今日の一句:2023年09月
- 九月一日
図書館の鍵ひそと開け震災忌 嶋田麻紀 万巻の書が炎上する光景を想像した。図書館は常に火気厳禁。
「嶋田麻紀集」
自註現代俳句シリーズ八( 六)
- 九月二日
梅干を嚙んで出直す風の盆 鳥居美智子 全身の汗を流す風呂はなかった。水で手足を拭き梅干を嚙んで、もう一度、夜流しの後について歩こう。
「鳥居美智子集」
自註現代俳句シリーズ六( 五〇)
- 九月三日
秋団扇貴船の川床は残るなり 土山紫夕 京福電車を貴船口で下りて貴船まで歩いた。もう秋も終りに近いのに名物の川床はまだ解かれず、薄緑の上に秋団扇が二、三枚光っていた。
「土山紫夕集」
自註現代俳句シリーズ四( 三四)
- 九月四日
更待や彼方の窓もまだ寝ねず 西村和子 元日から大晦日まで俳句日記を記した年、待宵から更待まで夜ごとの月を詠んでみた。常にも増して古人の心に親しみを覚えた数日間だった。
西村和子 「自由切符」所収(P.297)
- 九月五日
衣被行末見えて来りけり 山崎ひさを 〈桜蘂降る一生の見えて来て 岡本眸〉が頭にあった。感慨を季語に托すという手法、即かず離れずの呼吸が難しい。衣被が果してきいているか、どうか。
「山崎ひさを集」
自註現代俳句シリーズ・続編四
- 九月六日
- まんじゆさげ夕のひかりとなりて失す
岸田稚魚 曼珠沙華の消えたあと、そこに残ったのは夕ぐれのひかりと、そこに立つ私。
「岸田稚魚集」
自註現代俳句シリーズ一( 二三)
- 九月七日
立たされても先生が好き赤とんぼ 木田千女 先生になんど叱られても、廊下に立たされても、やっぱり私は先生が好き。
「木田千女集」
自註現代俳句シリーズ七( 二七)
- 九月八日白露
流木を夕日押しくる白露かな 西山 睦 コロナ渦の最中、海原を漂う流木は一層はかなく見えた。折しも白露。漂う存在であっても潔く生きてゆきたいと思った。
西山 睦 「俳句」令和三年一一月号
- 九月九日
鳴く虫の命を切に思ふ夜ぞ 相馬遷子 軽井沢での嘗ての旅吟「霧冷えて今宵を死ぬる螢火か」を思い出す。今度の句は旅愁をまじえず、ひたすら生のかなしみを嘆じている。
「相馬遷子集」
脚註名句シリーズ一( 一〇)
- 九月十日
かまつかの篠つく雨に倒れ伏す 小倉英男 家を建てたときに蒔いた雁来紅が庭一面に群がって眼を楽しませてくれた。雨で倒れた雁来紅を起し支え木をするのも大変であった。
「小倉英男集」
自註現代俳句シリーズ八( 三四)
- 九月十一日
畦歩く二百二十日の鴉かな 影島智子 何事もなく厄日が過ぎて行く。稲田も穂ばらみはじめてきた。畦を歩く鴉も安心した足どりで。NHK全国俳句大会で秀作との知らせあり。
「影島智子集」
自註現代俳句シリーズ一〇( 三六)
- 九月十二日
目隠しの小さな両掌秋桜 梅田愛子 コスモスの咲き乱れる庭。「だあれ?」とふいに目隠しされる。小さな掌である。
「梅田愛子集」
自註現代俳句シリーズ一一( 三九)
- 九月十三日
永遠に下る九月の明るい坂 今井 聖 諧謔、飄逸、風雅、枯淡などの意匠から「写生」を先ずは解き放ち、そこに「今」と「私」を滲透させたい。
今井 聖
- 九月十四日
聖時鐘蜻蛉ら露を啣へ飛ぶ 林 翔 トラピスト男子修道院での作。この聖域では、飛び立つ蜻蛉にも露の煌きが感じられた。「露を啣へ」と詠んだのは私のイメージ俳句第一号作品。
「林 翔集」
自註現代俳句シリーズ三( 二六)
- 九月十五日
秋草を活けて怒濤の図を垂らす 小原啄葉 妻が竹籠へ秋草を活けた。女郎花に桔梗、それに萩をすこし。さて掛物は、いろいろ考えて、黙鳳の怒涛の墨絵にした。なかなか風情がある。
「小原啄葉集」
自註現代俳句シリーズ四( 一六)
- 九月十六日
