今日の一句:2024年09月
- 九月一日
潮の香の生徒九人に休暇果つ 米谷静二 屋久島の北西部に口永良部島という小島がある。桜島そっくりな活火山があり、全部で九人の中学生はなかなか活動的である。
「米谷静二集」
自註現代俳句シリーズ五(二九)
- 九月二日
はたはたに肩叩かれぬ温亭忌 川畑火川 篠原温亭忌、大正十五年九月二日、「押しなでて大きく丸き火鉢かな 温亭」私は氏のおだやかな句が好きだ。
「川畑火川集」
自註現代俳句シリーズ五(三九)
- 九月三日
汽罐車の音のつまづく男郎花 堀口星眠 駅の方から、車輌をつけかえる汽罐車の音がきこえる。ダッシュしたかと思うと、すぐ静まったりする。
「堀口星眠集」
自註現代俳句シリーズ二(三五)
- 九月四日
秋扇真砂女の筆の嫋々と 浅井陽子 鈴木真砂女の染筆は、まさに嫋々である。秋扇が一層そう思わせた。
「浅井陽子集」
自註現代俳句シリーズ一二(一一)
- 九月五日
雨となる漆街道葛の花 和田順子 漆掻をした跡が、白々残る木が痛々しい。雨となってすれ違う車もない。
「和田順子集」
自註現代俳句シリーズ一一(一五)
- 九月六日
梨一つ挘げば一つの空ひろがる 淺野 正 多摩川の梨園。棚の下で腰を曲げての作業は、素人につらい。梨をもぐと、青い空が見えて、ほっとひと息ついた。
「淺野 正集」
自註現代俳句シリーズ六(二一)
- 九月七日白露
鳥つぶてわが呼ぶ子の名爽かに 原 裕 爽秋の野に出てあそぶ子供たちに空をとびかう小鳥たちは同族の臭いがつよい。名を呼ぶとかえってくる返事に爽かさがあふれるばかり。
「原 裕集」
自註現代俳句シリーズ一(二四)
- 九月八日
山国の夜は虫の世となりにけり 若井新一 山国の夜は晩春から晩夏にかけ、蛙や青蛙の声が席巻する。秋になると蛙と入れ替わり、虫の音のオーケストラが響く。まさに虫の世の夜半だ。
「若井新一集」
自註現代俳句シリーズ一三(一九)
- 九月九日
水澄んで人の喜ぶことを言ふ 梶山千鶴子 祇園杢兵衛、小林繁造、杉村浩さんらと私ども四組の夫婦が貴船ひろやの川床での涼。滅多にない集りで楽しかった。
「梶山千鶴子集」
自註現代俳句シリーズ七(七)
- 九月十日
妻の呼ぶ聲よく透り鯊日和 鈴木良戈 南砂四丁目の船頭の山田さんが、胃の調子が変だとか、風邪をひいたとかでよく診察をうけに来ていた。東京湾で鯊釣を教わり、料理してくれた。
「鈴木良戈集」
自註現代俳句シリーズ八(四三)
- 九月十一日
ガスの炎の青き揺らぎや台風裡 下里美恵子 ガスの炎がこんなに青いとは...。かすかな揺らぎに不安感が募った。
「下里美恵子集」
自註現代俳句シリーズ一一(四九)
- 九月十二日
平服の医師に薬臭曼珠沙華 奈良文夫 ある吟行会。医師の句友からふとクレゾールのような匂いがした。先生が亡くなられて間もなくの頃。
「奈良文夫集」
自註現代俳句シリーズ八(二七)
- 九月十三日
うしろ手の神父に燕帰りけり ながさく清江 安住先生は「外国人の神父だろう、帰燕の行く手にある母国へ想いを馳せながら、いつまでも見送っている後ろ姿が印象的だ」と。
「ながさく清江集」
自註現代俳句シリーズ一一(六〇)
- 九月十四日
水澄みて閂などは要らぬ村 木内怜子 この句のようであったわが村にも都市化の波が押し寄せ、どの家も立派な閂付きの門にインターホーンが附くようになってしまった。
「木内怜子集」
自註現代俳句シリーズ七(四一)
- 九月十五日
爽籟に混じる鳥声水の声 西宮 舞 守武祭選者として献詠句。内宮の入り口にある宇治神社にて俳祖荒木田守武を偲んで毎年行われている。
「西宮 舞集」
自註現代俳句シリーズ一三(二五)
- 九月十六日
