今日の一句:2023年06月
- 六月一日
富士とざす雲の洩れ日や花岩菲 澤田早苗 忍野八海。富士山の伏流水が各所に湧出、澄んだ水に金魚藻が育っていたり小魚がちらちらと見える。なか印象的霧にぬれた花岩菲も又佳。
「澤田早苗集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 一八)
- 六月二日
どくだみのどくだみらしき匂ひかな 早川とも子 人間も好き嫌いがいあるように植物にも同じ好き嫌いがある。どくだみも嫌いな匂いの一つで、でもどくだみらしさがあっていい。
「早川とも子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三四)
- 六月三日
六月の水嵩殖ゆる母の帯 磯貝碧蹄館 雨季の川の水嵩はかなり殖える。昨日と今日では、深浅の度が違ってくる。小さく締めた母の帯を照らすように水嵩が殖えてくる。
「磯貝碧蹄館集」
自註現代俳句シリーズ三( 二)
- 六月四日
おたくさの花に埋もれ異人墓 水原春郎 横浜外人墓地は草花がいっぱいである。おたくさの花(あじさい)が多い。異国に眠る人々の心を慰めている。
「水原春郎集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六七)
- 六月五日
青き空より枇杷の実を貰ひけり 縣 恒則 家の近くに、父が植えた枇杷の木が四、五本残っている。その時期になると、毎年枇杷の実がたわわに実る。
「縣 恒則集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一四)
- 六月六日芒種
若竹の節の二十重の上は知らず 大竹きみ江 一ときわ育ちのよい若竹を見上げた。白い粉を噴く幹の肌にもふれてみた。節の輪を重ねた穂の先に空が透いて見えていた。
「大竹きみ江集」
自註現代俳句シリーズ三( 八)
- 六月七日
田植機のとどかぬ隅を植ゑるなり 奈良文夫 あまりに能率のいい機械植え。そのとどかない隅を植える手植えのなんと人間的なことか。
「奈良文夫集」
自註現代俳句シリーズ八( 二七)
- 六月八日
今年竹あまりに遺語の短しよ 角川源義 「たけくらぶ吾子はあらずよ今年竹」「七夕竹あけくれ雨の喪にこもる」「夏草や真理逝きしのち何残る」と悲しい日々の源義。「真理を野辺に送つた日から気力を失ひ、何事にも手のつかぬ日々をすごした」と、句集『冬の紅』に記している。( 笹舟)
「角川源義集」 脚註名句シリーズ一( 六)
- 六月九日
鮫上げて梅雨の市場の人だかり 遠藤梧逸 事業は気息奄奄だったが、俳句会は日を追うて盛んになり、諸先生をお迎えした。右は高浜年尾、汀子の御父子を塩釜にお迎えしての作。
「遠藤梧逸集」
自註現代俳句シリーズ二( 五)
- 六月十日
黴の香の中に懐石伝書かな 梅田愛子 懐石は一汁三菜をたてまえとする茶席の食事である。辻喜一さんの懐石伝書。向附・椀盛・焼物・煮物・八寸口取・点心・御飯・味噌汁。
「梅田愛子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三九)
- 六月十一日
本流のもんどりうつて梅雨の滝 黒坂紫陽子 普段でも水量豊富な滝だが、梅雨のため一層激しい。勢いよく滝口を飛び出した水が、もんどりうって落ちてくる。
「黒坂紫陽子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 一〇)
- 六月十二日
螢火のひとつ鳳凰堂を抜く 土山紫牛 宇治平等院の池畔に珍しく螢を見つけた。人々はよろこんで囃し立てた。とそのひとつが闇の中につつーと高く鳳凰堂の屋根を抜いてとび去った。
「土山紫牛集」
自註現代俳句シリーズ四( 三四)
- 六月十三日
吹き過ぎぬ割りし卵を青嵐 平井照敏 卵のぷりぷりした黄味、白味の上を青嵐が過ぎるのだ。微妙な光の効果がある。楸邨先生がこの句をほめ、句集を作れとすすめられた。記念の句。
「平井照敏集」
自註現代俳句シリーズ四( 四一)
- 六月十四日
幼子と共にしやがめば蟻不思議 松浦加古 自然界の不思議がだんだん不思議でなく、慣れっこになって行くつまらなさ。二歳の孫の見る世界は、新鮮さに満ち満ちている。
「松浦加古集」
