今日の一句:2024年11月
- 十一月一日
露か雨か十一月ははじまりぬ 石田波郷 「露か雨か」は、病室の窓から木々や屋根がしっとり濡れているのを見ての措辞だが、十一月を予感してのものとも受取れる。波郷は十一月二十一日忽然として逝った。これを思うとこの「露か雨か」には一種の緊迫感のただよいがある。重い作品といえよう。
「石田波郷集」 脚註名句シリーズ一(四)
- 十一月二日
人任せ仕事は嫌ひ冬支度 嶋田摩耶子 母のお漬ものをする姿を見ていて出来た句。人手は足りていて指示するだけでよいと思うのに、先に立って働いている。
「嶋田摩耶子集」
自註現代俳句シリーズ五(三一)
- 十一月三日
数範囲百までの児に銀杏散る 樋笠 文 近ごろは、もっぱら一年生ばかりを担任させられる。算数の時間は外に出て落葉拾い。「一枚、二枚......」しんどいが、百までは止められない。
「樋笠 文集」
自註現代俳句シリーズ四(四〇)
- 十一月四日
行秋の津軽の濤を機翼下に 三浦恒礼子 空から見る海峡はくらかった。この海峡を越えて、どれほどの人が北へ南へわたったことか。海峡の濤は、大きく尖っていた。
「三浦恒礼子集」
自註現代俳句シリーズ四(四七)
- 十一月五日
一の酉その日落葉の始まれり 多田薙石 清瀬東京病院。一の酉であり、冬至でもあった。波郷先生は、「一の酉が来ると落葉が始まるんだよ」と言われた。先生にお会い出来た最後の日。
「多田薙石集」
自註現代俳句シリーズ六(一五)
- 十一月六日
忙中の閑に日当る石蕗の花 鈴木鷹夫 仕事と俳句の二足の草鞋がそろそろ無理になって来た。このままだと両方駄目になる予感。即ち二兎追う者は......。
「鈴木鷹夫集」
自註現代俳句シリーズ六(三八)
- 十一月七日立冬
レクイエム流れ十一月来たる 佐久間慧子 十一月はカトリックでは死者の月。母を亡くして間のない私、聖堂で皆さんのうたわれるレクイエムをただ聴いていた。
「佐久間慧子集」
自註現代俳句シリーズ七(四〇)
- 十一月八日
不老山不老川あり神の留守 中村阿弥 「鶴」同人研修会、岡山にて。「不老山不老川」の曰くありげな名に惹かれた。季語が効いていると思っているが。
「中村阿弥集」
自註現代俳句シリーズ一三(七)
- 十一月九日
引き抜いて抽斗長し冬初め 藤田直子 白い机の抽斗。その細長い抽斗を引き抜いて何かを探した。それが冬の初めの気分と合っていた。
「藤田直子集」
自註現代俳句シリーズ一二(三四)
- 十一月十日
黄の蝶の一閃二閃桃青忌 西山 睦 毎年松島で行われる松島芭蕉祭に出席している。一句選者吟を請われる。必ず実際の出会いを詠むようにしている。目が覚めるような蝶であった。
西山 睦 「駒草」平成29年1月号
- 十一月十一日
脚長きことが手間どり蓮根掘り 有吉桜雲 長所は短所。短所が長所なることも。
「有吉桜雲集」
自註現代俳句シリーズ八(四五)
- 十一月十二日
茶の花やかくれ棲むかに昨日今日 下鉢清子 自然はまだ晩秋らしさを誇示しているのに、肉体の感覚は冬を感じる。その頃が好きである。茶の花もまた好ましい。
「下鉢清子集」
自註現代俳句シリーズ七(三四)
- 十一月十三日
水の如き朝あり梨の返り花 関 成美 句会の後、小室美夜子氏宅に泊り、翌朝早く付近を散歩した。東京では見られない清澄な朝の風景だ。三十分程歩いたが人に会うこともなかった。
「関 成美集」
自註現代俳句シリーズ七(二〇)
- 十一月十四日
凩や深鍋ふたつ湯気立てて 井越芳子 この冬、ル・クルーゼのオレンジ色の深鍋を買った。鍋を火にかけながら過ごす冬の時間は心休まる大切な時間。
「井越芳子集」
自註現代俳句シリーズ一二(四八)
- 十一月十五日
青空となり来る早さ返り花 浅井陽子 飛鳥の石舞台近くの吟行で見つけ思わず仲間を呼ぶ。雨後の日差に見失うことはなかった。返り花には青空が似合う。