景品の仔豚が逃げて敬老日 延平いくと 敬老日。老人達はゲートボールに夢中。今日の景品は仔豚とのこと。奥多摩にて。敬老日はいつまでも他人事として詠みたい。
「延平いくと集」
自註現代俳句シリーズ八(二六)
- 九月十七日
お団子のひとかたまりとなり無月 八染藍子 無月もまたよしと云いながら、誰もが浮かぬ顔。お団子までふてくされた様子。
「八染藍子集」
自註現代俳句シリーズ六(三一)
- 九月十八日
- 死後とはかく物捨てること螻蛄鳴けり
成田清子 本当に実感である。人一人の生涯には何と物がたくさんあることか。捨てても捨てても限がない。中には捨てられぬ物もある。
「成田清子集」
自註現代俳句シリーズ一一(四)
- 九月十九日
臥して見る子規忌の草の高さかな 南うみを 体調を崩し、しばらく静養した。庭の秋草を見つつ、子規の眼の高さを想った。
「南うみを集」
自註現代俳句シリーズ一二(五)
- 九月二十日
わが秋灯一つ加へて坂の町 原田かほる 世田谷区千歳台より目黒区権之助坂へ転居。階下は会社で、階上が住居。夫の出勤は階段を降りるだけであった。
「原田かほる集」
自註現代俳句シリーズ一一(二四)
- 九月二十一日
一脚は異国の島に秋の虹 里川水章 知床峠より還らざる北方四島を見る。雨上りの天にかかる虹の一脚は、クナシリ島の上に立っているかのようだった。
「里川水章集」
自註現代俳句シリーズ八(一三)
- 九月二十二日秋分
時差呆けの夜や虫の音にいたはられ 北野民夫 年齢の故か海外出張による時差呆けも、このごろ特に強く感じるようになった。就床しても寝つけず、虫の声がしみじみと疲れた身にしみとおる。
「北野民夫集」
自註現代俳句シリーズ二(一四)
- 九月二十三日
秋思いまオリーブ色に波あがり 仲村青彦 東京湾の浜辺。小さな砂丘のように砂が溜まり、あたりの浜昼顔もすでに衰えていた。
仲村青彦 『春驟雨』 平成十六年作
- 九月二十四日
ふかく眠りぬ秋草の生けあれば 小澤 實 平成十六年作。婦人雑誌の仕事で、近江を歩き、比良山荘に泊まった。床の間に自然に生けてあった秋草が、忘れがたかった。
小澤 實 句集『澤』所載
- 九月二十五日
逆らはず従ひもせず鵙日和 德田千鶴子 七十代となっても、否、なってこそ、自分の意思を強くもっていたいと、思っています。鵙の鋭い声は私の背を正します。
德田千鶴子 馬酔木 令和五年11月号
- 九月二十六日
邯鄲の声触れてくる夜の素顔 野澤節子 九月下旬、奥多摩の御岳へ邯鄲を聞きに出かけた。帰りに宿の主人から貰った一匹の邯鄲を、ベッド近くに置いて十一月の末まで大切に飼った。夜更けに必ず鳴き出し節子の素肌に沁み透るように鳴いた。「一匹だけ生き残った切情に満ちていた」。
「野澤節子集」 脚註名句シリーズ二(六)
- 九月二十七日
月明に我立つ他は箒草 能村登四郎 最晩年の作と思えば蕭条と淋しい。しかし透明で美しい。月明も箒草も長身白皙の「我」の孤影を浮き上がらせ、まるで能舞台のシテの姿のように凛然としている。それは孤独感を漂わせながらも作者に達成感の誇りが、確とあったからと思う。(北川英子)
「能村登四郎集」 脚註名句シリーズ二(五)
- 九月二十八日
白山を雁道として仰ぎたる 新田祐久 雁道は白山よりやや低いところにある。
「新田祐久集」
自註現代俳句シリーズ五(二四)
- 九月二十九日
父母の夢みてさめて秋ふかし 町 春草 あっ、両親は死んでいなかった。目が覚めて、はっと思う。紅葉の美しさを教えた父も母ももういない。
「町 春草集」
自註現代俳句シリーズ六(二七)
- 九月三十日
鶏頭の火中にありてなほ燃えず 田島和生 晩秋の畑仕舞い。鶏頭はくすぶり、なかなか燃えない。鶏頭の執念めいたものを感じた。
「田島和生集」
自註現代俳句シリーズ一一(四〇)