沢の山々が見えていた。
「坂口匤夫集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四五)
- 五月七日
櫛買うて何の記念日余花の雨 河野邦子 最近になって「今日は〇〇の日」が増えた。一人になると記念日が少なくなる。何かを買う時にそう思う。
「河野邦子集」
自註現代俳句シリーズ九( 三二)
- 五月八日
濃き緑しだれて真間の桜かな 角川照子 同日、風生先生の「まさをなる」の句碑に寄る。枝垂桜は淡い緑の糸を垂れて、雨滴をより美しいものとしていた。
「角川照子集」
自註現代俳句シリーズ五( 一三)
- 五月九日
葉桜やわが裡に棲む蝦夷と江戸 櫂未知子 父は東京・神田の出身でせっかち、几帳面。そして母は北海道・留萌の出身で大らか、ずぼら。その相反する性が私の中で共存している。
櫂 未知子 『カムイ』『櫂未知子集』
- 五月十日
桐の花日暮と知つて咲いてをり 大串 章 桐の花を見ると古い詩集を思い出す。詩というものを初めて読んだのはいつの頃であったろう。
「大串 章集」
自註現代俳句シリーズ五( 七)
- 五月十一日
愛鳥日鴉に屋根の一部貸す 髙崎トミ子 雀、鴉、鳩など代わるがわる屋根に止まっては飛びたつ。いつものことだから気が付くことも、気になることもないのであるが偶然愛鳥日であった。
「髙崎トミ子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三一)
- 五月十二日
常山の急須諾ひ新茶汲む 加古宗也 常滑の陶工・三代常山は急須造りの名人。人間国宝だった。常山作の急須はその造形が美しいだけでなく、茶がおいしくなるのだ。
「加古宗也集」
自註現代俳句シリーズ一二( 四二)
- 五月十三日
聖壁を毀ち麦秋の空濁す 下村ひろし 浦上天主堂址の存置に就ては、久しく紛糾を重ねていたが、信者側が再建をつよく希望したため遂に撤去に決った。
「下村ひろし集」
自註現代俳句シリーズ三( 一七)
- 五月十四日
母の日の早発ち夫に送らるる 佐藤俊子 吟行会には、いつも心よく送り出してくれた夫だった。玄関までである。
「佐藤俊子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四六)
- 五月十五日
母の日を映画に泣いて妻かへる 那須乙郎 まだテレビの発達していない時代で、映画がたのしみの一つ。学校では五月第二土曜日がこれに当てられ「母の日」の礼拝をもった。
「那須乙郎集」
自註現代俳句シリーズ四( 三五)
- 五月十六日
縄文の空あり風あり薄暑あり 泉 紫像 俳人協会石川県支部の総会吟行会で宇ノ気町の貝塚へ行った。標柱が一本あるだけだった。
「泉 紫像集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二)
- 五月十七日
豆飯を食ふに五郎八茶碗かな 杉森与志生 五郎八茶碗はひとまわり大きな陶の飯茶碗。五郎八とはこの茶碗を創案した職人の名だという。
「杉森与志生集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一九)
- 五月十八日
泰山木の花や浮雲ところ得て 三上程子 かおりの高い大きな花だが、空に向いていて下からは気づきにくい。浮雲は居場所をみつけたかのように動きを留めた。
「三上程子集」
自註現代俳句シリーズ一三( 一六)
- 五月十九日
祭髪たかだか結ひて女系継ぐ 伊藤京子 三社祭が近くなると、浅草っ子は気が昂ってくるという。女系三代つづいた酒店の女主人は、長い髪をきりりと結い上げていた。
「三上程子集」
自註現代俳句シリーズ一三( 一六)
- 五月二十日
外し置く眼鏡に充ちて新樹光 藤本安騎生 先生は「俳句は生活記録」も大切なことと教えられた。眼鏡を借りて、新樹の陽光の中に生かされている幸せを記録したかった。
「藤本安騎生集」
自註現代俳句シリーズ八( 一六)
- 五月二十一日小満
蘇鉄の実落ちて五月の水の空 阿部誠文 船が八丈島につくと、その人と別れた。ある古い家で、蘇鉄の実が水溜まりに落ちた。結ばれた実も落ち、水もからびる、そのはかなさがあった。
「阿部誠文集」
自註現代俳句シリーズ八( 一五)
- 五月二十二日
朴の花ひとり没日を見てをりぬ 川口 襄 平泉・中尊寺から高館に登り義経堂を拝す。時あたかも山の端に日が沈みゆく。帰りの石段を降りた辺りに大輪の朴の花が咲いていた。
「川口 襄集」
自註現代俳句シリーズ一二(一 九)
- 五月二十三日
この町や散り山桜初鰹 京極杜藻 我が住む芝神谷町仙石山、車がやっとすれ違う幅の緩い坂道だが、片側は山桜の並木、落花が家までも舞込んで来る頃は、初鰹が食膳に上る季節。
「京極杜藻集」
自註現代俳句シリーズ三( 一二)
- 五月二十四日
海鳥の無傷のむくろ卯浪寄す 伊藤秀雄 北方へ帰りそびれたのか、力尽きたのか、無傷の鳥のむくろに哀れみを感じる。
「伊藤秀雄集」
自註現代俳句シリーズ一三( 一)
- 五月二十五日
省庁の椅子やはらかき五月かな 影島智子 静岡県日中友好協会の会長他十八名。それぞれの分野の方々との団体である。私も、俳人として参加せよとの事。めったにない事と思い参加。
「影島智子集」
脚註名句シリーズ一〇( 三六)
- 五月二十六日
牡丹と別の日向を耕して 立半青紹 寒牡丹も、長谷寺の牡丹も、私にはどうしても正面から牡丹が詠めない。牡丹から離れて、やっと牡丹の一句が出来た。
「立半青紹集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 四七)
- 五月二十七日
夜に入りて河匂ひ来る卯月かな 鈴木真砂女 昭和三十三年暮れに入居した晴海の公団住宅から勝鬨橋を渡り「卯波」へ通っていた。当時の隅田川は上流の開発により水質汚染が甚だしく夏などは川風のにおいがひどかった。その後、下水処理施設が整い、現在は真夏でも夜風がにおうことはない。( 青児)
「鈴木真砂女集」 脚註名句シリーズ二( 四)
- 五月二十八日
摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽狩行 ニュー・ヨーク、エムパイヤ・ステート・ビルにて。日本料理の色彩配合の美しさを、はるばるアメリカにきて想い出す。
「鷹羽狩行集」
自註現代俳句シリーズ一( 二)
- 五月二十九日
草擦つてゆく山の子に祭来る 山上樹実雄 片腕を斜にひらき草の葉先を擦って歩く子に出会った。少年時代の私の姿が重なる。山にもやがて祭が来る。
「山上樹実雄集」
自註現代俳句シリーズ五( 五五)
- 五月三十日
黄菖蒲や寺荒るるともなく昏し 古賀雪江 不退寺は、業平の寺として知られる。寺は荒れているのではないが、手入の様子もない。黄菖蒲が咲いて牛蛙が啼いていた。
「古賀雪江集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一三)
- 五月三十一日
かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子 青少年海外派遣の通訳ボランティアに15年ほど携わり、各国語に挑戦したところ、日本語は本当に舌を動かさない言語だと実感しました。
角谷昌子 角川『俳句』2019年7月号