自註現代俳句シリーズ一二( 一八)
- 六月十五日
青あらし乗りて舳に釘打てり きくちつねこ いわきの鮫川の河口近くで、偶然、川舟を作っているのに出合った。杉の香がぷんぷんする舳に跨って、釘を打つ姿はなかなか粋であった。
「きくちつねこ集」
自註現代俳句シリーズ三( 一一)
- 六月十六日
巫女軽快日雀多弁に明易し 岡部六弥太 英彦山の夜明。色々な野鳥が一斉に囀り始める。野鳥の名を憶えるのも年季が要る。出仕する巫女のすぐ頭上を、人を恐れぬ日雀が囀る。
「岡部六弥太集」
自註現代俳句シリーズ四( 一五)
- 六月十七日
父の戒碁盤目のごと青蛙 高橋沐石 私は父の戒めをなつかしいと思う。九歳で死別したが、父が残した教訓は縦横の碁盤目のように私にかぶさり、私はその下の青蛙の如くである。
「高橋沐石集」
自註現代俳句シリーズ四( 三一)
- 六月十八日
油虫打たず憐むにもあらず 亀井糸游 可哀想だから打たないのではない。それにかかわっている暇がないのである。
「亀井糸游集」
自註現代俳句シリーズ二( 一三)
- 六月十九日
指笛に応ふ遠音の仏法僧 関口祥子 猪俣千代子さんに誘われて、両神山へ仏法僧を聞きにいった。険しい山を登って清滝小屋で夜を待つ。指笛に応えブッポーソーの声が近づいてきた。
「関口祥子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 二八)
- 六月二十日
おにをこぜ徹頭徹尾おにをこぜ 松尾隆信 水引句会で、おこぜの兼題が出た。おにおこぜは自然体でおにおこぜなのだ。宮仕えを脱出する一年前の句。第三句集の名は、この句に拠る。
「松尾隆信集」
自註現代俳句シリーズ一一( 六二)
- 六月二十一日夏至
夏至の夜の八角魚焼いてもらひけり 中村阿弥 一人なので安全そうな飲み屋に入った。マスターお勧めの八角魚で夏至の夜は更けていった。
「中村阿弥集」
自註現代俳句シリーズ一三( 七)
- 六月二十二日
なめくぢの意志まで殺す塩を打つ 辻田克巳 なめくじに塩をかけると溶けるというのはどうやら俗説らしいが動きづらくなって悩みだすのはまちがいない。逃亡の意志を塩が殺すのだと見た。
「辻田克巳集」
自註現代俳句シリーズ五( 二二)
- 六月二十三日
郭公や棒で開け閉め小屋の窓 村山秀雄 壁に方尺の明り取。その下の枠を押すと聞いて窓となる。そんな粗末な山小屋に郭公は何の警戒もない。
「村山秀雄集」
自註現代俳句シリーズ九( 二)
- 六月二十四日
草の矢にあたりてわれは死ににけり 細川加賀 子供の草矢が胸のあたりに当たった。大仰に倒れる真似をした私の目に、深く澄んだ青空が映り、稲妻のように死の幻影が走った。
「細川加賀集」
自註現代俳句シリーズ三( 三一)
- 六月二十五日
やませ吹く風垣砂垣縦横に 村上しゅら オホーツク海から吹く初夏の偏東風は冷たく、時に海霧(じり)をともない、冷害の原因となる。
「村上しゅら集」
自註現代俳句シリーズ三( 三四)
- 六月二十六日
一と日病む一と日は風の蝸牛 伊藤通明 このところ時々風邪をひく程度で病気らしい病気をしたことがない。ましてそのことで仕事を休んだことなど一度もない。風邪熱の目にうるむ蝸牛。
「伊藤通明集」
自註現代俳句シリーズ四( 九)
- 六月二十七日
向き変はるたびかたかたと扇風機 染谷秀雄 少々年代物となってきた扇風機、まだ向きを変える事はできるが、折り返すたびにカタカタと音を立てて回る。替え時が近い。
染谷秀雄 平成一八年
- 六月二十八日
捕らへたる蝮口よりふたつに裂く 小澤 實 能登の湯宿で会った蝮取りの名人の話を聞いて作った。運転手で、バスの運転中に蝮を見つけても捕まえてしまうとのこと。
小澤 實 近刊句集『澤』所載
- 六月二十九日
形代につゝがなき名をしるしけり 徳永山冬子 神官の配ってきた形代に夫婦で名前をしるす。病妻は名前のほかに病名もしるす。健康な私は名前だけをしるすのである。
「徳永山冬子集」
自註現代俳句シリーズ二( 二六)
- 六月三十日
吹きぬけて茅の輪に糸のごときもの 古舘曹人 日枝神社は番町の守り神。夏越のお祓の日に茅の輪が立つ。孫の瑛世(てるよ)の名を形代にはじめて記す。後に瑛世は麹町小学校に入学した。
「古舘曹人集」
自註現代俳句シリーズ・続編一八