甕棺に眼なざし深む狗尾草 峰尾北兎 佐賀の九州大会へ。前日は坂井一路氏の案内で吉野ケ里の古代遺跡を観せて頂き、弥生時代を彷彿と思いめぐらした。甕棺も感動の一つ。
「峰尾北兎集」
自註現代俳句シリーズ七( 一)
- 九月十七日
実篤先生敬老の日の真理説く 門脇白風 いつの日だったかハッキリしないが、実篤先生のテレビのお話をじっくり聞いていた。梧逸先生は実篤先生を尊敬しておられたためでもあった。
「門脇白風集」
自註現代俳句シリーズ五( 三八)
- 九月十八日
敬老日敬ふ側にまだゐたり 本宮鼎三 いやでもおうでも、あとうん年経てば敬われるようになる。それを敬して遠ざけたいが......。
「本宮鼎三集」
自註現代俳句シリーズ六( 一)
- 九月十九日
星美しと露をまとひて見てをりぬ 上野章子 着ているものが知らぬうちに露に濡れているのに気がついた。それほど星が美しかった。露に重さを感じた。
「上野章子集」
自註現代俳句シリーズ三( 四)
- 九月二十日
バスを待つ四人の少女秋桜 行方寅次郎 少女についての作。いささか食傷気味だが。
「行方寅次郎集」
自註現代俳句シリーズ七( 三二)
- 九月二十一日
夜霧の灯飾り窓とは誰が言ひし 岩崎照子 ハンブルグ駐在の峯瀬氏が有名な歓楽街を案内して下さった。大きなガラス張りの中の女性達は、プロとしてのプライドがあるときいた。
「岩崎照子集」
自註現代俳句シリーズ七( 三九)
- 九月二十二日
真夜も四十路も折目ぞ透る虫の声 林 昌華 私も、四十歳をいくつか過ぎ、妻も、四十歳に間もなく手が届く。そして、共に、親を失い、子供たちも青年期へ。まさに、人生の折目なのだ。
「林 昌華集」
自註現代俳句シリーズ四( 三七)
- 九月二十三日秋分
一湾へ夜を引きつれて鰯雲 寺島ただし 背山より湾上に鰯雲が張り出して来て、にわかに夕闇が広がった。まるで鰯雲が夜を連れて来たかのようだった。
「寺島ただし集」
自註現代俳句シリーズ一二( 二三)
- 九月二十四日
かの日死なざりし者が拾ふ秋の貝 平井さち子 宗谷海峡の沖に青銅色の樺太が望まれた。同行の句友は終戦時のソ連軍進攻を、少女時代に体験した。彼女もまた「故郷喪失者」の一人だったのだ。
「平井さち子集」
自註現代俳句シリーズ三( 二八)
- 九月二十五日
鬼やんま止まる術なき海へいま 源 鬼彦 先師北光星のあとを受けて、俳誌「道」の主宰となっての感懐。現実にやんまは飛んでいたが、「鬼やんま」の鬼は自らの俳号をもって。不遜か。
「源 鬼彦集」
自註現代俳句シリーズ一一( 四四)
- 九月二十六日
蓑虫の罪負ふごとく吹かれをり 藤井吉道 わずかな風にも斜めになって風に身を委ねている蓑虫。無抵抗に人為の及ばない糸がかすかに光っていた。〈秋の蛇隠るる速さありにけり〉
「藤井吉道集」
自註現代俳句シリーズ一一( 二五)
- 九月二十七日
防雪林とほきひかりの鰯雲 石原舟月 北海道の防雪林。青々とひかりを放っている空には、すでにしろじろと鰯雲が湧いている。
「石原舟月集」
自註現代俳句シリーズ二( 三)
- 九月二十八日
鮒鮨の重石利きゐる良夜かな 猿橋統流子 琵琶湖西岸堅田月見の句。町を歩くとある店頭に鮒鮨の桶が並んでいた。そしてそれぞれに大きな石が載っている。湖は月に光っていた。
「猿橋統流子集」
自註現代俳句シリーズ四( 二五)
- 九月二十九日
名月や蕪村うしろにあるごとし 手塚七木 名月をみながら句作しているが、そのうしろに何か蕪村がいたような感じがした。少しのぼせているかな。
「手塚七木集」
自註現代俳句シリーズ八( 四一)
- 九月三十日
荒海の秋刀魚を焼けば火も荒ぶ 相生垣瓜人 遠来の秋刀魚を迎える法を火は心得ているのである。秋刀魚も荒ぶる火に身を置いて、育って来た荒海の中に帰って来た思いになっているのである。
「相生垣瓜人集」
自註現代俳句シリーズ一( 一九)