今日の一句:2023年07月
- 七月一日
榊にて下天を祓ふ山開 平畑静塔 男体山の山開での作。山岳信仰の霊地で、山頂には二荒山神社の奥社がある。この作品の下天には「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり」の幸若舞の敦盛の人命のはかなさの思いが入っていよう。日光国立公園戦場ヶ原にこの句碑が立っている。(宋 岳人)
「平畑静塔集」 脚註名句シリーズ二( 三)
- 七月二日
冷しラムネ千住の貨車の通りけり 龍岡 晋 泪橋から南千住に行く広い道、千住街道というやつ、踏切があって、ゴトゴト陰気な音をたててながながとつづく貨車。
「龍岡 晋集」
自註現代俳句シリーズ二( 二四)
- 七月三日
兜棟の高窓の夏老いにけり 石田小坡 俳人協会俳句指導講座最終日、われら委員は敢然として奥多摩一泊吟行に出発、そして談論風発、古強者ぶりをお互いに発揮して愉しんでいる。
「石田小坡集」
自註現代俳句シリーズ六( 五二)
- 七月四日
麻服の臀は皺をたくはへぬ 大石悦子 少女の頃、汗かきの私に父は麻の服は着せられないなと言い、私は傷ついた。長じて、こんなに皺の寄るものなら、こちらからご免だと思った。
「大石悦子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 五九)
- 七月五日
湖涼し打出の小槌お守りに 松田雄姿 ふと生まれた。中禅寺湖岸の二荒山神社のお守りと思っていたが、中禅寺の立木仏に詣でると、打出の小槌が祀られ、小槌のお守りが売られていた。
「松田雄姿集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二四)
- 七月六日
寂庵に入谷朝顔市の鉢 茂里正治 初めて訪ねた寂庵の庭隅に、入谷朝顔市の朝顔の鉢が置かれてあった。投句箱があり、この句を投句すると黒田杏子選に入った。
「茂里正治集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 五)
- 七月七日小暑
灼け石におどろく海女のつちふまず 村上杏史 海女の一稼ぎは約四十分。潜って冷えて浜に上ると炎天に灼けた小石が土踏まずを愕かす。熱い熱いと跳び上るように歩いて小屋に入った。
「村上杏史集」
自註現代俳句シリーズ五( 二七)
- 七月八日
懈怠の心身を離れゆく滝しぶき 今村潤子 「滝しぶき」に当っていると身心ともに洗われたような感じがする。「懈怠の心」( なまけ心)は容易に吹き飛ばされる。
「今村潤子集」
自註現代名句シリーズ一二( 二)
- 七月九日
高階に髪洗ひをり町に雨 岡本 眸 町も、家も、人も、すべてがひた濡れるような、雨の昼さがりの閑けさ。
「岡本 眸集」
自註現代俳句シリーズ二( 一〇)
- 七月十日
水中花女人の館時に倦む 中村明子 子供のないつれづれに、小さな洋裁店を開いた。女ばかりのおしゃべりのあと、ふいに虚しくなる時もある。
「中村明子集」
自註現代俳句シリーズ七( 二六)
- 七月十一日
風鈴を鳴らして昼も夜もゐず 八染藍子 息子のアパートに電話をしても、居たためしがない。私の吊るした風鈴が、留守の窓でひとり鳴っていることだろう。
「八染藍子集」
自註現代俳句シリーズ六( 三一)
- 七月十二日
雪渓に逢ひみしひとの息あらき 大島民郎 焼岳に登る。小さな雪渓があった。ゆきずりに逢った女流岳人の印象を回想。
「大島民郎集」
自註現代俳句シリーズ三( 七)
- 七月十三日
初対面なりしを忘ず氷水 三田きえ子 「氷水」はお互をすっかり打ち解けさせてくれた。
「三田きえ子集」
自註現代俳句シリーズ七( 一四)
- 七月十四日
藤村ねむるパリ祭の蟬鳴き澄むに 鳥羽とほる 馬籠に行った日が七月十四日、パリ祭だ。永昌寺の島崎家の墓に参詣した。「新生」を書いて故国を脱れ、パリに滞在した若き日の藤村――いま蟬の声。
「鳥羽とほる集」
自註現代俳句シリーズ三( 二三)
- 七月十五日
向日葵へ伸ばす五歳の吾子の腕 木内怜子 何より向日葵が好きな香月のためにせっせと咲かせた。音楽会の時いただく花束も向日葵、と言うほどの向日葵党。五歳の誕生日に。
「木内怜子集」
自註現代俳句シリーズ七( 四一)