「浅井陽子集」
自註現代俳句シリーズ一二(一一)
- 十一月十六日
しぐるるや花には長き葉をそへて 中村雅樹 岐阜県の池田町に吟行。吉祥草に出会った。その花に葉を添えて紙に包んだのである。岩月通子さんが、のちに庭にあるからと送って下さった。
「中村雅樹集」
自註現代俳句シリーズ一三(二〇)
- 十一月十七日
かけひきの値の定まらず大熊手 小川濤美子 酉の市に出かけたときの有様である。
「小川濤美子集」
自註現代俳句シリーズ一一(五七)
- 十一月十八日
恋髪も死に髪も夜のこがらしは 河野邦子 木枯しはたいてい夜には静かになる。気象の関係。恋も死もいのちの力を必要とする。
「河野邦子集」
自註現代俳句シリーズ九(三二)
- 十一月十九日
八手咲き来翰はたと減りたる日 角田拾翠 いつもはドサッと音してくる来翰が、その日は妙に少なかった。何か不吉なような、寒々とした気がした。八手の花の寒さも加わってか。
「角田拾翠集」
自註現代俳句シリーズ四(二九)
- 十一月二十日
石蕗黄なりヨハネ五島の磔像に 岡部六弥太 福江島の堂崎天守堂。ヨハネ五島は長崎の西坂で殉教した二十六聖人の一人。五島生れで十九歳。死の直前の敬虔な祈りの表情に、心打たれる。
「岡部六弥太集」
自註現代俳句シリーズ四(一五)
- 十一月二十一日
茶の咲けり八犬伝の城跡に 佐怒賀直美 「八犬伝の城跡」とは我が故郷・茨城県古河市の古河城跡のこと。犬塚信乃と犬飼現八の戦いの場として『南総里見八犬伝』に登場する。
佐怒賀直美 令和五年作 「橘」五五五号
- 十一月二十二日小雪
落葉して落葉は遠き音となる 柴田白葉女 小高い山。落葉がしきりである。前にも後にも、はらはらと舞いおちる。だまってその中に立っていると落葉の音が夢の世界の中の音となってゆく。
「柴田白葉女集」
自註現代俳句シリーズ一(二六)
- 十一月二十三日
- 「にごりえ」のダブルキャストも一葉忌
鈴木栄子 「にごりえ」のお力をダブルキャストで文学座公演。太地喜和子のお力はすべてを覚悟して男に殺された。新橋耐子のお力は覚悟なしで殺された。
「鈴木栄子集」
自註現代俳句シリーズ四(二八)
- 十一月二十四日
はすつぱに生れて修す一葉忌 鈴木真砂女 丙午生れの性格とでも言おうか、朗らかであまりものにこだわらずむしろはすっぱである。一葉忌と一日違いの十一月二十四日が私の誕生日である。
「鈴木真砂女」
自註現代俳句シリーズ二(二〇)
- 十一月二十五日
朴落葉大きを拾ひ晩年へ 鍵和田秞子 いやおうなしに晩年へ踏み込んでいるのだ。朴の葉はどれも大きいけれど、特に大きいのを手に取るのも、いたしかたない心の動きか。
「鍵和田秞子」
自註現代俳句シリーズ・続編二一
- 十一月二十六日
転車台に腑抜け機関車冬うらら 桂樟蹊子 京都駅の西にある機関庫。転車台に勢いよく来て止り、廻してもらう機関車は、如何にも腑抜けて力なく見えた。今では機関車も見世物になった。
「桂樟蹊子集」
自註現代俳句シリーズ二(一二)
- 十一月二十七日
雨夜日和重ねて落葉あたたかし 古賀まり子 久しぶりに訪ずれた平安。病院通いも遠のいた。
「古賀まり子集」
自註現代俳句シリーズ四(二二)
- 十一月二十八日
雪来るか野をくろがねの川奔り 相馬遷子 もう雪が来る頃だ。くろがね色の川が寒々と走っている。
「相馬遷子集」
脚註名句シリーズ一(一〇)
- 十一月二十九日
北山に雪来し味の酢茎買ふ 山下喜子 酢茎の美味しい条件に、漬け加減は勿論だが、キュツと底冷えする寒さも必須のように思う。京漬物のかくし味となる寒気かと。
「山下喜子集」
自註現代俳句シリーズ五(三五)
- 十一月三十日
背に耳を当てて霙を聴いてをり 今井聖 今井 聖 『バーベルに月乗せて』 作句年二〇〇一年