今日の一句:2023年12月
- 十二月一日
茶の咲いて明恵の寺の戯画絵巻 德田千鶴子 京都栂尾の高山寺です。鳥獣戯画が有名ですが、赤い敷物に坐って見る山の姿もお薦め。
德田千鶴子
- 十二月二日
押入れへはいりにくしや干蒲団 堀 磯路 嵩の高くなった干蒲団は、狭い押入れには入りにくい。頭を押入れに突っ込んで押し込もうとすると、ぷんぷん日の匂いがする
。「堀 磯路集」
自註現代俳句シリーズ五(五二)
- 十二月三日
夜祭の隆々として冬木瘤 青柳志解樹 秩父の夜祭。闇に浮き出た冬木の瘤のたくましさに打たれた。そういうとき、私は神の存在を認識する。
「青柳志解樹集」
自註現代俳句シリーズ四(一)
- 十二月四日
枯蓮の誘ふごとく夕明り 村沢夏風 退勤時バスの窓からよく蓮田を見た。冬の日没から夜までの間の薄明時の蓮田を、何とか捉えてみたいものと何度も思った。その中の一つ。
「村沢夏風集」
自註現代俳句シリーズ四(五一)
- 十二月五日
懐柔のやうに毛皮を撫でてをり 伊藤白潮 高級な毛皮のコートなど、妻に買ったことのない私だが、それでもこんな場面を見ることがある。デパートなどの売場での所見。
「伊藤白潮集」
自註現代俳句シリーズ五(六一)
- 十二月六日
暖房や踏んばりて泣く赤ん坊 藤井圀彦 赤子は声だけで泣くのではない。その時の手足の回転運動は相当なものである。あらわなる手足は、限りなくかわいい。
「藤井圀彦集」
自註現代俳句シリーズ九(四六)
- 十二月七日大雪
びんばふが苦にならぬ莫迦十二月 成田千空 新婚当時、草田男先生は私と並んで歩きながら「俳人と一緒になられた方は大変ご苦労が多いことですが、千空さんをどうかよろしくお願いします」と言われ、私は俳人がどういうものかも知らず、ただ判りましたとお答えするばかり、とは市子夫人の言。(豊﨑素心)
「成田千空集」 脚註名句シリーズ二(七)
- 十二月八日
落日は投地の如し浮寝鳥 本多静江 浮寝鳥の向うの落日。まるで身を捨てるように落ちていく。回教徒など身を地に投げ伏して祈る。あれが投地である。三国町加戸の鴨溜にて。
「本多静江集」
自註現代俳句シリーズ四(四五)
- 十二月九日
新しき暖房器具を母と見る 舘岡沙緻 春嶺の年次大会が万世橋会館で行われ、母が始めて大会に出席した。秋葉原駅へ迎えに行き電気屋の前に母と佇つ。
「舘岡沙緻集」
自註現代俳句シリーズ七(一二)
- 十二月十日
トロツコの野に出て遅し枯るる中 加藤憲曠 森の中から出たトロッコは、実にのろのろと見える。雄大な自然の中を走るトロッコは、毛虫のように小さく遠ざかって行く。
「加藤憲曠集」
自註現代俳句シリーズ六(一七)
- 十二月十一日
とべらの実はぜてくれなゐ十二月 ながさく清江 暖地の海岸に多いとべらの木。灰褐色の球形の実が三つに裂けて、真赤な実をのぞかせる頃、暦はもう十二月。今年もあと僅か。
「ながさく清江集」
自註現代俳句シリーズ一一(六〇)
- 十二月十二日
懐手して人並みの幸不幸 山仲英子 〈人並み〉であることの、ありがたさ。
「山仲英子集」
自註現代俳句シリーズ八(二四)
- 十二月十三日
毛糸編む悲しきときは手を早め 塩崎 緑 悲しいとき、つらいことがあるときは一途に何かに打ち込むのが私の性格。長所でも欠点でもあるが死ぬまでその性格は変わらないだろう。
「塩崎 緑集」
自註現代俳句シリーズ六(一〇)
- 十二月十四日
義士餅を食べ犬死と思ひけり 辻田克巳 山科は大石神社。主君の仇討と云やカッコはいいが結局法に裁かれて死ぬんじゃあ鬱さ晴らしと余り変らんではないか、大石どの、と饀餅を食う。
「辻田克巳集」
自註現代俳句シリーズ五(二二)
- 十二月十五日
がさ市の日差し遊ばせ野老売り 町田しげき 浅草観音境内の年の市にて。注連飾等を売る市をとくに「がさ市」という。品物を扱うときがさがさ音を立てるからだそうだ。
「町田しげき集」
自註現代俳句シリーズ六(四二)
- 十二月十六日
ふりむけば敗者とならむ枯野人 長田 等 人間はともすれば人生を勝者、敗者のどちらかに分けてしまう傾向がある。人生を前向きに生きることは決断のいること。