- 七月十六日
昨夜咲きし月下美人のなほ匂ふ 石井桐陰 桐陰国語教育の沖縄大会で出かけ、友の家で、月下美人の花を見た。
「石井桐陰集」
自註現代俳句シリーズ四( 六)
- 七月十七日
茅舎忌や荒れ模様なる昨日けふ 片山由美子 茅舎忌は七月十七日。秋櫻子忌、そして石原裕次郎が亡くなったのもこの日で、紫陽花忌と称されることに。じつは私の誕生日でもある。
片山由美子
『昨日の花 今日の花』(ふらんす堂)所収
- 七月十八日
- ハンカチの落ちしと見しは木漏れ日や
仲村青彦 サイクリングするズボンから、ハンカチが落ちたと思って振り返った。軽井沢はとても快適で、幸福感にみちていて、詠めた。
仲村青彦 平成六年作
- 七月十九日
夏の闇火夫は火の色貨車通る 西東三鬼 夏の闇を突き進んでゆく蒸気機関車。ボイラーに石炭を放り込む火夫は燃えている火の色だ。機械と人間が闘っている。その結果としての闇の火は汽車の意志の如く。『夜の桃』
「西東三鬼集」 脚註名句シリーズ一( 九)
- 七月二十日
黒人がタイヤ燃やせり土用浪 沢木欣一 土用波は台風の接近を告げる不穏な大波である。黒人は米軍の兵士だろう。彼がタイヤを燃やしているのは任務というより、自分の鬱屈した気分を散じるためではあるまいか。ベトナム戦争では、多くの米兵が沖縄から出征していたことを想起した。( 河原地英武)
「沢木欣一集」 脚註名句シリーズ二( 一四)
- 七月二十一日
夾竹桃裾くらくひと去りゆけり 柴田白葉女 夾竹桃が咲きさかる。花はいただきに群れて幹のところは、はや夕刻のくらさとなる。裾の方をくらくその人は去って行った。
「柴田白葉女集」
自註現代俳句シリーズ一( 二六)
- 七月二十二日
子は北へ赴任す大暑の一大事 下鉢清子 長男一家青森へ赴任する。近くにいるだけで安心なのだが、身ほとり頼りないこと限りない。同時作〈孫ら発ち汗の匂ひも残さざる〉あり。
「下鉢清子集」
自註現代俳句シリーズ七( 三四)
- 七月二十三日大暑
大暑なりおのれ打つごとタイプ打つ 渡邊千枝子 電動も電子も無かった頃、手動のタイプライターはキーを打つたびに確かな音がした。暑に克ち、己に克って打ち続ける音。
「渡邊千枝子集」
自註現代俳句シリーズ八( 三)
- 七月二十四日
北窓に日のまはりたる我鬼忌かな 今井杏太郎 日本人は、聖徳太子の昔から、殊の他、日差しを大切にして来た民族である。芥川龍之介とても決して例外ではない。
「今井杏太郎集」
自註現代俳句シリーズ六( 四六)
- 七月二十五日
炎日わが老衰めける長睡り 清水基吉 別に疲労が溜っているわけでもないが、深い海の底に沈むように、果てしない睡魔にとらえられていた。四十代の句だ。
「清水基吉集」
自註現代俳句シリーズ四( 二六)
- 七月二十六日
島のルルド大きな合歓の花陰に 永井由紀子 五島列島。ほとんどの教会にルルドの泉があり、マリア像が立つ。海風に、合歓の樹がさやぐ。
「永井由紀子集」
自註現代俳句シリーズ一二( 三六)
- 七月二十七日
日盛を来て拝すなり怒髪仏 小林鹿郎 天部の神将たちに自分の怒りを代ってもらった。坊主あがりの癖に神頼みはしない方針だったのだが――。
「小林鹿郎集」
自註現代俳句シリーズ六( 二二)
- 七月二十八日
遠泳に裏返りても星ばかり 今瀬剛一 夜の遠泳。遠くにわずかに岸の灯が見えるだけであとは見渡すかぎりの星空。満天の星、水に映る星、どこを見ても同じ情景である。
「今瀬剛一集」
自註現代俳句シリーズ六( 三三)
- 七月二十九日
裸の子顔一杯に笑ひをり 上野章子 三歳になった長男の城太郎はいたずらっ子で元気一杯であった。笑うにも泣くにも力一杯という感じであった。
「上野章子集」
自註現代俳句シリーズ三( 四)
- 七月三十日
片耳にマスクを垂らす晩夏かな 鈴木直充 コロナ禍で、夏もマスクを掛ける。ところが息苦しくなり、掛け紐の片方をはずす。晩夏の熱暑に抗しきれず、いささか罪悪感を抱きながら垂らす。
鈴木直充 「春燈」令和三年一一月号
- 七月三十一日
閻魔王御館ごと炎天下 田中芥子 有馬朗人さんと川中島に遊んだ。武田信繁の墓所典廐寺の日本一という大閻魔王。真っ赤にお座す。説明役の住職は今はいない。閻魔王はいる。
「田中芥子集」
自註現代俳句シリーズ六( 一二)