今日の一句:2024年03月
- 三月一日
流氷もまた旅人の孤独感 源 鬼彦 村上護氏が北海道新聞の「うた暦」で評を加えてくださった俳句。流氷に旅人の心を思っての俳句である。この年宗谷湾は流氷に被われる。
「源 鬼彦集」
自註現代俳句シリーズ一一(四四)
- 三月二日
輔弼する昔ありけり雛飾り 大屋達治 輔弼とは、天子の政治を扶けること。明治憲法下では、事を進言・奏請した大臣が全責任を負った。左大臣・右大臣も雛壇に座っていられない。
「大屋達治集」
自註現代俳句シリーズ一一(六五)
- 三月三日
雛ずしの玉子に目鼻ありにけり 伊藤いと子 すし飯を握った上に載ったうずらの卵である。かわいらしい雛ずしがみるみる減っていく。幼子たちの表情は平和そのものである。
「伊藤いと子集」
自註現代俳句シリーズ一〇(三二)
- 三月四日
流し雛持つて帰りし女かな 立石萠木 妻たち二、三人が粉河寺の流し雛を見に行った。流すべき桟俵の雛を持ち帰ってきた。毎年の雛壇に飾ってある。
「立石萠木集」
自註現代俳句シリーズ一〇(四八)
- 三月五日啓蟄
啓蟄見る辞書専用の虫眼鏡 安住 敦 平凡社の『大辞典』縮刷覆刻版を買ったら、外箱の上部に抽出がついていて中に拡大鏡が入っていた。これを虫眼鏡とはよくぞ言ったものだ。
「安住 敦集」
自註現代俳句シリーズ二(一)
- 三月六日
雛納めけりさまざまな手の形 岡崎桂子 雛の手は顔や衣裳に比べると、何かよそよそしく添え物のようである。
「岡崎桂子集」
自註現代俳句シリーズ一一(三)
- 三月七日
地虫出てこころの穴のふさがらず 辰巳奈優美 子育ての初めには、ひとり鬱々としてしまうこともあった。「地虫」に「こころの穴」は、少し安易な表現だったとも思う。
「辰巳奈優美集」
自註現代俳句シリーズ一三(一〇)
- 三月八日
朝の飢燕は低く地を擦つて 津田清子 職員旅行で大津に泊った。早朝の町を燕も忙しそうに飛び交っていた。
「津田清子集」
自註現代俳句シリーズ三(二一)
- 三月九日
桑解きて一気に何か失へり 市野沢弘子 解放されることは、新しいものに向かってゆくことであろうが、また一方では、虚ろになる瞬間でもある。
「市野沢弘子集」
自註現代俳句シリーズ一〇(四一)
- 三月十日
卒業式終へ風呂焚いて夜が来る 淵脇 護 卒業式の日は、大体午前で帰宅できた。少しセンチメンタルな気になりながら、ゆっくり風呂を沸かして入浴し、卒業生のことに思いを廻らした。
「淵脇 護集」
自註現代俳句シリーズ一二(九)
- 三月十一日
翁に問ふプルトニウムは花なるやと 小澤 實 句集『澤』所載。震災の後の福島第二原発の事故でプルトニウムが拡散した。数万年も変化しないそれを美としていいか、芭蕉翁に尋ねている。
小澤 實 句集『澤』所載
- 三月十二日
水清く飼はれ引鴨ともならず 野見山ひふみ 動物園。手入れの行き届いた園内の流れに家鴨と一緒に飼われている鴨。飛べないように羽根を切られている。
「野見山ひふみ集」
自註現代俳句シリーズ二(三一)
- 三月十三日
- げんげ田にげんげのレイの捨ててあり
中村阿弥 「げんげ」は蓮華草のこと。子ども達はこの花でレイを作って遊んだものである。
「中村阿弥集」
自註現代俳句シリーズ一三(七)
- 三月十四日
土曜日は楽し花種買ひ戻る 藤沢樹村 銀座にあった本社は土曜は半ドンだった。デパートで花種を買って帰った。「明日のプランで胸をふくらませる勤め人の心持ち」。(風生先生評)
「藤沢樹村集」
自註現代俳句シリーズ一一(四一)
- 三月十五日
失意いま芦の芽やたらふき出だす 石原 透 何か仕事がうまくゆかず、がっかりして散歩に出る。水辺では葦の芽が盛んに吹き出している。しっかりしろと励ましているように。
「石原 透集」
自註現代俳句シリーズ一〇(四九)
- 三月十六日
テニス見る顔右ひだり春の風 嶋田一歩 テニスの試合を見ている観客。テニスの球はネット越しに左右にとぶ。ラリーが続くと観客の首は振子のように動く。
「嶋田一歩集」
自註現代俳句シリーズ五(三〇)