「長田 等集」
自註現代俳句シリーズ七(一八)
- 十二月十七日
顔見世の幟に流れ雲のかげ 小原菁々子 華やかであるべき京都南座の顔見世興行も、戦争突入を前にして侘しかった。冬空にはためく幟や鴈治郎、延若といった顏振れを思い出す。
「小原菁々子集」
自註現代俳句シリーズ二(六)
- 十二月十八日
空深く焚火埃の遊びをり 今井つる女 落葉を掃きよせて焚く。柔らかな煙が立つ。なつかしい香りが込める。青い空深く、こまかい焚火ぼこりが、いつまでも舞っていた。
「今井つる女集」
自註現代俳句シリーズ四(一〇)
- 十二月十九日
ゆく年の人の流れにそふとなく 角田拾翠 終戦の年もやはり心斎橋筋は人がたくさん通っていた。インフレで買い得べきものもなかったが、やはりそこを歩いた。
「角田拾翠集」
自註現代俳句シリーズ四(二九)
- 十二月二十日
白と化し枯野出られぬ新聞紙 加倉井秋を 枯野に捨てられた新聞紙。それが永い年月を経て、白と化してしまった。白と化してしまえば、誰にももう用はない。例えそれが新聞紙であっても。
「加倉井秋を集」
自註現代俳句シリーズ二(一一)
- 十二月二十一日
煤掃の夜の寛ぎにありにけり 江口竹亭 神棚、仏壇と手順よく捗り、日のあるうちに煤掃を済ますことが出来た。一ㇳ風呂浴びて、晩酌に心地よく酔い寛ぐ夜であった。
「江口竹亭集」
自註現代俳句シリーズ三(六)
- 十二月二十二日冬至
言葉溜め一日雨の冬至かな 神蔵 器 私は無口だといわれるが本当はそうでもない。ただ片方の耳が全く聞えないので時々とんちんかんな答えをするらしい。この句は耳には関係ない。
「神蔵 器集」
自註現代俳句シリーズ四(一九)
- 十二月二十三日
鳥影の大きくなりし冬休み 岩淵喜代子 木の葉が落ちると、鳥影が露わになる。なぜかこの頃から俳句が好きになった。
「岩淵喜代子集」
自註現代俳句シリーズ一二(三五)
- 十二月二十四日
冬北斗折鶴の嘴鋭く仕上ぐ 石崎宏子 父の快癒を願って鶴を折った。嘴をピシッと決めると願いが叶いそうな気がして。
「石崎宏子集」
自註現代俳句シリーズ一三(六)
- 十二月二十五日
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ 能村登四郎 この句も苦しんでいた時にふと心の奥底から浮き上って来たような句。後に誰かが心象風景と名づけたが、勿論現実の風景ではない。
「能村登四郎集」
自註現代俳句シリーズ二(三〇)
- 十二月二十六日
鴨くくと鳴きわれひもじくなりぬ 木下子龍 あ、池には鴨がいたのだ、餌をねだって盛んに寄ってくる。まてまて、今餌を買ってくるからな、一人言って売店へ。ああおれもだ。
「木下子龍集」
自註現代俳句シリーズ七(二)
- 十二月二十七日
年木樵る音かつゞきてゐしが止む 清崎敏郎 「四万・日向見に遊ぶ」六句の内の一句。年末の閑散とした温泉宿にどこからともなく、木を伐る音が続いていた。聞くともなく聞いていたその音が、ふいに止んだ。あれは、年木でも伐っていたのであろうと思ったのである。(酒井 京)
「清崎敏郎集」 脚註名句シリーズ二(二)
- 十二月二十八日
白鳥と時を同じく吾も夜覚め 秋澤 猛 私は夜中によく目を覚す。或る夜目を覚していると、近くの最上川から、こうこうと白鳥の夜覚めの声が聞えて来た。
「秋澤 猛集」
自註現代俳句シリーズ五(一)
葱青し川かがやくは一部分 仲村青彦 矢切の「野菊の道」の道は葱畑を通る。
仲村青彦 平成五年作、句集『樹と吾とあひだ』所収
- 十二月三十日
忘れ潮澄んで深しよ年の暮 小澤 實 どこの磯を歩いて得たのか、忘れてしまっている。しかし、たしかに深い潮溜りを見た記憶は鮮やか。不思議だ。
小澤 實 平成十八年作、句集『澤』所載
- 十二月三十一日
去年今年壁一面の航海図 川口 襄 大晦日に神戸港からフェリーで宇部へ向かい、船中で初日の出を拝む。食堂の壁の大きな航海図の、本船の位置を示すマークが刻々と移り進んでゆく。
「川口 襄集」
自註現代俳句シリーズ一二(九)