今日の一句:2024年12月

十二月一日
石蕗 つわ くやこころかるるひととゐて清崎敏郎

珍しく恋の気配のある一句。これが発表された時、女弟子たちはどなたのことだろうと言い合ったものだ。石蕗という淋しげな花がすべてを語っている。作者は、「ある尼さんだよ」とおっしゃったが、季題からの想像を楽しみたい。(西村和子)

 
「清崎敏郎集」 脚註名句シリーズ二(二)

十二月二日
りんみなゆきつかにしずかなり細谷鳩舎

農家も商家も、雪囲やその他冬の準備が終ると、静かになる。運命のように雪籠りを待つのである。

「細谷鳩舎集」
自註現代俳句シリーズ五(三四)

十二月三日
寄鍋よせなべしょうずいとはならず関森勝夫

料理となれば普通は婦唱夫随だろう。しかし、私は素直に従わず、具について注文をあれこれ出しては妻や子供から嫌われる。

「関森勝夫集」
自註現代俳句シリーズ六(二四)

十二月四日
牛鬼うしおにかべけあるふゆしき髙崎トミ子

宇和島は牛相撲で有名らしいが、私たちが宇和島へ訪れた時はその時季ではなかった。それでも二宮さんの手配りで牛相撲の土俵を見学出来た。

「髙崎トミ子集」
自註現代俳句シリーズ一一(三一)

十二月五日
山間やまあいきつねとなるいちりょうしゃ関口恭代

一輌車、現在では殆ど見かけないが、遠い昔上信電鉄の一輌車が山間を縫って終点下仁田までの往き来。真っ暗な山裾に動く一筋の灯、まさに狐火。

「関口恭代集」
自註現代俳句シリーズ一一(九)

十二月六日
ぎょうそうれて寒林緊かんりんしまりける毛塚静枝

中山法華経寺の荒行は十一月一日から翌年の二月十日までの百日間。小寒から大寒へと森の中で、一日二度の粥食、七度の水垢離に耐える荒行。

「毛塚静枝集」
自註現代俳句シリーズ一〇(一二)

十二月七日大寒
はだかのざくりとれてかぜいまだ源 鬼彦

寒地の冬の木は、裸木という強いひびきが似合うようだ。寒林の中の数本が無慚に折れている。風に代表される援軍すらもないまま。

「源 鬼彦集」
自註現代俳句シリーズ一一(四四)

十二月八日
歳晩さいばんまごをあづかるひとあり五十嵐播水

歳晩になると誰しも忙しい。歳晩の一日孫をあずかってくれと頼まれた。歳晩には何うしてもこんな日があるものである。

「五十嵐播水集」
自註現代俳句シリーズ四(五)

十二月九日
しみじみひとてもめてもすきかぜ小松崎爽青

孤独感を口にすることはあったが、孤独地獄にまで引き込まれたことはなかったのに、家の中に全くの孤り暮しは、遣る瀬無かった。

「小松崎爽青集」
自註現代俳句シリーズ七(五)

十二月十日
あくのための空席一くうせきひとふゆさけ磯貝碧蹄館

花も何も飾ってない、殺風景な席は悪魔の席かもしれない。いや、むしろ「悪魔の席」として、私はとって置きたい。親愛なる悪魔のために。

「磯貝碧蹄館集」
自註現代俳句シリーズ三(二)

十二月十一日
ストーブににゅうこうふねかげ永田耕一郎

赤々と燃えているストーブ。入港の巨船の影が、これ程大きいとは思いがけなかった。

「永田耕一郎集」
自註現代俳句シリーズ五(四六)

十二月十二日
偕老かいろうかたさまよふ虎落もがりぶえ久保千鶴子

「俳句未来」所載句より。入院して運動リハビリのある日、今日はきつくて死ぬかと思ったと帰室、苦笑した瞬間、脳梗塞で倒れた夫。

「久保千鶴子集」
自註現代俳句シリーズ八(一一)

十二月十三日
なすままにけふのみほとけ煤払すすはら藪内柴火

万福寺の煤払である。本尊の釈迦牟尼仏をはじめ諸々の仏が、今日ばかりは煤払いの僧のなすままに身をまかせて在すように拝された。

「藪内柴火集」
自註現代俳句シリーズ六(二)

十二月十四日
さくらずみしまず義士ぎししゅう山田孝子

十二月十四日の義士会に参じた。雪ならぬ雨に悴みながら墓に詣で巴紋の茶碗で抹茶を頂き、蕎麦を啜り討入の日を偲んだ。

「山田孝子集」
自註現代俳句シリーズ八(三九)

十二月十五日
はくちょうのたよりのとどく青邨せいそん坂本宮尾

師山口青邨が96歳の大往生を遂げたのは昭和63年12月15日。この季節になると盛岡の句友から、白鳥も来ていると吟行の誘いを受ける。

坂本宮尾  2018年11月 パピルス冬号に発表

十二月十六日
おちしゃごとくにいこかれこう成瀬正俊

祖先にゆかりある三河の野を歩いてゆく。遠い道を歩いて疲れると、道端に腰を下して休んだりして歩いてゆく。落武者のようにとぼとぼと。

「成瀬正俊集」
自註現代俳句シリーズ四(三六)