- 三月十七日
上毛の東風荒ららしや橋長し 林 昌華 この年の萬緑全国大会を、埼玉、群馬合同にて担当し、高崎市において開催するために、草田男先生をはじめに、主要同人が、下見のため来高す。
「林 昌華集」
自註現代俳句シリーズ四(三七)
- 三月十八日
山国の小石捨て〳〵耕せり 沢木欣一 丹波での作。山地の多い丹波では、土地を耕すとごろごろと小石が出てくる。鍬を入れる度に出る小石を、一つ一つ丁寧に拾いながら根気よく耕さなければならない。鍬を入れては小石を捨てるの繰り返し。山国の厳しい労働のさまが詠まれている。(佐々木潤子)
「沢木欣一集」 脚註名句シリーズ二(一四)
- 三月十九日
風の来る昼すつしんと養花天 伊藤敬子 三月の中旬を過ぎると、花だよりも語られるようになる。すっしんという文字が出てきて、これは養花天にひびくと思った。
「伊藤敬子集」
自註現代俳句シリーズ・続編二六
- 三月二十日春分
深呼吸一つ春闘始まりぬ 板津 堯 攻める側も守る側も労働争議は辛い。攻守所を変えた時、石塚友二先生が〈春闘の何時まで管理職痩せて〉の短冊を下さった。
「板津 堯集」
自註現代俳句シリーズ八(四〇)
- 三月二十一日
春泥のかたまりの山登り行く 松尾隆信 神奈川県の丹沢山地。関東ローム層で包まれた山のガレ場や沢筋は赤い。ヤビツ峠から登る径も赤くてやわらかい。山全体が春泥のようであった。
「松尾隆信集」
自註現代俳句シリーズ一一(六二)
- 三月二十二日
花に能演ずる笛と鼓かな 竹腰八柏 丹波篠山では春日神社で年二回能が演じられる。一つは花の頃、他は大晦日の夜である。花の下に演じられる能は格別である。
「竹腰八柏集」
自註現代俳句シリーズ五(二〇)
- 三月二十三日
霾や草城信子亡き大阪 山本つぼみ 桂信子さんのお別れの会に大坂へ。かつて訪ねた石橋の草城居も、豊中の小寺正三、桂信子、花谷和子諸先生のお宅も、この大阪駅に降り立って。
「山本つぼみ集」
自註現代俳句シリーズ一二(三)
- 三月二十四日
春の山賽銭担ぎおろしけり 中村雅樹 伏見稲荷の山中で、賽銭を集めている人に出会った。ずっしりと布袋を所定の場所まで担ぎ降ろし、あとはネコ車に積んで麓まで運ぶ。
「中村雅樹集」
自註現代俳句シリーズ一三(二〇)
- 三月二十五日
七賢の襖に遊ぶ竹の秋 遠藤梧逸 「短夜の覚めて三聖哄笑図」とともに高野山普賢院の襖絵。深く学んだとは言えないが、満州、北支に居たこともあって支那好きである。
「遠藤梧逸集」
自註現代俳句シリーズ二(五)
- 三月二十六日
白妙の椿くもれる怒濤かな 白岩三郎 房総馬醉木会四周年記念で波太島吟行。海に向って立つ秋櫻子先生の句碑は、潮寂びもしるく周囲の景に相応しい。強い風に白椿が耐えていた。
「白岩三郎集」
自註現代俳句シリーズ六(三九)
- 三月二十七日
仕上砥の芯の乾きや桃の花 山崎羅春 荒砥石は電動回転式、仕上げ砥だけは、昔ながらの手作業。桃の花の頃は砥石の乾きも早い。
「山崎羅春集」
自註現代俳句シリーズ一一(一)
- 三月二十八日
太郎杉降らす花粉や地震あるな 青木重行 丹沢山の登り口にある杉の名は太郎杉という古い有名な神杉である。丁度この頃に起きた地震に向かって叫んだ言葉である。
「青木重行集」
自註現代俳句シリーズ九(三)
- 三月二十九日
落椿踏み坊の津といふところ 清崎敏郎 薩摩半島の南端に坊の津という港がある。その昔、島津藩の目を盗んで、中国と密貿易が行われて栄えたというところ。
「清崎敏郎集」
自註現代俳句シリーズ一(三〇)
- 三月三十日
鳥曇勤め辞せるも鞄提げ 畠山譲二 二十年間務めた会社を定年一年前で辞した。俳句一筋に生きようと心に決めたからである。清貧に甘んじての毎日だが、よかったと思っている。
「畠山譲二集」
自註現代俳句シリーズ五(四九)
- 三月三十一日
アネモネや毒一匙を身の内に 德田千鶴子 アネモネはギリシア語で「風の娘」。揺れる赤紫色の花を見た時、その妖しさに惹かれた。実は私の心にも、気づかぬ毒があるかもしれぬ。
德田千鶴子 句集『花の翼』所載