十二月十七日
しょうとう天秤量てんびんばかとしまる松本 翠

浦和の年の市(十二日町)の雑踏。公園内の見世物小屋に入って興じてみたりした。

「松本 翠集」
自註現代俳句シリーズ九(一八)

十二月十八日
つえもまたあし一本いっぽんじゅうがつ竹村良三

だんだん杖が離せなくなってきた。

「竹村良三集」
自註現代俳句シリーズ一三(九)

十二月十九日
わすかんきゅういづれにもはず貞弘 衛

この句は、日常万事に平常心是道を、問わず語りに表白した内外両面に渉る自画像と畏友から過褒を得たが、まだ願望に過ぎない。

「貞弘 衛集」
自註現代俳句シリーズ三(一五)

十二月二十日
ねぎめづるてつめづるつづ相生垣瓜人

高村光太郎の詩に因って作った。葱と云う物と鉄と云う物を並べると二つの物の間に相背き相惹く気の様なものが生れるのに興味を覚えて詠んだ。

「相生垣瓜人集」
自註現代俳句シリーズ一(一九)

十二月二十一日冬至
鹿しし谷南瓜たにかぼちゃごろごろとうかな金久美智子

平家追討の密議があったのが鹿ヶ谷で、瓢箪型に縊れた縮緬南瓜が京都特産で、近くの農家の小屋に沢山あった。料亭で食べると美味しいが......。

「金久美智子集」
自註現代俳句シリーズ一一(四五)

十二月二十二日
乳石ちちいしかれざしさすばかり高久田橙子

鏡石町深内の乳石神社に、石の男根女陰が祀ってある。女陰が乳石と崇められ、産婦がお参りすると乳が出ると信じられている。

「高久田橙子集」
自註現代俳句シリーズ五(四五)

十二月二十三日
愛日あいじつといふことむねおく藤本美和子

「愛日」とは「冬日」の傍題に載る季語。「冬のありがたい太陽」のことと知り、以来心に留めている。

藤本美和子 二〇一七年作 『冬泉』所収

十二月二十四日
きよしこのふるもらす写真館しゃしんかん佐野まもる

NHKの「夏ちゃんの写真館」は、この時代にはまだこの句のようであった。今思い出してみると泣きたくなる程のなつかしい町並みだった。

「佐野まもる集」
自註現代俳句シリーズ三(一六)

十二月二十五日
煉炭れんたんばち聖樹せいじゅゑてさんがい大場美夜子

浅草の山谷は自由労務者の人達の宿が並んでいる街で有名、観音様から廻ってみた。仕事にあぶれた漢達が数人、クリスマスツリーを立てていた。

「大場美夜子集」
自註現代俳句シリーズ五(九)

十二月二十六日
鼻面はなづらゆきつけくりまる阿部幽水

原木丸太に鎹を打ち、馬の玉曳き。官林の造材風景。

「阿部幽水集」
自註現代俳句シリーズ八(三一)

十二月二十七日
かたあげのあつかりし遠雪嶺とおせつれい平井さち子

遠い山襞の雪の陰翳が、ふと昔を甦えらせる。綿入の着物の肩あげや腰あげのふくらみと、あの感触を。

「平井さち子集」
自註現代俳句シリーズ三(二八)

十二月二十八日
かぞしゃのひとりひとりかなながさく清江

師走も押し詰まった夜汽車。そのひとりひとりが、今年一年の締め括りへ、それぞれの思いを抱いた表情の黙を、汽車は只運んでゆく。

「ながさく清江集」
自註現代俳句シリーズ一一(六〇)

十二月二十九日
はくちょうせんひがしにひらくうみそら成田千空

師草田男に白鳥をよんだ名句があるように、千空にも佳句が多い。句集未収録の〈白鳥の啼かんとす頸ほそりけり〉(昭和二十二年)が初めての作。陸奥湾浅所海岸は全国に知られた飛来地で、掲句もそこでの景。平成十年その地に句碑として建立された。(新谷ひろし)

 
「成田千空集」 脚註名句シリーズ二(七)

十二月三十日
よるちし楢山ならやまじゅうがつ森川光郎

楢山は一年をとおして好きだ。日が暮れて、暗い楢山、年が迫っていた。

「森川光郎集」
自註現代俳句シリーズ一二(一五)

十二月三十一日
こんつよき大洋たいよう年送としおく原 裕

太平洋に向って開かれた相模湾の一角にある丘の上から、紺碧の沖をみつめる。水平線上に浮き出た大型の船とともに三十代最後の年が過ぎゆく。

「原 裕集」
自註現代俳句シリーズ一(二四)